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- おじさんの追憶 vol.14- 1999年 トルコの大地とおいでイスタンブール♪♪



おいでイスタンブ〜ル〜♪

私、庄野真代さんのファンではないのですが(そもそも古い!)、、、今回はトルコです。時期は1999年7月下旬。ブルガリアから夜行電車でイスタンブール入りしました。

訪れた街や地域はこの辺り。トルコ、見どころ多くてパンチ力がある国です。

イスタンブールはトルコの首都ではないですが、歴史があり大きな街です。日記と辿ると、着いた日はサッカーの名門、ガラタサライとフェネルバフチェの一戦がある日だったようです。時期的にリーグ戦前の試合ですかね。印象に残っているのは、まずガラタ橋。ゴミゴミ具合が活気を感じて良かったです。そして、サバサンドとムール貝のピラフ詰め。この街の定番グルメです。

この街はヨーロッパとアジアの交差点。これはボスポラス海峡を撮ろうとしたのか
な。

ブルーモスク、トプカプ宮殿、アヤソフィアといった旧市街の名所も回りました。トプカプ宮殿を一緒に回った小柄な女の子、かわいかった記憶を思い出しました。デッカイレンズを付けた一眼レフを抱えてね。安宿とかで盗まれるなよって。1年アメリカに留学してからの卒業旅行だって、書いてありました。今何してるのかな。

スルタン、聞いたことありますね。オスマン帝国時代のパレードです。

滞在した安宿はムーンライト。まだあるのかな。ここでも夜な夜な旅人から刺激を受けました。アジアを横断してきた人が何人かいたんです。泊まっているのは日本人ばっかりでほぼ学生や若者だから、話すトピックは見聞録から次第に政治、映画、あとは本ですね。当時は沢木耕太郎もそうですけど、猿岩石のユーラシア大陸ヒッチハイクがインパクトありましたからね。旅の垢でボロッボロのシャツはこの街では勲章のようなもので、ここから西へ向かうと、段々浮いてくるんです、小綺麗な街の中で。

今思うとですが、こういう安宿で、見ず知らずの人と終わりのない議論、と言うより大概視野の狭い思い込みかロジックが崩壊した思い付きか、を乱暴に押しつけ合うのって、もう今はやらないから、悪くなかったなって。酒も入るし、言葉も雑で、傾聴とは180度反対ですよ。日記を読むと居酒屋トークの延長線ですけどね。
やれ配慮に欠けるだ、炎上だって、モノを言うには必要以上に気を付けないといけない現代社会からすると、当時が羨ましいです。

宮殿かモスクか、カメラ持ち込みOKのところから撮影した金角湾。

奇岩の大地!カッパドキア

カッパドキアは、世界遺産にも認定されていて、有名な観光地です。今見ると、大地と気球が印象的ですが、当時は気球なんてあったっけな。覚えてないな。イスタンブールから夜行バスで移動しました。ちなみに、トルコ語でオトガルというのがバスターミナルのことで、日記によく出てきます。

スターウォーズ エピソード1 のロケ地になったところです。当時公開直後でした。映画はその後ミュンヘンで観たんですけど、ドイツ語だから、チンプンカンプン。。。

ここは広大な場所なので、2日に分けて観光です。初日は有名どころを回るバスツアーに参加しました。日本人の観光客達と一緒でした。やっぱ、当時は旅行してるアジア人は日本人が多かったんでした。それから25年、状況は変わるもんです。

バスツアーの何を日記に書いてたかって、一緒に回った日本人の大学生姉妹の仲がすごく良くて羨ましいだって、なんだそりゃ。
この国を旅している間は、村上春樹の雨天炎天を読んでいました。

2日目は自転車を借りたんですって。なんか、今年の夏に新潟で同じことやってて、なんだかなぁ~。車じゃイヤなんでしょうね。脳みそへのインプットは体を使わないとダメなタイプなんだな、きっと。

カッパドキアっぽい奇岩の光景。
日記の中で、自転車のことは、チャリンコ、そしてチャリンコに乗る人をチャリダーって書いていました。

世界遺産エフェソス

カッパドキアからイズミールを経由してセルチュクという街へ移動。エフェソスという遺跡を訪問しました。世界遺産にも認定されたそうです。アルテミス神殿とかね、古代ギリシャ・ローマ時代の都市遺跡です。

日記には、”こんな岩や石ころを見て、千年以上前の生活が想像できる訳がない”って、想像力の欠片もないこと書いてました。。。
観光地には日本人とドイツ人が欠かせないって書いてあって。当時
よく言われていたのがドイツ人も確かに旅行好きなんですよ。

セルチュクの思い出は散髪です。カット!、ショート!ってやり取りはお互い単語のみでしょうね。よくわかんないけど、オーケーオーケー、アッハッハ〜って。残念なことに、このノリは四半世紀経っても変わることはありませんでした。。。

セルチュクで散髪。当時2000リラ=約6-700円。お店出る時に頬を合わせて軽くキスする習慣にドキマギしたと書いてありました。
トランプだか麻雀だか、じいさんたちが遊んでました。“チャイ”を飲みながら。

ドンファンとの出会い

トルコは熱っぽくってとてもエキサイティングだったのですが、一番のハイライトは韓国人のドンファンとの出会いです。紀州ではないです。彼は兵役があったから、私よりちょっと年上、スケボーを抱えて旅してました 。卒業旅行かな。最初の出会いは実はカッパドキア。彼はスケボー、私は自転車。その時は、そんなに絡みはなかったんですが、イスタンブールでバッタリ再会。そっから仲良くなったんだな。

イスタンブールで再会した時。私、ヒゲはやしてタバコなんか吸っちゃって。これが付き合いの始まりになるとは思いませんでした。

その後、私はミュンヘンへ。彼も西を目指すって言うんで、じゃあ、ドイツに来たらおいでよって。本当に来てくれて、私がいた学生寮に泊まってもらって。ベランダで酒を飲みながらタバコを吸って、単語英会話でなんか結構長い時間話した記憶があります。そうそう、彼、いつも青唐辛子とコチュジャンを持ち歩いてました。いや、ネタじゃなく。日記にも書いてあります。やたら勧めてくるって。

ミュンヘンの学生寮にて。アメリカのオハイオ州から来たジョンもそう言えばつながってますわ。

ドンファンとは続きがあります。私の旅は当然帰国があるんですが、帰国の途中に韓国に寄りましてね。旧交を温めたという訳です。それはまた別のチャプターで。

2000年の1月、帰国途中に韓国に立ち寄りました。写真はソウルです。

ちなみに、ドンファンとは今もつながってます。当然ですが、いい具合におっさんです。7-8年前には家族でミュンヘンに行ったみたいでね、写真が送られてきました。いいなあ、私もまた行きたいなあ、と思ったものです。

さて、このあとは・・・

トルコはリピートしたいって日記にありましたが、ドイツに行く前段はこれでおしまい。8月からはミュンヘン大学のサマーコースに参加するのです。さて、このあとは
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