白いキャンバスに萎縮する。
昔から絵を描くことが好きだった。
一人っ子で両親共働きだったのもあり、幼少期はよく1人で絵を描いていた。
保育園に行っても、親に連れられて図書館に行っても、夕飯の前後も、授業中でも、テスト中でも、多分暇さえあれば絵を描いていたと思う。
小学生の時はイラスト漫画クラブに入ってちょっとした漫画を描き、友達の家がやってる絵画教室で絵を描き、クラスでは多分一番上手だと自負してた。
その頃は、難しいことは考えずただ欲求のまま想像力が突き動かすままに、無心で描いてた。すごく楽しかった。
中学生になり、バレー部に入ったことで絵を描く暇がなくなった。部活に汗水流して、友人関係で悩んで、YouTubeに時間を浪費して。そんな中ももたまーに絵を描いてインスタに投稿してたけど昔より熱中はしてなかった。また、美術部という存在を知り、もちろん入部している子たちは私より全然上手いので、絵のうまさは私のアイデンティティとなり得なくなった。
高校も一緒。なんならもっと描かなくなった。バレー部と勉強に追われる中で絵を描くなんてことは考えもできなかった。高校の美術部の連中は本当にすごくて、あー私そんな絵上手くないわ、こんなもんかー、趣味って言えないかも。
と、どんどん絵を遠ざけた。
そして浪人の今。
真面目とは程遠い浪人生活を送っている私は、Netflixも見飽きて、巨大なブランクを抱えた「絵を描くこと」に手を出し始めた。
が、全然描いてこなかったものだから、白紙の裏紙にいざ書こうと思っても、萎縮してしまう。創造力がまるで働かない。頭かっちかち。
ああ、しんどいな。
まずどこから、何から、描き始めればいいんだろう。
19歳になった私の頭は、幼少期にはなかった「正しい絵を描け」というある種の強迫観念に似たもので支配されてしまっている。
「均衡が取れていないとだめ。」「もっと写実的に。」「つまらないものを描くな。」と。
コイツが創造力の邪魔をする。
かと言って、絵の書き方の本を買って読もうとはしないのである。浪人生だから絵の本なんて読んじゃダメだしな〜と言い訳をして。まず、浪人生が絵を描くなっちゅう話である。(しょうがない、欲に流されてしまうのだから。両親には申し訳ない。そろそろ頑張るよ、、、、。)
今までは人の絵をよく描いてきたが、やっぱり絵が上手い人なら風景画もかけるだろ!という憧れから、風景画や架空の街を描きたいと思うようになってきた。
しかし、描き慣れた人物画ならまだしも風景画となると本当に心理的負荷がかかる。風景画を描いている人たちも最初はそうだったのだろうか?
では、負荷がかかることになぜ挑戦したくなるのか。なぜ憧れるのか。
先日初めて風景画を描いた。歪みまくって、消失点を意識しすぎて不思議な絵になってしまったのにも関わらず、描き終えた後は物凄い達成感であった。
うわーかっけえ!すげえ!
という感じ。
下手だと自覚しているのにめちゃくちゃ嬉しかった。
この絵を描いた時も最初は不安感や戸惑い、ストレスを感じながら描き始めた。
でもだんだんノってくると創造力が重い腰を上げ始め、完成までズバーーー!っと駆け抜ける。自分だけの世界を創る楽しさ。奥行きが上手く描けたときの嬉しさ。描き始めこそしんどいが、やっぱり風景画は楽しいものなんだと思えた。
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小さい頃は、「自分の絵は上手い!」「絵を描くの楽しい!」という純粋無垢な感情のみであった。
様々な漫画家の絵やイラストレーターの絵を見てきた今では、ああ、こんな風に描けたらいいな、羨ましいな、私にはできないな、だって思いつかないし、、、下手だし、、、と無意識に創造力に蓋をしてしまいがちである。
描きたいのに、白いキャンバスが無言の圧をかけてくる。
でも鉛のような最初の一歩を踏み出してしまえば、
鋼鉄でできた蓋をなんとかどかせば、
そこは夢の楽園である。
これからも多分萎縮すると思う。
萎縮しなくなる方法は果たしてあるのだろうか。
何も知らなかった頃には戻れない。
けど、萎縮する今だからこそ、描ける何かがあるのかもしれないと希望的観測を抱きつつ、そろそろ勉強します。笑
無事大学生になったらたくさん描こう。