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論語と算盤①処世と信条 2.士魂商才

 昔、菅原道真は和魂漢才ということを言った。これは面白いことと思う。これに対して私は常に士魂商才ということを唱道するのである。和魂漢才とは、日本人に日本の特有なる日本魂というものを根底としなければならぬが、しかし支那は国も古し、文化もはやく開けて孔子、孟子のごとき聖人、賢者を出しているくらいであるから、政治方面、文学方面その他において、日本より一日の長がある。それゆえ、漢土の文物学問をも修得して才芸を養わなければならぬという意味であって、その漢土の文物学問は、書物もたくさんあるけれども、孔子の言行を記した論語が中心となっておるのである。それは尚書、詩経、周礼、儀礼、などの禹湯文武周公(うとうぶんぶしゅうこう。古代支那の聖人。)のことを書いた書物もあるけれども、それとてもやはり孔子の編さんしたものと伝えられてあるから、漢学といえば孔子の学。孔子が中心となっているのである。その孔子の言行を書いた論語であるから、菅公も大いにこれを愛誦し、応神天皇の朝に百済の王仁が献上した論語、千字文の調停に伝えられたのを筆写して伊勢の大廟に献じたのが世に菅本論語といって現存しているのである。
 士魂商才というのも同様の意義で、人間の世の中に立つには、武士的精神の必要であることは無論であるが、しかし、武士的精神のみに偏して商才というものがなければ、経済の上から自滅を招くようになる。ゆえに士魂にして商才がなければならぬ。その士魂を養うには、書物という上からはたくさんあるけれども、やはり論語は最も士魂養成の根底となるものと思う。それならば商才はどうかというに、商才も論語において充分養えるというのである。道徳上の書物と商才とは何の関係が無いようであるけれども、その商才というものも、もともと道徳をもって根底としたものであって、道徳と離れた不道徳、欺瞞、浮華、軽佻の商才は、いわゆる小才子、小利口であって、決して真の商才ではない。ゆえに商才は道徳と離るべからざるものとすれば、道徳の書たる論語によって養える訳である。また人の世に処するの道は、なかなか至難のものであるけれども、論語を熟読翫味(がんみ。よく味わうこと。)して住けば大いに覚る所があるのである。ゆえに私は平生、孔子の教えを尊信すると同時に、論語を処世の金科玉条として、常に座右から離したことはない。
 わがくにでも賢人豪傑はたくさんにいる。そのうちでも最も戦争が上手であり、処世の道が巧みであったのは、徳川家康公である。処世の道が巧みなれはこそ、多くの英雄豪傑を威服して十五代の覇業を開くを得たので、二百余年間、人々が安眠高枕することのできたのは実に偉とすべきである。それゆえ処世の巧みな家康公であるから、種々の訓言を遺されている。かの「神君遺訓」なども、われわれ処世の道を実によく説かれている。しかしてその「神君遺訓」を私が論語と照らし合わせてみたのに、実に符節を合わするがごとくであって、やはり大部分は論語から出たものだということが分かった。例えば「人の一生は重荷を負って遠き道を行くがごとし」とあるのは、論語の「士はもって弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁もって己が任となす。また重からずや。死してのちやむ。また遠からずや。」とある。この曾子の言葉とまことによく合っている。 また「己れを責めて人を責むるな」は、「おのれ立たたんと欲して人を立て、おのれ達せんと欲して人を達す」という句の意を採られたのである。また「及ばざるは過ぎたるより勝れり」というのは、例の「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」と孔子が教えられたのと一致しておる。「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え」は「克己復礼」の意である。「人はただ身のほどを知れ草の葉の、露も重きは落つるものかな」は分に安んずることである。「不自由を常と思えば不足なし、心に望み起こらば、困窮したる時を思い出すべし」「勝つことばかりを知りて負くることを知らざれば、害その身に至る」とある。この意味の言葉は論語の各章にしばしば繰り返して説いてある。
 次に、公が処世に巧みであったこと、二百余年の大偉業を開かれたことは、たいてい論語から来ているのである。
 世の人は漢学の教うる所は禅譲討伐(ぜんじょうほうばつ。古代支那で王朝が交替するときの二つの方法のこと。禅譲は君主が徳の高い人物に帝位を譲ること、放伐は悪逆で帝位にふさわしくない君主を有徳の人物が討伐すること。)を是認しておるから、わが国体に合しないというが、そは一を知って二を知らざる説である。孔子の「子、韶(じょう。あきらかなこと。)をのたまわく、美を尽くせり、又た善を尽せり。武をのたまわく、美を尽せり、未だ善を尽くさず。」とあるのを見ても明らかであって、韶という音楽は堯(ぎょう)舜(しゅん)のことを述べたので、とにかく堯は舜の徳を悦んで位を譲ったのである。ゆえに、そのことを歌った音楽は実に善美を尽くしている。しかるに武という楽は武王のことを歌ったので、たとえ武王は徳があったにせよ、兵力をもって革命を起こし位に登ったのであるから、したがって、その音楽も善を尽くさないと言っておられる。孔子の意では、革命ということは望ましいものでないということが充分にみることができる。何でも人を論ずるには、その時代というものを考えなければならぬ。孔子は周の代の人であるから、充分に露骨に周代の悪しきことを論ぜられないから、美を尽くせりまだ善を尽くさずというように、婉曲(えんきょく)に言っておるのである。不幸にして孔子は、日本のような万世一系の国体を見もせず、知りもしなかったからであるが、もし日本に生まれ、または日本に来て万世一系のわが国体を見聞したならば、どのくらい讃歎(さんたん)したかしれない。韶を聞いて美を尽くし善を尽くせりと誉めた所ではない。それ以上の賞讃尊敬の意を表したに違いない。世人が孔子の学を論ずるには、よく孔子の精神を探り、いわゆる眼光紙背(がんこうしはい)に徹する底の大活眼をもってこれを観なければ、皮相に流れる虞(おそれ)がある。

本節はちょっと長いです。それだけ渋沢先生も好きな教えなのかもしれません。私としても孔子、孟子、道真公、家康公といった方々にはっきりと言及されているところなど大変わかりやすくて好きな節です。

特に江戸幕府が260年以上続き、人々が平和に暮らして繁栄をみることができたのも、徳川家康公が論語を正しく学び正しく行政に活用したおかげとあります。江戸幕府は大英帝国や長州薩摩といった外圧によって消滅するに至ったわけですが、現代世界もとりあえず宇宙人による外圧はまだないみたいですので、地球が自滅しない道を進むためにも「論語」からヒントを得るのは意味のあることかと思われます。その具体的なヒントは今後読み進めるに当たって見つけられるといいなと思うわけですが、本節では「もし(孔子が)日本に生まれ、または日本に来て万世一系のわが国体を見聞したならば、どのくらい讃歎(さんたん)したかしれない」とあります。すなわち、日本の国家体制にこそ論語の実践があると渋沢栄一先生は語っているわけですが、この国民は陛下を敬い陛下は国民の幸福を祈るという関係に、算盤、すなわち経済のうまい考え方を取り入れることで、マルクスや革命を妄信することなく、歴史を大切にし、多様性を正しく許容し、人類みんなが心の平安を保って生活できる持続可能な社会に少しでも近づくのかな思います。

ちなみに「支那」という言葉は共産党によると差別用語とされ、最近では戦前の文章についても「中国」と変換され、原書の意味が損なわれる事態をまねいています。本書は「原書の意味を変えることなく現代人に読みやすく」というのがモットーですし、渋沢先生も「政治方面、文学方面その他において、日本より一日の長がある」とおっしゃっているように支那への尊敬の念を持って「支那」と表現されていますので、まったく差別用語に当たらないと判断し、そのままの文字を使わせていただきました。

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