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ブルガリアの古都ヴェリコ・タルノヴォへ(1) 春はタルノヴォ

表紙: 春先のVelico Tarnovo (2024年4月、筆者)

大学生の時にオスマン帝国史を勉強していてずっと行ってみたかった街、Velico Tarnovo(ヴェリコ・タルノヴォ)へ行ってきた。9年越の念願成就である。

この街はブルガリア共和国の中部の北寄りの地域にあり、首都のソフィアやバラ祭りで有名なプロヴディフと比べたら知名度は低いかもしれないが、第二次ブルガリア帝国(12世紀後半から14世紀末)時代の首都であり、長い歴史を持つ街である。美食の街として知られ、大相撲の琴欧州の出身地でもある。

アップルの地図アプリで行き先をVelico Tarnovoに設定すると、トルコのイスタンブールから片道は自動車で7時間程度である。初めての国境越えの旅となるので、前日の夜にトルコ西端の街であるエディルネ(Edrine 旧名アドリアノーブル)へと移動した。エディルネはオスマントルコがイスタンブールを征服した後に副首都であった由緒正しい街であるが、19世紀以降のバルカン半島のキリスト教諸国の独立やロシアの侵攻など戦乱にさらされ、街の中は思った以上に殺風景である。エディルネ中心部のセリミエ・モスク始め、オスマン帝国時代の宗教施設などが比較的よい状態で残っている。断食明けの砂糖祭休暇だったので飲食店は思いのほか次々に閉店していく。何とか入れたレストランで食べた名物のジーエル(Ciğer)が鶏の手羽先みたいな感じでうまかった。

早朝にホテルを出発すると、20分もせずにトルコ側の国境門であるカプクレ(Kapıkule)へと辿り着いた。早朝に来ただけあって殆ど待たされることもなく、20分程度でブルガリア側のキャピタン・アンドレノヴォ(Kapitan Andreevo)に抜けた。これ見よがしにブルガリア国旗に並んでEU国旗がたなびいている。

トルコのイスタンブールの海峡であるボスポラス海峡を渡るE80線(欧州横断自動車道E80号線)はトルコだけではなくて、東はイランから西はアドリア海を一部「渡海」してイタリアやスペインまで続く国際高速道路なのである。

ブルガリアに入ると、片側2車線となっており、車の流れは大体時速100km/hくらいである。トルコでは平均140km以上出すのが普通なので、ブルガリアに入った途端大分ゆっくりになった印象がある。ハスコヴォ(Haskovo)という街のあたりで高速E85に乗り換えて、今度はひたすら北上していく。ブルガリア国内も基本的にはトルコと同じ左ハンドル右側通行なので運転は比較的易しい。ここいらの市間高速道路は一般国道も兼ねているようなもので、車の流れは大体80-100km/hである。大体日本の高速道路と同じスピードであり、何だか日本に帰ってきたような安心感を覚える。

春のブルガリア平原の風景は美しい。丘陵地帯や沼沢を抜けながら少しずつ北上していき、スタラザゴーラ(Stara Zagora)という街に入ったところで、トルコのWifi回線が切断してしまった。Esimを接続しようと試みるものの簡単には通じず、仕方なく地図を見ながら目的地のVelico Tarnovoを目指していく。スタラザゴーラを過ぎると、カザンラク(Kazanlak)という春先の美女コンテストで有名な街がある。ヴェリコ・タルノヴォはバルカン山脈(スターラ山脈)の北側に位置するのでどこかで峠越えしなければならないのだが、カザンラクの先は峠道になっていて、なかなか運転がきつそうだ。無理は禁物ということで、カザンラクの手前で今度はVarna方面のE773号線に乗り換えて東に向かう。Gurkovoという小さな町で55号線に入り、北のVelico Tarnovoを目指した。

カザンラクの北方は中央バルカン国立公園になっていて、この先は露土戦争(1877-1878年)の天王山となったシプカ峠という要衝もある。

55号線はそこまで峻険なわけではないものの、峡谷沿いの地域であり上り・下り・カーブ・落石注意の箇所もあるので注意が必要な道である。基本的には片側1車線ではあるものの、場所によっては2車線になっている。都市間の輸送用トラックも多く走っているので後ろが詰まりすぎないように時には坂道で追い越しをかけることも必要という楽ではない道だった。

山道のバイパスを50kmほど走ると、眼前に大きな崖が広がる。そこに街があるのかと思ったらそうではなく、しばらく道沿いに走ると谷川沿いに自動車用の道路や谷が交差したエリアに入った。ついにヴェリコ・タルノヴォに着いた。エディルネを発って5時間ほどである。

車をホテルの近くの駐車ロットに止めたのだが、ホテルの人曰く駐車券が必要なシステムらしい。日中は30分毎に0.5レフ必要で夜間は無料。購入した駐車券を車のウィンドウに放っておく。

ヴェリコ・タルノヴォはドナウ川の支流であるヤントラ川が蛇行しながら谷を侵食した複雑な地形の上に築かれた街である。旧市街はヤントラ川の水面から見上げるとほぼ断崖の上に密集して築かれており、トルコのアナトリア地方とも共通する建築様式で民家が築かれている。街は第二次ブルガリア帝国(12世紀後半から14世紀末)の首都として発展した後に、オスマン・トルコ帝国に支配された。トルコ語ではこの都市をTırnuva(トゥルヌヴァ)と呼ぶ。

とりあえず腹が減ったので、Trip Advisorで見つけた"Tihiyat Kut"というレストランで食事を取って一服する。冷製ヨーグルトスープやイスラム教国であるトルコではなかなか食べられない豚肉の煮込み料理がおいしい。ヤントラ側の中洲にはアッセン王朝の記念碑とボリス・デネヴ美術館があり、周囲は公園のようになっている。ジョギングしている人が多くいて、緑と鮮やかな花の色が美しい。アッセン王朝の記念碑の辺りの橋から見下ろしても水面までは相当距離があるため、侵食されやすい地質なのだろう。橋の上から街を見上げると、かなり急な坂にへばりつくようにトルコや東ヨーロッパで見られる赤屋根の民家が軒を連ねている。

初めての国境越えの運転で疲れたので、この日は早めに休んだ。



アッセン王朝記念碑(2024年4月、筆者)
ヨーグルトと胡瓜の冷製スープ

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