ラム・ダス「覚醒への旅」
リシケシに、朝早く起きて、大きな滝のそばに立つ聖人がいる。彼はひねもす滝を眺め、神に向かっていう。「ああ、あなたはみごとにつくられましたね!よくぞつくられた! なんと驚嘆すべきでしょう!」。彼はそれ以外にはどのような行も実践しなかった。 夜になると自分の仮り小屋に戻るのだ。
(シュリ・ラーマクリシュナ「シュリ・ラーマクリシュナの福音」)
あなたが純粋でないしがみつくという行為をしても、下劣な感情をみなぎらせても、このような存在はあなたを無条件に愛してくれている。このような存在のまえに静坐すること、このような存在があなたの心のなかにあるのを想像すること、その存在とともにあって愛を返すこと、こ のような慈愛に満ちたさばくことのない目のなかに反映するあなた自身を見ること、愛する相手に向かってするようにみずからをますますひらくこと、このような存在と想像上の会話をおこなうこと――これらの実践が同情・静寂・暖かみ・忍耐などのあらゆる長所に向かって、あなた自身を開放していくことになる。
おお聖者よ! 素朴な結合が最良なのだ。
主に会った日以来、われらの愛のスポーツに終わりはなくなった。
私は眼を閉じず、耳をふさがず、自分のからだを無理な苦行に服させない。
私はほほ笑む眼で見るのだ。そうすれば愛する彼の美はいたるところに。
私は彼の名をとなえ、私の見るものがなんであっても、眼には彼がとどまり、私のすることがなんであっても、行為は彼への礼拝となる。
昇っていくのも、沈んでいくのも私にはひとつだ。すべての矛盾は解決した。
私はどこに行こうと、彼のまわりを動き、私の完成するすべては、彼への奉仕だ。私が横 たわるとき、彼の足もとに腹ばいになって横たわる。
………すべての快楽と苦痛を超越する、大いなる天上の喜びのなかに私はひたっている。
(カビール「カビール百の詩」)
(美しいな。)