ロング・ロング・ロング・ロード Ⅰ 十勝の空 編 2
カーテンを開けっぱなしで寝入り、明るさで目覚めるのは、全てを綺麗にしてから始めたことだった。
時計を見るとまだ5時にもなっていなかった。北の大地の夜明けは早いのだった。
もう眠れそうになかったので、シャワーを浴びて、昨夜考えたルートをチェックした。昨日感動した景色を写真に収めていなかったことを思い出し、二十二間道路の桜並木のあと山間部を通ってあの景色をもう一度見に行こうと決めた。
今日もいい天気だ。
セルを回し、静かな空気を震わせながら、皆は朝食を取っている頃、3シーズンを過ごすための半年分の荷物を、アイドリング中の相棒に積み込む。
牧場の中に建っているようなホテルを出て、浦河国道へ向かう。道を下って行くと、キラキラ光る広大な海が迎えてくれた。
左手の丘陵と右手に広がる太平洋に挟まれながら、気持ち良く走っていると、桜に昆布に馬の新ひだか町に入った。
静内に入ると、国道235号は海辺から内陸へ進む。早朝のためか車も少なく開いている店もない。吉野町1の交差点を左折して県道71号へ。『桜並木』の看板に従って左折する。すぐに並木があるのかと思っていたが、しばらく走って白樺並木が終わると桜並木は始まった。7キロほどの新緑の桜並木だ。北海道らしい直線の道が桜色に色付いている頃を想像した。圧巻だろうと思うと、桜の頃にまた走ってみたいものだと、インポッシブルな思いが浮かぶ。まったくお笑い草だ。
まだ先はあるようだが、アスファルトの終わりでUターンした。再び、何も走っていないまっすぐな道を行く。快適でしかたがない。
農業高校を過ぎた交差点で道道71号へ右折、山間部へ上っていく。道は突き当り、昨日びっくりした県道1026号へ左折して、新冠市街へと進めた。
心地良い山道を進み、馬産地らしい『皐月橋』『桜花橋』『優駿橋』『菊花橋』と越えていく。桜花が先ならもっといいのにと思ったのはご愛敬だ。三冠馬気分で走り行き、何ともないせせらぎにこの地を感じた。
昨日と同じルートで海に出る。昨日と違うのは、途中に行われていた道路工事の片側通行で、ほんの少し待たされたくらいだ。
またこの場所が、俺にとっての旅のスタートはここからだと思わせた。地図上の大狩部駅から500メートルほど手前の場所だった。昨日の感動と遜色ない感動を脳裏に植え付けた。
惚けて行き過ぎて、Uターンして、何枚も写した。心に、そして頭の奥底にも。中央ライン寄りで撮ることが、大変危険だとしても写しておかなければならないと、俺の中の何かが訴えていた。
気が済んでから、やっと先に進んだ。
春立、三石ときて、道の駅へ。ここから先は日高山脈の反対側の大樹町まで行かないと道の駅は無かった。随分と時間が経った気がしていたが、まだ九時過ぎ、道の駅は開いたばかりだった。スタンプを押して缶コーヒーで一服。今でも、喫煙していた頃が懐かしく思える。俺の人生にタバコは深く根付いていたようだ。
浦河町のカントリーサインは、馬術の画だった。
時間の余裕と気持ちの余裕から、気紛れに荻伏をブラついた。残されている古い建物を見てまわり、この地の開拓時代を夢想した。教会の屋根から斜めに突き出ている煙突が、妙に可笑しかった。が、それだけだ。
初めてのホクレンのガソリンスタンドで給油し、夏の間、ホクレンのGSだけで買える三角フラッグを買おうとしたが、残念ながらまだ時期が早かったので販売していなかった。三角フラッグは、夏の北海道ツアラーにとっての風物詩だ。道央、道北、道東、道南と四種類ある。
まだ長い旅は始まったばかりだと、少し落ちたテンションを上げ直して、襟裳に向けて走り出した。
昭和の時代を思わせる浦河駅を過ぎると、美しい街並みがあった。まるで映画のセットの中を走っているようだと感じたのは、人が一人も歩いていないからだった。
少しうすら寒くなった。この状況がこの国の行く末なのではないのかと。
西幌別の交差点を野塚国道・国道236号線を曲がるまでに、何人もの人々に出くわしたので、ホッと安心感が湧き上がった。
この国道236号線は天馬街道と呼ばれ、日高山脈の中を広尾町まで抜ける、えりも町をショートカット出来る最後の道だ。道の左右には競走馬の牧場が並んでいた。俺もやっと、北海道に慣れ始めてきたようだ。心地好さが身体中を巡っている。
左折して優駿さくらロードを進んだ。こちらの方が道幅は狭く桜が近いので、琵琶湖の海図大崎のように満開時には桜のトンネルを見ることが出来そうだった。道の途中からは、両側の桜の木の向こうに放牧地があって、走っていて益々心地好さが増していく。
突き当りにあったJRAの施設は広大で、展望台から見える全てにおいて金がかかっていた。
道道746号線から国道236号線、日高幌別川沿いを走って国道336号線に戻り左折した。これからは、右も左も逃げ道なく襟裳へ向かう。
鵜苫川にかかる橋の向こうに、様似町のカントリーサインはあった。アポイ岳に白いヒダカソウの花が描かれてあったが、花など知らない俺には、他の白い花との違いがわからなかった。それよりも、橋に並んだ日高本線の陸橋が細くて小さかった。
道は海沿いに出て、ローソク岩とその奥にある親子岩を見ながらトンネルに入った。何となく好きな風景だった。
トンネルを抜けると親子岩、そして、遠くにエンルム岬が見えた。
ワクワク感が駄々洩れだ。“出入”の前の感覚に似ている。
昔は、綺麗な景色に出会っても、綺麗だと思うだけだった。美しいと思えるなんて、立っている位置の違いでこうも変わるものだろうか?
本町2の交差点の次の交差点を右折して、エンルム岬へ向かう。「エンルム」とは、アイヌ語で「突き出ている・頭」の意味だ。鉄塔の下に相棒を停めて、展望台まで登るかどうか思案しながら相棒から降りた。身体はやめておけと言っている。ファッション的にアリかなと思って腰にぶら下げていたキャップを取って、この旅初めて深く被った。
タンクバックからコンロ一式を取り出して湯を沸かし、ドリップパックのコーヒーを淹れて、景色を愛でるためにゆっくりと飲んだ。もうすぐ行く瞰望岩での予行演習だ。
身体が冷えるまではいっていないはずなのに、液体が持つ熱量が喉から身体中に一気に巡るのがわかったし、様似漁港や親子岩やローソク岩を見渡せる西側と、襟裳岬があるであろう東側で景色は随分と違うことは認識出来た。しかし、それが何を意味するかまでは理解出来ないでいた。
そんな中、片隅に蘇る記憶があった。確か、目の前に広がっている黒い砂浜は、ほぼ寝たきりの生活の頃に見たバス旅の番組で、漫画家の人が転んで波に濡れた場所だった。
ニュース以外はほとんど見ることのなかった生活が、堅気になった途端、朝の散歩以外、テレビ漬けの毎日を送っていた悩み苦しんだ記憶だ。何でも思い出せばいいというものでもない。あり得なかった事実が、今、目の前にある。つくづくだと思った。
何に対して腹を立てているのか認識できないまま、残った湯でコップを洗い、ティッシュペーパーで拭き取った。
「腹減った」
朝から何も食べていなかった。空腹を感じられる時は、体調がマシな時だった。術後の不調は身体全身に、今も響いている。こんな時は美味い、人がちゃんと調理したものを口に入れたい。そう思った。
観光地だから襟裳まで行けば出会えるだろう。そう思ってエンルム岬をあとにした。
様似駅が日高本線の終点だ。そこから先に線路はない。
様似の町を出ると、国道336号線は海岸線を走る。空腹は相変わらずだったが、快晴の下、海岸線を走る喜びに心は満たされていった。
十五分ほどでえりも町に入り、ゼニガタアザラシと襟裳岬が描かれたカントリーサインと対面した。
崖と海との僅かな隙間、越波注意の標識が並ぶ国道336号線。その道沿い、崖に張り付くように点々と集落はあって、過酷であろう環境でも生きていく人間、その生き様が見える情景すべてが新鮮だった。いつしか空腹も忘れるほど、流れる景色を脳裏に焼き付けていた。
えりもの町に入ると、当たり前だと思っている環境、商店があって、コンビニがあって、ガソリンスタンドがあって、銀行があって、それも数が多いとは言えないが街といえる形があった。
ガソリンスタンドで燃料を2リッターほど入れて満タンにした。事前に情報収集した中に、ガス欠で苦労したという書き込みや、携行缶を準備していて助かったという書き込みをかなりの数見かけた。それでガソリンタンクを2,25ガロンのやつから3,3ガロンのやつに乗せ換え、3リットルの携行缶も準備した。半ばガス欠恐怖症にかかっているのだ。
コンビニで用を足し、ついでに口腔清涼剤を買って三粒口に放り込んだ。胸の傷が軽く痛んだ。それから少なくなった財布の中の現金を郵便局で補充した。俺名義の通帳を持ったのはいつ以来だろう?腹の減りは知らぬ間に治まっていた。
国道336号線が大きく左にカーブする所で、道道34号線へ右折した。
行けば行くほど人家が減っていく。それと反比例して、俺の中の期待が膨らんでいった。
白い小さなトンガリ屋根の油駒バス停が右手に見えたあと、景色は一変した。あったのは、荒野だった。遠くを見ても山並みのない枯れた景色の波が広がっている。その荒野の中を切り開いて、道はうねりながら続いていた。ここが日本だと俺には思えないような光景だった。青空と荒野の対比に、所々で相棒を停めてシャッターを切った。
しばらく行くと右側から強い海風が吹いてきた。岬の先端側は荒野なのに、反対側の山側には、短い緑とその中に散りばめられた小さな黄色が存在した。相棒を停めて黄色を確認した。地面にへばりついて咲いている、茎の短い黄色いタンポポみたいな花だった。見るもの、触れるもの、感じるものに、いちいち感動を覚えながら岬に向かった。
風の止まない中、荒野にも緑が混じり出した。『Cape Erimo』の小さな標識。最果ての地はすぐそこだ。逸る気持ちがいっそう、走るスピードを落とさせた。急いで向かうなんてもったいない。もっとこの空間に包まれていたい。横風が強いのは、ご愛敬だ。半分嘯いた。
チラリと見たバックミラーには、進んできた道とその両側にある海が写っていた。路肩に停めて、風に持っていかれないように跨りながら振り向いた。「襟裳の春は、何もない春です」と頭の中で森進一が歌う。
来た道を引き返して、もっと襟裳を感じたい。そう思った。
風がまた少し強くなった。
下り坂の先、視界の開けた場所に、最果ての地はあった。
左手に紺色のトンガリ屋根の土産物屋と焦げ茶色の建物、その奥、緑と薄茶色の混じった中に、高い鉄塔と並んで低くて白い灯台がある。
まだシーズンオフだからか、数える程しか車の停まっていない閑散とした駐車場にも、風は容赦なく強く吹き流れていた。俺は風向きを考えながら、駐車場をクルッと一周回って、ここなら大丈夫だろうとサイドスタンドを風下に選んで相棒を停めた。
腹を満たそうかと、チラホラと人影のある土産物屋へ足を進めたのだが、どうしても早く“先っちょ”が見たくなって、見えている灯台へ向かって歩き出した。どうして男という生物は“先っちょ”が好きなのだろうか?
白と紺のカラフルな土産物屋に目が留まって気がつかなかったが、灯台へ向かう坂道の左手に、地形をそのままに造られた『襟裳岬・風の館』の入り口があった。
歩道の縁石を上がる。ただステップに載せているだけの両脚が、上手く動かない。カーブの度に踏ん張ってバランスを取っているのだろう、かなり疲れがきているようだ。
アスファルト舗装された坂道が終わり地道に変わる。道の左右にある短い緑は芝生だと書いてある。散らばって咲き誇っている黄色い花の名はわからない。腿の筋肉に心地好い程度の痛みがあり、脹脛には鈍痛がある。足の運びが重く、歩くスピードが上がらない。それでも、ゆっくりと、確実に歩を進める。
もっと大きいものだと思っていた灯台は、白くて小さくて可愛らしかったが、遠くから見た時には気がつかなかった、灯台の横にはレーダー施設らしい小さな鉄塔があって、上の方がくるくると回っていた。
灯台の近くで、やっと来たのだと悦に耽っていると、
「いつまでかかっとんねん」
嫌な感じの関西弁が耳に入ってきた。まだ先にあるモニュメント辺りでは、疎らな数の観光客が、思い思いに記念撮影していた。何事かと思った俺は足早に、その声の主を確認するべく見える位置まで移動した。動くのか足は。
記念撮影の自撮りに熱中しているカップルにアヤをつけていたのは、四十代ぐらいのプリン頭の男。その後ろには若くてガタイのいい坊主頭が一人と、如何にも水商売風の女が二人立っていた。趣味の悪い服装から、どこかの個人工務店の親方社長と従業員、それと行きつけの飲み屋のホステスだろうと推測する。プリン頭は、女達と従業員の前で格好をつけたいらしい。
文句をつけられた方は、プリン頭が喚いた言葉がわからないらしい。アジアの、多分、中国人のカップルだ。プリン頭のイライラを意に介さず、まだ自撮りに夢中だ。
知らないチンピラもどきが一人で喚いているだけだとわかり、俺は少し安堵しながら、北海道の“先っちょ”をのんびりと堪能した。直接降りかかってこないとわかれば、あとはどうなろうと俺には関係がない。
もう三粒、口腔清涼剤を放り込んで、柵にもたれながらボーッと、太平洋と青空が溶け合う様を眺めた。
緩やかになった風はまだ冷たく、身体が冷やされてもいいはずなのに、奥からポカポカとした何かが湧き上がってくる。子供の頃から聞き覚えのある襟裳岬を感じていたからだろうか。心が空っぽになると、自然と回想した。
それにしても、それにしてもだった。病床の上で馴染みの刑事から聞いた話では、朝井は、上が割れそうになったことから先行き不安になって、どうしょうもなくなって一人で暴走したということだった。結局のところ、ガサに入られた俺のところからは、勿論だが何も出ず、朝井のところからは、他人名義の架空口座の通帳やら飛ばしのスマホやら色々と出てきたそうだ。
「運が良かったな」と小馬鹿にしながら刑事が吐いた言葉は、本当なのだろうか?俺はそうとは思っていなかった。
朝井は柄にもなくクリスチャンだった。自殺は凄い罪で地獄行きなのだと、朝井は常々、俺に話して聞かせていた。だから、撃ち殺されることを計算に入れて、警察の前で弾いたのだ。一発目をガサ入れで入ってきた刑事の頭上の天井に、そして、驚いて「おい」と言った俺に向けて二発目を弾いた。そして、刑事の一人に撃たれて死んだ。
何故あの朝、用もないのに朝井があの場所にいたのか?朝井は、ガサの情報を誰から掴んだのか?そして何故、わざわざ俺のところに来たのだろうか?
床に倒れた俺が血反吐を掃き、痛みの中で見たのは、笑みを浮かべたまま崩れる朝井だった。最後の朝井は、嬉しそうな顔でニヤケていやがったんだ。誰が警察にさして、その上、朝井を鉄砲玉に使ったのか?ベッドの上で唇が噛み切れるほど、苛立ちを募らせていた。どう考えても合点がいかなかった。だから結局、心を許した俺が馬鹿だったのだ。そう思うことに決めた。
頭を振って、捨てた過去から楽しい現実の視点に戻す。“先っちょ”には岩が点々と海から突き上がっている。見ているとその手前、尾根の上に道が続いていて、その先に展望台らしきものが見えた。そしてその左手下に、まだ陸が続いているのが見えた。小屋のような建物があって車が通れそうな地道も通っていた。やはり“先っちょ”に立ちたいと俺は思った。
気がつくと襟裳岬は、俺一人きりの貸し切り状態になっていた。好き放題に堪能し、好き放題に写真を撮りまくった。一息吐こうと思った時に、襟裳岬の歌碑が二つ並んでいるのを発見した。森進一と、もう一つは島倉千代子の「襟裳岬」だった。
さっきプリン頭が喚いていた辺りのモニュメントには、『風極の地 襟裳岬』と刻まれてあった。誰も写らない寒々しい画を撮った。そうか、ここは風が強くて当然なのだ。それを見て思い出した。『襟裳岬・風の館』には、風速25メートルを体感できると、昨夜見たHPに書いてあったのを。
思い出してしまったのだからしかたがない。好奇心が空腹を抑え込んだ。
風の館の館内も疎らに入館者がいるものの、総じて閑散としていた。じっくりと展示物を見て周り、展望室の望遠鏡では、いくら待っても現れないアザラシを探してみたりした。
少し昔なら「馬鹿みたいだ」と感じた行動に、この上ない幸福を感じた。どうせ死ぬなら、やりたいようにやって死ねばいい。そう決めたのだ。
アザラシ探しにも飽きて、体験コーナーへ向かった。そこは風洞実験室のようだったが誰もいなかった。仕方がないので係の人を呼んできて風速25メートルを体感した。バイク乗りにはそれほど強烈だとは思わない程度だったので拍子抜けした。途端に腹の虫が鳴った。
上手く動き出した身体は急ぎ早に、駐車場横にある観光センターに向かった。
入り口を入ろうとドアが開いた時、さっきモニュメントで喚いていたプリン頭と対峙した。あまり上手く女を口説けていないのか、苛立ちが募っているのが明白だった。
「チッ、邪魔やのう」
プリン頭がほざいた。
一瞬、手を出した先のことを頭に浮かべたが抑え込んだ。面倒臭さが先にたって無視を決め込んだ。
肩が少し触れた。いや、プリン頭が当たりに来た。
「おえ、どこ見とんじゃい」
プリン頭は俺の背中で、ストレス発散と格好をつけるために凄んだ。相手にしてはいられない。俺はまた無視を決め込んだ。
「待てや」と、俺の肩に誰かの手がかかった瞬間、本能的にその手を振り向き様に捻じり上げていた。坊主頭の手だった。しまったと思ったが後の祭りだ。面倒を巻き込んでしまったと忸怩たる思いだった。
プリン頭と連れの二人の女は、鳩が豆鉄砲を喰らった眼をしていた。
店の中では迷惑がかかると思い、「ごめんなさい」と形だけの謝罪をしながら俺は、坊主頭の腕を放した。案の定、プリン頭は引くことなく「表出ろや」とうわずった声で喚いた。
俺はそれに黙って従った。
駐車場の隅まで来ると、女達はいつもの事だと慣れているのか、ママ風の一人がプリン頭に「もう、旅行に来てんのに面倒おこさんときいや」と文句を言った。その横で坊主頭は、捻じられた右肩を手で擦っている。綺麗に捻って締め上げる前に放したので、痛みが残るはずはない。このコンビは慣れている、因縁をつける常套句だ。この状況で、俺の最後の旅が終わるか終わらないかは、相手が握ることとなった。
「アホか、舎弟が怪我させられてんのに黙ってられるかい。のう、和也、大丈夫か?おう、あんた。どうカタつけるつもりや」
並べた言葉に比べ、プリン頭の目に殺気は無かった。さっきの俺の動きから感じたのかもしれない。だが、女や舎弟のいる手前、引くことが出来ないでいるのだ。
俺は、咄嗟にサングラスとキャップをとって、「突然でびっくりしたもので、すみませんでした」と頭を下げた。
四人の目がギョッとしたのを見逃さなかった。もう一度、プリン頭の目を見据えて「すみませんでした」と言葉にした。
「ほらぁ、謝ってるんやし、な、社長も許したりぃな」
貫録を出してママ風の女が言った。
「そ、そやなぁ。和也、まだ痛いか?」
「い、いえ、大丈夫です」
「社長、はよハートの池連れてってぇや」
若い方の女が、ママ風の女に促されて社長と呼ばれるプリン頭の腕に巻き付いた。
プリン頭は、この娘にイカれているようだ。デレデレが顔一面に這い回っている。
「今度から気ぃつけよ。ほな行こか、ハートのなんちゃらに」
そう言い残して四人は、ポツンと停まっている銀色のプリウスに向かって歩いて行った。途中チラリとママ風の女が振り向いた。俺のことを知らなければいいがと思った。
ホッと一息吐いて、面倒は嫌だと、俺は今一度思い直した。店に戻って、思いのほか客のいる食堂に入って隅の席に着いた。大半がアジア人の観光客で、外国語が飛び交っていた。
「大丈夫だった?なんもされんかった?」
お茶を持ってきてくれたおばさんが俺に尋ねてきた。入り口での出来事を見ていたようだ。
「ああ、はい。大丈夫です」
「よかったねぇ。決まったら呼んで」
「あっ、この海鮮丼を下さい」
俺は壁に貼ってあったメニューを指さして言った。
「海鮮丼ね」そう言っておばさんは、外国語の飛び交う中へ入って行った。
温かいお茶で喉を潤していると、携帯が震えた。徳永だった。店を出てすぐの所で電話を受けた。
―どうだ、憧れの北海道は?今何処を走っているんだ?―
「襟裳岬だ。やっと北の大地を感じ始めているところだ」
―何もない、えりもかー
「で、用件は何だ?暇つぶしか?」
―つれねぇこと言うな。お前の死に水を取る、唯一の友じゃねぇかー
徳永光夫。東京・池袋の片隅で家業のジャンク屋をやっている。ずっと昔、ボディーガードをやっていた頃からの付き合いだ。死にぞこないで死に向かって生きている俺が、唯一心を許せる人間だった。
「さっさと要件を言え、海鮮丼がくるんだ」
―いいねぇ。まぁ、ネタが乾いたら勿体ねぇから言うよ、沢木さんが死んだよ―
「そうか……」
沢木は、俺をヤクザ世界へと引っ張り込んだ張本人だ。上が割れたのと、先行きを見て組を解散した。それを機に、病床にいた俺の会社も、死んだ朝井の会社も全部、勝手に金に換えた。堅気となって退院した俺に手渡されたのは、一本と片手のみだった。やはりヤクザはヤクザなのだと、生きる気力を失わせた要因の一つだった。だが徳永は、俺が生死を彷徨っている時に、ガラス越しに涙を浮かべながら数珠を握っていた沢木の姿に感銘を受けたらしい。だから今も“さん”付けで呼ぶ。物にはいろんな見方があるものだと考えさせられる。
―葬儀は終わって、奥さんは実家へ戻ったそうだ―
沢木の妻・美枝子は、子供がいなかったせいか、特に俺と朝井を息子のように可愛がってくれた。義理が返せないまんま、その付き合いも組の解散でなくなった。噂では沢木が一切の縁を切ったので、それに倣ったらしい。
―おい、美瑛に行ったら『拓真館』へ寄って前田真三のポストカードを買って送ってくれないか―
「拓真館で前田真三のポストカードだな」
―全部な。ポスターとか写真集はかさ張るからいいやー
「わかった。美瑛に行く前日にまた連絡する」
そう慌てて言って電話を切りながらテーブルに戻ったのは、おばさんが海鮮丼を運んで来たからだった。
空腹は一番の調味料とは、誰が言ったのだろうか?
「美味い」「美味い」が止まらずに、丼に張り付いた最後の米粒一つまで、あっという間のことだった。
両手を合わせて、ごちそうさまを言う。ふと、姐さんのことを思い出した。元気でいるといいのだが。
レジにはおばさんではなく、若い女性店員がいた。値段は少し観光地価格だ。
「美味しかったです」と言うと、
「お兄さんバイクでしょ。風が強くなるから気を付けて下さいね」と言って送り出してくれた。若い人は抑揚が違うだけで方言を使わないのかと思った。
建物から出ると、彼女の言ったとおり風は強く吹いていた。
空には少し雲が増えている。
キャップからヘルメットに替えて、冷えているようなのでチョークを引いてからエンジンをかけ、アイドリング調整を捻じった。少しの間暖機する。昔なら一本吸える時間、グローブをはめて(北海道では履くというらしい)、色々を心の奥に収めて、フラットな感じで北の大地を感じる準備をする。
駐車場を左に出て、来た道を引き返す。さっきよりも風がきつくなっている。横風に気を付けながら満喫する。
そう、俺はこの地に憧れを抱いていたのだ。
行きに見えた景色とは違う景色に心が躍った。至福の時間だ。
住宅が増えだすとこの道道34号線は終わる。国道336号線を右折した。ここから先は見たことのない景色が溢れている。
山間の空の開けた直線に近い道路を走る。風はなかった。
うしろから来たトラックと乗用車に道を譲って、のんびりと走る。どう考えても、この旅でこの道を走るのはこれっきりだ。十二分に味合わなければ損だ。所々にトンガリ屋根のバス停が佇んでいた。イイ感じのカーブが続いた。荷物を積んでいなければ、心地好くアクセルを回しそうになるほど気持ちが良い。
下りになった。なんてことはない木々に挟まれた道を少し行くと、百人浜の指示看板が出てきた。ショートカットしようとは思わなかった。このまま下りて、道道34号線を最初から、今度は東側から襟裳岬を攻めるのだ。
海が見えてくるとすぐそこに曲がり角はあった。
右折して海沿いを走って行く。西側とは全く違う世界があった。遠い道の先には青い空しか見えなかった。
民家がなくなりしばらく走ると、視界が一気に開けた。原野があって、先に小高い山が見えていた。あそこが襟裳岬だ。右手に低く連なる山々も相まって、まるでスクリーンの中の旅人になって走っている気分になった。頭の中でステッペンウルフが歌い出した。たまに立っている六角形の青地に白で34と書かれた看板さえも絵におさまって格好が良かった。
幸福感に包まれながら走るとは思わなかった。この道に入ってから車と出会っていない。そして、人影もなかった。何となく物悲しさが湧いて出た
岬に近付くにつれて、空と木々と道しかなくなり、言い知れない不安感も擡げてきた。
左のバックミラーに海が写り始めると、街が現れた。またトンガリ屋根のバス停があった。岬小学校前。グランドがあったが子供達はいなかった。
街中を進み、あっという間にさっきまでいた駐車場に着いた。風が強く吹いていた。
流石に疲れを感じていたので、自販機近くに相棒を停めて、缶コーヒーを買って休憩した。いつもならくどい甘さも、今は身体中に染み渡り心地が良かった。時刻は十七時に近かった。今から宿探しを始めようと荷を解いて、Wi-Fiの接続状況を確認したが駄目だった。
「あれ、さっきの」
レジにいた店員だった。さっき着けていたエプロンが今はなかった。
「かっこいい頭だったんですね」
俺はキャップを被っていなかった。金色のモヒカンが丸見えだった。
「あのう、聞きたいんやけど」
「えっ、関西の人ですか?」
彼女はナンバープレートを確認した。
「滋賀県から?」
「うん、まぁ」
細かいことを話すのも面倒臭い。
「今日はこの辺にお泊りですか?」
「いやぁ、それをどうしょうかと思ってて」
「ちょっと待って下さいね」
彼女はそう言うとスマホを取り出して何処かへ電話した。
電話で話す彼女の言葉は訛っていた。やはりここは北海道だ。
俺の方を向いて左手の人差し指を一本立てた。そして俺を指さしてからもう一度立てた。一人なのか?の意味らしい。俺も人差し指を一本立てて頷いた。
「したっけまた……。大丈夫だって、一泊二食で八千円。いいしょ?」
彼女の口から出た北海道弁が、旅をしている気分を掻き立てる
「ありがとう。助かります」
俺は素直に頭を下げた。そして、彼女に宿の名前と場所を聞こうとすると、子供を迎えに行くのに通るからうしろを付いて来てと言われた。
急いで簡単に荷物を括り付けて、彼女の乗る黒のラパンに付いて行った。
宿には一分ほどで着いた。
外観は本当にやっているのか不安になるほどだった。
駐車場にレンタカーが一台停まっていた。車を駐車場に入れると彼女が下りてきて、「今、呼ぶからね」と俺に言ってから引き戸を開けると、中に向かって声をかけた。
一度中に姿を消した彼女はすぐに出てきて、「今来るから。バイク気を付けてね」そう言って忙しなく車に乗り込んだ。
俺は充分に礼を言う間もなく彼女は去っていった。代わりに宿から年配の女性が現れた。
荷物全部を部屋に運び入れると、急に疲れが出てきた。一度横になると起きれなくなりそうだったので、部屋食の夕飯前に風呂を入りに行った。
綺麗で手入れの行き届いた大浴場(大というよりも中だった)で、ノビノビと一人湯に浸かった。窓からは海が見えていて、砂利の上には茎の長い黄色いタンポポが咲いていた。何故タンポポとわかったのかというと、咲いている隣に綿帽子がいたからだった。
ちゃんと見てみようと窓を開けたら、浴室内の暖められた空気が一気に冷たくなった。露天風呂状態のままタンポポを観察した。すると面白いことがわかった。時折、風は強く吹いていて、窓から入って来る風は渦を巻くように入って来ていた。湯気が巻いていたので目で確認出来た。茎の長いタンポポは、風が吹いても揺れていなかった。風の通り道を見ると、襟裳岬で見た、地面から直接生えているように咲いていたのと同じタンポポがいた。どちらも同じタンポポなのだ。風に乗って下りたところによって、茎を伸ばしたり縮めたり。人と同じだと思った。
海は段々と暗い影に染まっていく。窓を閉めて、「タンポポも朱に染まるということか」と独り言を呟いていると、還暦ぐらいの人が入ってきた。
他愛もない会話を交わしてから、俺は風呂を出た。墨を入れてなくてよかったと思った。