My name is 阿修羅
阿修羅像みたいだな、わたし。
阿修羅像ってほら、顔がみっつ、腕が6本のあの仏像。
顔がとか体がとかじゃなくて(そうだったら怖い
精神的にね。
ひとつめの顔は母親
ふたつめは妻(この言い方好きじゃないけど伝わるからね
みっつめがわたし。
働いてる時はみっつめは先生だった。
何も教えられるようなことない大人だけど、保育園ではそう呼ばれるんだよな。
出産して今は働いていないから「先生」じゃなくなって
そのお面をとって残ったのがわたし。
一日の大半はひとつめの顔で過ごす。
夜になるとふたつめの顔を頑張って作る。
みっつめの顔が、どんな顔してるのかわからないまま
毎日が過ぎていく。
今日もひとつめの顔で起きて、
その顔のままレースカーテン越しに夕日が沈んでいった。
わたしって、どんな顔してるんだっけ?
どんなことをしたくて、どんなことで楽しくて
どんなことが悲しいんだっけ?
阿修羅像のみっつめの顔を覗き込むけど
ぼやっとしててよく見えない。
わたしの顔をひとつめに持ってくることは
どうやら今は難しいけれど
どんな顔をしてるのかだけでも
はっきり思い出したいな。
阿修羅像の腕6本はほら、
腕がもう一本あったらな!の瞬間て
お母さんやってるとたくさんあるでしょ。
その欲張りバージョンよ。
6本あったら、なんでもできちゃうね。
でもね、そんなになんでもできなくていいのよ。
2本でいいの。
他の人に助けてもらうんだよ。
手袋もたくさんいるし、
ハンドクリームも永遠に塗らなきゃだしね。
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