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論語と算盤⑦算盤と権利: 1.仁に当たっては師に譲らず
世人はややもすれば、論語主義には権利思想が欠けている。権利思想なき者は、文明国の完全なる教えとするに足らぬと論ずるものが有るようだが、これは論ずる人の誤想謬見(ごそうびゅうけん)といわねばならぬ。なるほど、孔子教を表面から観察したなら、あるいは権利思想に欠けているように見えるかもしれぬ。基督(キリスト)教を精髄とせる泰西思想(たいせいしそう)に比較すれば、必ず権利思想の観念が薄弱であるがごとく思われるであろう。しかしながら、余はかくのごとき言をなす人は、いまだもって真に孔子を解した者ではないと思う。
基督や釈迦は始めより宗教家として世に立った人であるに反し、孔子は宗教をもって世に臨んだ人でないように思われる。基督や釈迦とは、全然その成立を異にしたものである。ことに、孔子の在世時代における支那の風習は、何でも義務を先にし、権利を後にする傾向を帯びた時であった。かくのごとき空気の中に成長し来った孔子をもって、二千年後の今日、全く思想を異にした基督に比するは、すでに比較すべからざるものを比較するのであるから、この議論は最初よりその根本を誤ったものというべく、両者に相違を生ずることは、もとより当然の結果たらざるを得ないのである。しからば孔子教には、全然、権利思想を欠いているであろうか。以下少しく余が所見を披瀝(ひれき)して世の蒙(もう)を啓(ひら)きたいと思う。
論語主義はおのれを律する教旨であって、人はかくあれ、かくありたいというように、むしろ消極的に人道を説いたものである。しかしてこの主義を押し拡めて行けば、遂には天下に立てるようにはなるが、孔子の真意を忖度すれば、初めから宗教的に人を教えるために、説を立てようとは考えてなかったらしいけれども、孔子には一切教育の観念が無かったとは言われぬ。もし孔子をして政柄(せいへい)を握らしめたならば、善政を施き国を富まし、民を安んじ、王道を充分に押し広める意志であったろう。換言すれば、初めは一つの経世家であった。その経世家として世に立つ間に、門人から種々(いろいろ)雑多のことを問われ、それについて一々答えを与えた。門人といっても各種の方面に関係を持った人の集合であるから、その質問も自ずから多様多岐に亘(わた)り、政を問われ、忠孝を問われ、文学、礼学を問われた。この問答を集めたものが、やがて論語二十篇とはなったのである。しかして詩経を調べ、書経を註し易経を集め、春秋を作りたるなどは晩年のことで、福地桜痴居士(ふくちおうちこじ)がいえるごとく、六十八歳より以後の五年間を、わずかに布教的に学事に心を用いたらしくみえる。されば孔子は権利思想の欠けたる社会に人となり、しかも他人を導く宗教家として世に立った訳ではないから、その教えの上に権利思想が画然としておらぬは、已むを得ないのである。
しかるに基督はこれに反し、全く権利思想に充実された教えを立てた。元来、猶太(ユダヤ)、埃及(エジプト)等の国風として予言者というような者の言(ことば)を信じ、したがって、その種の人も多いのであったが、基督の祖先たるアバラハムより基督に至るまで、ほとんど二千年を経ている間に、 モーゼとかヨハネとかいう幾多の予言者が出て、あるいは聖王が出て世を治めるとか、あるいは王様同様に、世を率いて立つ所の神が出るとか言い伝えていた。この時に方(あた)って基督は生まれたのであったが、国王は予言者の言を信じ、自己に代わって世を統ぶる者に出られては大変だという所から、近所の子供を皆殺させたけれども、基督は母マリヤに連れられて他所へ行ったために、この難を免れた。耶蘇教は実にかくのごとき誤夢想的の時代に生まれた宗教であるから、したがって、その教旨が命令的で、また権利思想も強いのである。
しかし基督教に説く所の「愛」と論語に教うる所の「仁」とは、ほとんど一致していると思われるが、そこにも自動的と他動的との差別はある。例えば、耶蘇教の方では、「己の欲する所を人に施せ」と教えてあるが、孔子は、「己の欲せざる所を人に施す勿れ」と反対に説いているから、一見義務のみにて権利観念が無いようである。しかし両極は一致すといえる言のごとく、この二者も終局の目的は遂に一致するものであろうと考える。
しかして余は、宗教としてはた経文としては、耶蘇の教えがよいのであろうが、人間の守る道としては孔子の教えがよいと思う。こはあるいは余が一家言(いっかげん)たるの嫌いがあるかもしれぬが、ことに孔子に対して信頼の程度を高めさせる所は、奇跡が一つもないという点である。基督にせよ、釈迦にせよ、奇跡がたくさんにある。耶蘇は磔(たく)せられた後三日にして蘇生したというがごときは、明らかに奇蹟(きせき)ではないか。もっとも優れた人のことであるから、必ずそういうことは無いと断言もできず、それらは凡智の測り知らざる所であるといわねばなるまいが、しかしこれを信ずれば迷信に陥りはすまいか。かかる事柄を一々事実と認めることになると、智は全く晦(くら)まされて、一点の水が薬品以上の効を奏し、焙烙(ほうろく)の上からの灸が利き目あるということも、事実として認めなくてはならなくなるから、そのよって来たる所の弊は甚だしいものである。日本も文明国だといわれていながら、まだ白衣の寒詣(かんまい)りや、不動の豆撒きが依然として消滅せぬのは、迷信の国だという譏(そし)りを受けても仕方がない。しかるに孔子にこの忌むべき一条の皆無なのは、余の最も深く信ずる所以で、またこれより真の信仰は生ずるであろうと思う。
論語にも明らかに権利思想の含まれておることは、孔子が「仁に当たっては師に譲らず」といった一句、これを証して余りあることと思う。道理正しき所に向かっては、飽くまでも自己の主張を通してよい。師は尊敬すべき人であるが、仁に対してはその師にすら譲らなくもよいとの一語中には、権利観念が躍如としているではないか。独りこの一句ばかりでなく、広く論語の各章を渉猟(しょうりょう)すれば、これに類した言葉はなおたくさんに見出すことができるのである。
本節は、多くの人が論語には権利思想が欠けていると誤解していると指摘します。渋沢先生は、孔子の教えが権利思想に乏しいように見えるかもしれないが、これは表面的な観察に過ぎないと述べています。
孔子は宗教家ではなく、教育者であり、その教えは道徳的であり、人道に関連しています。孔子の教えには権利思想が含まれており、それは孔子が「仁に当たっては師に譲らず」と言った一節にも表れていると言っています。つまり、思いやりや人間らしい善良な行いである仁についていうならば、自分が信じる仁については師匠に言われても信念を曲げてはならぬ、というわけですね。また、個人が自己の道徳的な信念を堅持し、正しいと信じることに対して責任を持つべきであることを強調しています。たとえその信念が権威ある人々や師からの教えと異なる場合でも、正義と良心に従うことが重要であり、個人の内面的な道徳的強さと自立を促す一節です。
また、キリスト教の「愛」と論語の「仁」はほぼ同一のことで自動的か他動的かの違いであるとの話が面白い。例えば、キリスト教が「己の欲する所を人に施せ」と教える一方、論語では「己の欲せざる所を人に施すなかれ」と反対に説いている。
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そこで、最近月次で通う滋賀のあねがわ温泉の廊下に貼ってある張り紙を思い出した。
「できることをさせていただく。できないことは助けていただく。」
権利のうらはらに無理な義務が生じて自滅しがちな自己主張ばかりをするのでなく、させていただく精神の他己主張をすることで「愛」や「仁」を無理なく社会に取り戻すことがこれからは大事なのかもなと思った次第です。