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浪人生、友人関係の変化に戸惑う。


浪人生にとって、大学生の友達と会うことはメンタル面で非常にリスキーである。自分が手にできなかったキラキラな大学生活を見せられたら、メンタルにどう響くか容易に察しがつくだろう。しかし、私はただの浪人生ではなく堕落した宅浪生なので、誰かと話したい欲を抑えきれず、久しぶりに、この2週間で4人の友達と会った。毎日遊んで、お泊まり会もした、幼馴染とも言える4人。

しかし会った後、私は少し寂しい思いになった。



久しぶりに会った友達は、大学に入って見違えるほど変化し、話についていけなくなり寂しくなった。






訳ではなく、



私が、浪人生活を送る上で、考え方や価値観が大きく変わってしまったのである。それに伴い、親しかった友達といても楽しめなくなってしまった。

人の性格や価値観は一定ではないし、その時々で友好関係は変化していくものだ。いや、わかっている。だが、特別気が合い、運命共同体と本気で思っていた友達すらも淘汰されゆく可能性に気づき寂しくなったのである。

浪人生活による、1人で思考する時間の過多で、人に興味を持てなくなってしまったのではないかとすら思えてきて怯える。

例えば、
昔なら積極的に質問していた「近況報告」がどうでも良くなったこと。
(まあ、自分がつまらない浪人生活を送っているから大学生の近況に興味を持てないのは自然ではあるが。)
さらには、SNSやYouTubeに嫌気がさしたことにより、インスタ映えに奮闘する友人を見てられなくなったこと。
1人が最高ということに気づいたことで、つまらなそうな友人関係にウジウジ悩む人を見ると残念に思えてしまうこと。

友人関係に悩んでいた学生時代の私なら、他人の友人関係の悩みにも寄り添えた。
インスタ映えを気にしていた昔の私なら、インスタを常に監視する友達も許容できた。
報告したい近況があった昔の私なら、他人の報告にも興味が持てた。


やはり、浪人生活は凄まじい影響を及ぼすのだ。

物事を深く考えるようになったことや、もっと自己主張する気になったこと、SNSやネットに囚われなくなったことはプラスの影響のように思う。
一方で、人に興味が持てなくなったことはマイナスの影響と思わざるを得ない。
人に興味を持てないと、意見を求めたり対話することができないし、新たな発見を得ることができない。なにより一緒にご飯を食べてくれる友人ができないのは寂しいことだ。


しかし、もしかしたら、今自分が興味のある分野についてなら他人と楽しんで語り合えるかもしれない。私が興味を持てないのは「人」ではなく、「昔の友達」なのかもしれない。興味のある分野について話せる相手には、昔の彼らとの関係のように、ドーパミンがドバドバ出るかもしれない。


けれども私は浪人生。
今は新たな友人関係を構築することは出来ない。
浪人生の本分は勉強することであり、語りたいことを語る相手を探すことではないことは百も承知である。
大学生になったら、興味を持てる相手が現れるだろうか。
現れてくれないと困る。
私は、1人で思考する時間も好きだが、誰かと話す時間も好きだから。


直接語り合うことができない今は、興味のあるnoteでも読んで、紛らわすしかないだろう。

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