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osho「瞑想録 静寂の言葉」

すべてのキリスト教徒が心の底ではイエスに怒りを感じていると私が言えば、あなたは驚くことだろう。イエスは救済を約束したが、何も救済されなかった。彼は次のように約束した。「すぐにあなたは天国に行ける。すぐに天国で私と一緒になれる。」それから二千年が経った。彼の言った「すぐ」はまだ来ていない。いつまで待てばそのときが来るというのだろう? すべてのキリスト教徒は、イエスに怒りを抱いている。そしてこの怒りのゆえに、キリスト教徒は狂信的にイエスを信じる。そうすれば彼が怒りを抱いていることが誰にもバレないで済む。

実際のところ、自分が怒りを感じていることを、彼自身も知りたくない。自分が騙されたことを、インチキの信仰を与えられてきたことを知りたくない。二千年もの間、無数の人々が、何の成長もなく、どこにも辿り着けず、何も見つけられないままに、この信仰と共に生き、この信仰と共に死んだということを知りたくない。

彼はこの怒りを、この憤怒を恐れている。それを抑圧するために、彼は教会に行って、イエスに祈る。あるいは、クリシュナやムハンマドに祈る。しかしすべての信仰者は、遅かれ早かれフラストレーションを感じることになる。なぜならその信仰が、真実を与えてくれないからだ。それは活き活きとした生命の水を与えてくれない。 

(何かドギツクて笑った)
(osho ラジニーシは少し、いかがわしいイメージが付き纏うけど、禅坊主のような鋭さがある。喝)

わ〜い!😄