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遠い太鼓を聴きながら

僕はほとんど旅行に行ったことがない。

そもそも北海道の田舎から横浜へ出てきているので、実家への帰省自体が旅行のようなものだ。

僕が北海道の片田舎から、横浜の大学へ進学したときのことだ。

両親が引っ越しの手伝いにこっちに出てきたのだが、新しい6畳一間のアパートは皆で泊まるには狭すぎる。同じく手伝いに来てくれた叔母の家に皆で泊まることになった。

僕は神経質で枕が変わると寝付けないたちなので、襖の向こうからの話し声に自然と耳を傾けていた。

「本当に手間のかからない子で、何にもしてやれなかったんだよね」

母はそう言った。

「旅行にも連れて行ってやれなかったなぁ」

父もそうつぶやいていた。

「そうねえ。いつか旅行に連れて行ってやりたいね。どこにも連れて行ってやれなかったから」

母はしんみりと言った。

襖の向こう側で、聞いていた僕は

「そんなことを気にしていたのか」と思った。

僕はそれほど旅行が好きなタイプでもなく、家でひとりで本を読んでいるのが好きだった。

それに旅行に連れて行ってもらった思い出はある。

北海道にはサンパレスという宇宙一の大浴場があって、お風呂のディズニーランドいっても過言ではないくらいなのだ。

もうテンションマックスで滑り台を滑って、尻の皮がむけて翌日はヒリヒリして滑り台を滑るどころではなくなるくらいに楽しいのだ。

ものすごく楽しかったという思い出があるので、旅行に連れて行ってもらえなかったとか、不自由をした思いはない。

それでも親というものは、何かしてやれなかったという思いが強いのだろう。


大人になっても相変わらず僕は旅行にそれほど興味はない。


大沢たかおの「深夜特急」のドラマを見て、本も買って読むほどには旅行に憧れもある。

藤代冥砂の「ライド・ライド・ライド」を読んで、生々しさの中の切なさに涙したり、村上春樹の「遠い太鼓」を読んで、旅というよりその場所で生活をしながら移り住んでいくのは好きかもしれないと思ったりもしていた。

僕にとって海外旅行は本の中で十分だった。

そんな僕でも海外旅行に行くチャンスが2回だけあった。

1回は大学のゼミ合宿をグアムでやると教授が言い出したときだ。

ゼミ幹の僕は準備に奮闘したのだが、

「国際学会行くからやっぱやめるわ」

という教授の一言で、立ち消えになった。

もう1回は大学の時に告白して振られた女の子に、インドへふたりで旅行へ行こうと誘われたときだ。

「なんで僕なの?」と聞くと、人して信頼できるし、一緒に行ったら楽しいだろうなと思った、というようなことを言われたと思う。

ヘタレな僕でも好きな子に誘われ、しかも2人きりでの旅行などというチャンスに、即パスポート取得と旅費の工面にあたった。

実家に借金を申し入れると母は

電話口で「インドなんて大丈夫かい?」と心配をした。

「誰と行くの?」

なんとも答えにくい質問であるけど

「女の子と」

とだけ答えると、母は深くは聞かずに

「気をつけて行きなさい」

とだけ言ってお金を貸してくれた。

申し出た金額よりかなり多く振り込まれていたので、他の金策をせずに済んで助かった。

「母さん。ありがとう。このお金はいつかお母さんを旅行に連れて行って帰します」と心の中で感謝した。

大学の休みから逆算すると、即パスポートを取りに行かなければならず、あたふたと準備をしていると彼女から

「やっぱりやめる」

と電話が来て、取りやめになった。

「自分のことを好きとわかってて、こんなことを頼むなんて失礼だなって気づいた」

と彼女は言った。

僕はそれでもよかったのだけど。

結局、僕は一度も海外旅行をしたことはない。

国内も結婚式に出席するために博多に1泊しただけだし、あとは修学旅行で行った大阪、京都、奈良くらいだ。どうも興味がないのと同時に縁もないらしい。


親孝行に旅行がしたい。


そんなことをふと思ったのは数年前だ。

両親が旅行も連れて行ってやれなかったと、気を病むのであれば一緒に旅行へ行けばよい。

子どもがみんな手を離れて、両親はそれぞれに旅行へ行くようになった。

そして旅のみやげ話を電話してくるたびに

「あんたも旅行すればいいのに」

と、僕に言うのだ。

忙しくて休みも取れず、実家にすら帰らない僕にたまには休めという気持ちと、いつまでも僕に何もしてやれなかった思いを抱えているのかも知れない。

自分のためではなくて、母親のために温泉地でも連れて行ってのんびりしよう。それが親孝行にもなるのかなと、

そう思っていた矢先。

母が亡くなった。

本当にあっけなかった。

たまたま亡くなった朝、母から電話が来た。声が少し疲れている気がして「大丈夫?」と声をかけそうになったが、仕事に遅れそうだったのでそのまま電話を切った。

その1時間後に心筋梗塞で死んだ。

いつか。

そのうち。

ああしていれば。

それはもうこない。

だから僕は

「この春、旅行がしたい」

世の中はコロナ禍で不要不急の外出は自粛する様に呼びかけられている。GoToトラベルも停止されて、再開の見通しも不透明だ。

そのうち。

いつか。

そうしてるうちに、旅行すらできない世界になってしまった。

僕はどこに行こうか地図を眺めては考える。

毎週末に旅行をして日本のすべての県を回るのはどうだろう。

近くて行っていない名所をゆっくり巡るのも良いかもしれない。

思いっきり時間をとってヨーロッパなんてのは欲張りすぎか。

多分、旅行ができる世界はコロナと共に生きる世界か、コロナが収束した世界だ。

「この春、旅行がしたい」

きっと僕は旅行しないだろう。

でも、僕は願う。

不要不急の外出を避けて、手洗いをして、マスクをして待って。

仏壇の母の写真の前でみやげ話をする未来を。




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