東京を地続きで歩く
東京で生活を始めたところで金がないからできることは限られている。そのため、休日や仕事がない期間でも街を歩くことくらいしかできることがない。幸いにして歩くことは金がかからないからだ。
世の中には歩くことが嫌いな人が意外といるもので、特に東京ではそんな人の数が多い。「田舎の人は自動車ばかり使うが都会の人はよく歩く」と言われることがあるが、嘘だと思う。みんな電車ばっかり使うからだ。それに東京の人は金にならないところに労力をかけることを嫌がるし、「効率が悪い」物事を嫌がるし、みっともない真似をしたりみすぼらしい思いをしたりすることを嫌がる。(ただし、わたしが東京に引っ越したタイミングとわたしが初めてまともに就職して社会人になったタイミングは全く同じだから、わたしが常々「東京人と京都人との違い」や「関東人と関西人との違い」と認識しているものは、実は「社会人と学生との違い」であったり「会社員とフリーターとの違い」であったりする可能性は多いにある。)
しかし、この歳で職場や飲み屋などで知り合う人と一緒に散歩するほど仲良くなることがあるわけないので、東京の人が歩くことについてどう思っていようがわたしには関係がない。わたしが上京したのと近いタイミングで関西から上京した友達が二人ほどいるので、彼らと一緒に近所を歩いたり遠出して歩くことが多い。また、休日の朝などに早起きしてわたし一人で散歩する日もよくある。
京都に住んでいたときには、終盤には「住んでいる街の地理を足で把握している」という実感を強く持つようになっていた。つまり、京都にあるほとんどの地域について徒歩で行った経験があったのだ。実家がある岩倉から修学院まで町中を歩き、高野のあたりで鴨川の北端部に降りてそこから南下していって河原町や京都駅まで歩いたことは何度かあった。出町柳のあたりから加茂川を北上して上賀茂まで歩くことあれば、さらに南下して竹田まで行くこともよくあった。大学院の頃は今出川通を東西に歩いて立命館と同志社を往復していたし、立命館からさらに西に進み続け嵐山まで行ったこともある。東側の地域にも大体は行き尽くしていた。京都の特殊なところは、鴨川を南北に進んだ後に東西のどちらかに進めば市内のほとんどの地域に行ける、ということだ。そしてわたしは実際にほとんどの場所に行っていた。つまり、実家から鴨川に行くまでの道筋を記憶しており、そして鴨川から他の様々な場所に行く道筋も記憶しているから、家から京都市内の各地域の徒歩ルートを頭のなかで再現できるということだ。それに、ほとんどの地域は一度だけなく二度や三度も行っている(学生時代やフリーター時代はとにかくヒマだったのだ)。だから京都という街全体の記憶はいまでも強く残っているし、そのせいで京都に帰るたびにうんざりしてしまう。記憶が残り過ぎていて、どこに行って何を見ても新鮮さが感じられないからだ。
ともかく、京都の地理を把握していた感覚やそもそも京都という街の形が持っているわかりやすさと比べて、東京に引っ越した当初に抱いていた「街を把握していない」「土地勘がない」という感覚にはなかなか不安にさせられた。たとえば新宿や渋谷という地名はわかるし、下北沢も吉祥寺や銀座も知っているし、市ヶ谷とか三軒茶屋とかも聞いたことはある。しかし、それぞれのエリアがどこにあって、どことどことがどうつながっているか、ということが最初は全くわからなかった。
わたしが最初に住んでいたのは西武新宿線の沼袋だ。当初の仕事では高田馬場から乗り換えて九段下に行っていたし、中井で乗り換えて六本木に出向する時期もあった。だが、乗り換えてからはどちらも東京メトロの地下鉄であり、通り過ぎて行く駅名を見ていればどこからどこへと移動しているかはなんとなくわかるものの、方角などはよくわからない。
だから、土地を把握するためには休日に歩くしかない。新宿から原宿を通って渋谷、というルートは引っ越し早々に歩いたことがあるし友人たちともしょっちゅう歩いている。この辺りは人も多いし間に代々木公園もあるし新宿や渋谷では何かのイベントをやっていることも多いしで、他になにもすることがしなくてもとりあえず行けばヒマすることはない。東京のど真ん中という感じがする。
わたしが住んでいた沼袋や友人が住んでいる新井薬師は中野の近くであるので、早朝から中野から新宿まで歩いたり、逆に新宿で夜遅くまで遊んだ後に中野まで歩いて帰るということもよくあった。四谷に引っ越したあとも、中野の図書館を使ったり友人の家に行ったりするついでに四谷から新宿を通り抜けて中野まで行くことはよくある。ルートはおおむね二種類あり、近い方のルートが、都庁のあたりから西新宿に行き東中野に行って宝仙寺や堀越高校を通り過ぎていって中野区中央図書館に着く、というものだ。遠い方のルートは、歌舞伎町から大久保や高田馬場を通ってさらに西武新宿線に並行して落合や中井を抜けていき、新井薬師か沼袋のあたりで南下して中野に行くというルートである。前者のルートは間に新宿中央公園があるのがいいし、後者のルートは町並みがコロコロと変わっていく点にお得感がある。また、中野から高円寺や阿佐ヶ谷や荻窪を抜けて吉祥寺まで行くこともよくあった。井の頭公園まで着くと一休みできて「ゴール」があるという感じがよい。
西武新宿線といえば、東京生活の半ばに1年ほど付き合っていた恋人が途中から新井薬師に引っ越してきてくれたので、週末のたびに家を訪ねたり訪ねられたり、また夜になると沼袋から新井薬師まで送っていた。西武新宿線の線路沿いを恋人と一緒に歩いたり、恋人を送ったあとに翌日からの仕事のことなどを考えながらトボトボと一人で歩くことには、他では味わえないような感慨があった。夜空に映える月や雲に電線が重なって見える様子や遠くに沼袋氷川神社の松の影が見える様子、西武新宿線の控えめな走行音や踏み切りの音など、都会過ぎずに穏やかで暖かい環境がいい味を出してくれるのだ。思えば、恋人ができて人寂しさからの不安からも解放されたあの時から、ようやく東京での生活が本格的に始まったという感はある。結局その恋人とは別れてしまったし、別れたからといって東京での生活が終わるわけでもないのだが。
しかし西武新宿線の町並みにはたしかに「他では味わえないような感慨」があるにはあったが、路線としての西武新宿線はゴミでクソだ。雨が降ったらすぐに遅れたり止まったりするし、本数も少ないし、他の路線との接続もあまりよくない。けっきょく沼袋に住んでいる間も後半は中野駅を利用することになった。中野ブロードウェイといえばサブカルやオタク系の店舗ばかりが有名なイメージだが、地下の食料品店街は東京にしてはかなり安くて品揃えもよいので、中野駅を利用している間は買い物には困らなかった。いい食材が安く帰るものだからついつい贅沢な料理を作ってしまい、けっきょく食費がかさんでしまったものである。また、上階にあるゲーム屋には友人たちとしょっちゅう行って、友人の家で遊ぶためのゲームソフトを選んだりしていた。セントラルパークでは寒過ぎない日であればコンビニで酒を買ってたむろすることができたし、サンモール通りの隣の飲み屋街にもたまには行く余裕があった。しかし中野駅やその周辺で帰宅時間にはあまりに混みすぎてしまうため、通勤に利用するうえではストレスになることが多かったのもたしかだ。
東京のなかでどこかが特別に嫌いということはないのだが、六本木のあたりだけは例外的に苦手である。なにしろ自然がないし、のびのびと座れたり歩けたりするスペースも他と比べて少ない。数ヶ月間だけ六本木に出張して働いていたときにはかなり気が滅入ってしまっていた。九段下で働いていたときには千鳥ヶ淵の遊歩道や靖国神社を散歩することで仕事のストレスを紛らせられていたので、その落差がだいぶキツかったのだ。その後に働いていた永田町のあたりはまあまあという感じで、お堀のあたりで水鳥を眺めたり憲政記念公演で一息つけたりはできる点は良いのだが、警察があちこちに突っ立っている点は威圧感があってマイナスだ。
永田町の職場から近いということもありやがて四谷に引っ越したわけだが、この四谷という立地は東京を地続きで把握する分には最適である。東に進めば赤坂から永田町を抜けて日比谷にでて、銀座から丸ノ内に東京駅のあたりまでと行くことができる。信濃町から南に外苑とか神宮球場とかを通り過ぎれば青山に出られて、そこから原宿〜渋谷ルートはすぐ目の前だ。西に歩けばもちろん新宿に出る。北に歩けば防衛庁とかがあるし、土手に沿って歩けば市ヶ谷に神楽坂である。まだ試したことはないが、やろうと思えば上野まで歩いて行くこともできるだろう。上野や日暮里のあたりにも友人たちと一緒に行くことはよくあるので、上野から下宿までの地図がつながれば、東京でもようやく「地理を足で把握した」感が得られることになるだろう。
四谷といえば新宿御苑が近く、年間フリーパスを買えば新宿まで行く際の「通路」として利用できてしまえるのが優越感を抱けてよい。また、千駄ヶ谷や代々木などにも四谷に引っ越すことがなければほとんど行く機会がなかっただろう。特に千駄ヶ谷は村上春樹のエッセイでたびたび登場していたから「ここが村上春樹がジャズ喫茶を開いていたあの千駄ヶ谷か」という感慨を行くたびに得られる(他に得られるものはない)。また国立競技場があるのもよくて、オリンピックが無事に開催されたらその間は東京の中心であるどころか世界の中心になるわけだ。休日のたびに国立競技場の周りをうろうろして歓声などを聴きながら「やってるねえ」という感慨を抱きにいくことになるだろう。
さすがに地続きに行くことはできないが、最近に行った亀有や葛飾のあたりもまあまあ良かった。「下町」という感じである。しかし私にとっての下町といえばやっぱりに沼袋だ。そういえば沼袋や中野のあたりには猫も多くて休日にちょっと散歩するだけで10匹近い猫の姿を見かけられることもよかった。哲学堂公園も私のお気に入りである。寺社仏閣が多いのもよい。京都に比べて東京の寺社仏閣は建物の色彩が全く違うし、イベントの数や地域住民へのサービス精神が感じられることが多くて、意外な文化の違いが新鮮だった。中野のあたりは天理教も盛んであるようで、毎朝、木製の笛を吹きながら町を歩く天理教の信者の人がいた。これは迷惑に感じる人も多かっただろうが、ちょうど私の起床時間と被っていて、笛の音色とともに目覚められるのが「粋」でよかったのだ。とはいえ四谷は四谷でスズメの数がやたらと多く朝はいつもスズメの鳴き声で目覚めさせられていて、これはこれでよい。しかし沼袋は正月には獅子舞が出てくるし夏には氷川神社のお祭りもあれば百観音の献灯会もあるしすぐ近くの新井薬師でもいろんな行事をやっているしで飽きなかった。とはいえ2年間住んで各行事を2回ずつ経験すれば十分なところがあるし、狭いコミュニティで飲み屋はどこも常連だらけなところに閉塞感があるし、なにより西武新宿線はクソだし中野駅からも遠すぎた。
とはいえ、沼袋に住んでいた時には後半にはその町や中野という区にコミットした感覚が得られていたが、まだ住みはじめてから半年しか経っていないとはいえ、四谷という街や新宿という区にコミットした感覚が得られるかどうかは定かではない。おそらく相当難しいだろう。いまは無職期間なので毎日のように新宿まで散歩や買い物に行っている。日本一の大都会(の隣)に住んでいる、ということを体感的に経験したいためだ。だが、人が多すぎるし建物はデカすぎるし当たり前のことだが「地域密着」的なイベントはほとんどやっていないしで、どうしても自分と新宿という街との間にはかなりの距離を感じてしまうのである。しかし新宿を「自分の街」と見なせるようになった東京人としても一人前、という気はする。街はともかく、御苑ならもう散々行き尽くしたせいでどこにどんな木があるかというレベルで把握できてしまっていたりするから「私の庭」という感じは得られている。
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