葡萄の聖母 トルコ・アフロディシアス遺跡訪問
トルコ南西部の石灰棚で有名なパムッカレからバスで一時間半ほどの郊外にアフロディシアスの遺跡がある。ここはギリシャ・ローマ時代の遺跡であるが、エーゲ海や地中海岸に点在する他の遺跡とは異なり、やや内陸寄りの位置にあるためか独特な景観を呈している。パムッカレの近くの中心都市デニズリを経由し、この地方の殺風景なハゲ山を縫って進むとやがて右手側にゲートが見えてくる。幹線沿いにあるゲート前の乗降場でバスを降りると、幹線を渡ってやや奥まったところにある遺跡へと向かうことになる。入場ゲートで25トルコリラほどの料金を払うと右手に博物館があり、左手に進んでいくと様々な形のローマ時代の遺跡を至近距離で目の当たりにすることができる。
この遺跡を一言で評すれば、「優美」という言葉に尽きる。比較的こじんまりとした遺跡ではあるが、保存状態がよく大理石の放つ微かな葆光が参観者に豊かな気分を与える。遺跡内にはローマ時代のコロッセオの跡などもあり、「夏草や兵どもが夢の跡」ではないが、地中海の風を含んで荒凉な丘陵地を吹き抜ける風が憂愁を感じさせる。
この遺跡の中心には英国人の博士が発掘したというプロフィオンという門柱が立っている。比較的小ぶりのつくりではあるものの、端正な姿形を留めている。綺麗に刈られた芝生は地中海地方特有の心地よい風を受けており、その姿を見ているとまるでここが考古学徒の殿堂であるかのように感じられるのである。
入場ゲートの脇に併設されているアフロディシアス美術館にはこの遺跡から出土した様々な彫像・彫刻がところ狭しと並べられている。一つ一つの彫像の表情を間近に見ることができる。美術学生などにとっては模写などをする上で格好の素材になることであろう。さてこの美術館の展示のクライマックスはアフロディテ像である。この女神は元々ギリシャの美の女神である。ギリシャ本土から小アジアのイオニア地方に入植したギリシャ人たちは、各地に植民都市をつくり、娯楽を享受した。自然豊かなイオニア地方の景観に感嘆したギリシャ人たちは自らの都市文化と、アナトリアの土俗信仰を所与のものとして習合させたのであろう。
アンカラの西方からエスキシェヒルーアフヨンにかけての内陸地域にはかつてフリギア人たちが洞窟集落に居住した。彼らは「キュベレ」という古い女神を信仰した。ギリシャ人たちも小アジアに入植したことで現地化という現象が起こったのであろう。理由は書かれていなかったが、後のイスラム化の影響なのかこのアフロディシアス像の首は切り落とされている。しかしアフロディシアスのほっそりとしたうなじと、首元を覆う瑞々しい葡萄のモチーフはとても優美であり、素朴な生命力に満ち溢れている。それらの源になっているのは、豊穣なる大地と、清らかな水の存在である。古代アナトリア的官能の世界がここにある。