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ブルクハルト「世界史的考察」より抜粋。 その3
(まず宗教に関して抜き書き。)
並のものを超えるような宗教が最初に深く根を下ろすのに一層適しているのは、世俗的生活や労働のうちに日々を過ごす民族よりも、瞑想のうちに日々を送る民族である。というのも、瞑想のうちに日々を送る民族は、あまり働かなくても日々の糧を得ていることから、そこには一種の教養もごく全般に渡って見られ、知識階級と非知識階級といった現代流の区別立てがないからである。
さらに、節制を事とし、神経質な激しやすい性質を具えた民族も適している。それは、こうした民族においては、奇跡や超自然現象や幻視を損なうことがなく、繊細で精緻な精神が力を振るうことが出来るからである。
このような諸民族のあいだでは、比較的長い準備作業、宗教的懐妊状態も起こりうる。
(文化に関して抜き書き)
われわれが文化と呼んでいるのは、精神のもろもろの発展の全総和のことであるが、この精神の発展は自然発生的に起こるものである。
文化の要素のどれにも、国家と宗教と同様に、生成、最盛期すなわち完全な自己実現、消滅、そして全般にわたる伝統の中での存続がある。
そして無数のものが意識されないままに生き続けていることもある、どこかの忘れられた民族から人類の血の中へ移っていったものかもしれない習得物として。
そもそも我々は、もろもろの民族や個々の人たちのうちに文化の諸成果がこのように蓄積していることをつねに考慮に入れるべきであろう。
(言語についての抜き書き)
あらゆる文化の先端に立っているのは一つの精神的奇跡、言語である。
言語は諸民族の精神の最も直接的な、また、きわめて特殊な啓示であり、その精神の理想的な像であり、諸民族がその精神生活の内実を保管しておく最も耐久性のある素材である。
全般的に言って、言語は初期におけるほど豊かな様相を示すが、文学上の優れた作品を擁する高度の精神文化は、言語がすでに凋落に向かっているときになってようやく現れるのである。
なんかちょっと小難しくなったな。。
皆様が、いい言葉、作品をどんどん生み出し遺せますように!😸😸😸
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