2024年6月6日原宿クロコダイル。山内テツさんに会えた。音楽編
前回の投稿に続き、今回は山内テツさんと嶋田吉隆さんによるユニットのライブ「Meets Duo 3」の音の印象を、僕なりに感じたことを書いていこう。
オープニング、まずドラマーの嶋田吉隆さんのドラムソロから始まった。微細な音から始まり、様々に形を変えてリズムが、音が繋がっていく。
地面に落ちた雨が土に染み込み、そして石と石の間を通り抜け、やがて岩のヒビに染み込む。それから更に時間をかけて、また地表に染み出す。染み出した水滴はせせらぎに変わり、渓流となり大きな川となる。嶋田さんのドラムを聴いていると、そんな映像が見えてくる。演奏が始まった途端、脳内で水の長い旅のドラマが始まったのでした。
山内テツさんの奏でる音は風の音だ。風神の山内テツが、風袋の口の具合を操ると、音は無限に形を変える。そして同じ形の風は再び出現することはない。
風の音は水の音と絡み、不思議な音となる。水も風も同じ形のものは無い。やがて風は川から少しずつ水を連れて行く。その水は、どこかで雨となり、雨は緑を育て、生き物の喉を潤す。空を見上げると虹が出ているだろう。
この川は三重県の宮川という川。2人の演奏中、僕はずっとこの風景の中にいた。音も風も水も、同じものは二つとない。音は出た瞬間から消えていく。出た瞬間から過去のものとなる。1音出したら次の音を出さないと、音の世界の時間は止まる。大切なのは過去より今、そして未来。いい音が出たからといってそれに酔いしれていたら次の音は出せない。次はもっといい音が出るかもしれないのに。
だから音は人生と似ている。この2人の音を記録することはできるが、果たしてそれが必要だろうか?川の水を汲み取ることはできるが、その水はもう流れない。風も袋に封じ込めることは可能だろう。しかしその中にあるのは動きを止めた空気でしかない。山内テツ、嶋田吉隆の音は唯一無二だから、移ろいゆくものだから、録り残すということは音を缶詰の中に封印することに等しい。音を生き物であり続けさせるためには、新しい音を求めるしかないのかもしれない。山内テツという人は音で絵を描く人だと思っている。ただし、キャンパスは聞く人の心の中にあり、そこに描かれた絵は人それぞれ、そしてその人にしか見えない。
風神と水神の語らいを、僕はいつか、大自然の中で聴くことができたらと願っている。
山内テツさんのX(旧Twitter)
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