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論語と算盤⑥人格と修養: 8.東照公の修養

東照公に驚くべきは、神道仏教儒教等に大層力を入れられたことである。これに向かって種々(しゅじゅ)の調査をなされて、その隆興を計ったことは容易でない。これも歴史家の相当の批評もありましょうが、私は特に文政を修められたについて、深く敬服する。仏教には梵舜(ぼんしゅん)という人がありますが、これはあまり立派な学者ではなかったために、東照公も感心なさらぬで、後に南光坊天海(なんこうぼうてんかい)によって仏教をお取り調べになり、儒教では藤原惺窩(ふじわらせいか)を第一に聘(へい)し、尋いでその弟子の林道春(はやしどうしゅん)を御儒家として、立派にその家を立てた。且つこの儒教を尊んだことは、頗る重かったようであった。ことに東照公は、論語中庸をよくお読みなすったことは、歴史に明記してありますからして、諸君も御記憶でありましょうが、神君の遺訓と称して平仮名交じりの文章がある。すなわち、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず……云々」。私はかようによく覚えております。この遺訓は全く論語から出ております。東照公が論語をよくお読みなすった証拠であります。「士は以て弘毅(こうき)ならざるべからず、任重くして道遠し。仁もっておのが任となす、また重からず、死してのちやむ。また遠からずや。」。これは曾子という人の語で、論語の泰伯(たいはく)篇にあります。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」と全く同意味であります。また末段の「及ばざるは過ぎたるよりまされり」は、孔子の言(ことば)から出たのです。しかして孔子は「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と言ったを、公は「勝れり」と強くしたのです。これらの批評はこれだけで止めますが、とにかくこの御遺訓が論語より出たということは、諸君にも明瞭にお解かりでありましょう。その他にもこの道徳については、よほどお心を用いられたものと見える。元亀天正の頃はあの通り乱世が打ち続いて、世の中に文学趣味などは、ほとんど無くなり、仁義道徳の何者か分からぬという時に、誰が申し上げたともなく、夙(と)くすでに、文学を盛んにしなければならぬということについて御心を労され、しかもそれが根本的文学であって、切に仁義道徳を重んずる主義をもって、全然朱子学を用いられたように思います。爾来(じらい)、追々と経学にも各派が生じて参りましたが、林家では徹頭徹尾、朱子学を主としておる。東照公のこれらの御用意は、如何なる御手際であるか。私は敬服にあまりありという外ない。さらにまた注目すべきは仏教であります。仏教についても、よほど御注意が深く御穿鑿(ごせんさく)が届いたようであります。初め三河の大樹寺(だいじゅじ)に帰依して、大樹寺の僧侶と御親交があったようであります。しかして大樹寺は浄土宗であります。尋(つ)いで芝の増上寺(ぞうじょうじ)の住職をも召され、駿河にお移りになってからは、金地院(こんちいん)の崇伝承兌(すうでんじょうだ)などを御用いになり、後には東叡山(とうえいざん)を開いたる南光坊天海、すなわち慈眼(じげん)大師号を受けた人である。この天海は実に僧侶中の英雄である。英雄と言っては少し形容に過ぎるけれども、僧侶中の傑出した人であった。ことに精力絶倫で、しかも百二十六まで生きたという人でありますから、大隈侯の予定より一年余計に生存した。東照公は深くこの天海に御帰依になって、しばしばその説をお聴きなされたように見受けられます。この頃も南光坊天海の伝記を調べつつおりますが、するがにおいて公は、しばしばその法談をお聴きなされた、長い年月の間にはどれほどであったか分明(ぶんみょう)ならぬが、天海の伝記に書いてありました所では、ある年の九十日の間に六、七十回の法談があったといってあります。たとい御隠居であっても、江戸から始終文書が往復する。京都からの往復も同様であろうから、なかなか閑散で能楽とか茶事三昧に日を暮されたのではなかろう。しかし寸暇あれば、その間に法談に御出座なすったのであろうと思います。『徳川実記』には詳しく書いてありませぬが、南光坊天海が常に顧問となって、いろいろの得話(おはなし)を申し上げたいということである。

渋沢先生は、東照公(徳川家康)が神道、仏教、儒教に深い関心を持ち、それぞれを研究し、振興に努めたことを高く評価しています。特に儒教への尊重を挙げ、藤原惺窩や林道春を重用したことを例として挙げています。東照公は「論語」や「中庸」を熱心に読み、その教えを自身の哲学に取り入れていました。

また渋沢先生は、東照公の遺訓が「論語」からの引用であることに注目し、その哲学的深さと実用性を評価しています。また、乱世の中で文学や仁義道徳を重んじた点、仏教に対する理解や支持を深めた点も強調しています。

徳川家康は精神的・文化的な面での強い影響力を持った人物であり、それらのおかげで江戸幕府が約260年の長期政権を築けたといえるわけですね。

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