四月は君の嘘
最近見て面白いと思った「四月は君の嘘」という物語について自分が感じた事をことを書き残す。
完全な #ネタバレあり 。
↓各話ごとの相関図をまとめておられる方のサイト。
いきなり話はそれるが、相関図というのは面白い。
少し前にシナジーマップについて書いたけれど、相関図はこれに近い。
相関図というのは関係性を表すもので、誰が誰を応援していて誰が誰に力をもらっているということが分かりやすい。
お金の流れとかを表現せずにどこからどこへとエネルギーが流れているかを表現する方が現代の日本人にとってはシンプルに理解しやすいと思うのでシナジーマップを描きたいと思っている人は相関図から入ってみるのもいいと思う。
さて「四月は君の嘘」。
主人公の有馬公生は幼くして母を失ったトラウマを一つの原因として自分の弾くピアノの音が聞こえなくなる。ピアノを遠ざけていた公生が天使のようなヒロインに出会って成長する物語。
物語の概要はそんな感じ。
成長するというとプラスのイメージだが、物語全体の明るさに比して公生の歩むべき人生は悲しみが付きまとう。
ピアノの先生である瀬戸紘子の言葉
「悲しみが成長させる―― 公生が進むなら失って進むのかもしれない」
という言葉が公生のピアニストとしての人生を端的に表現している。
有馬公生というピアニストはひとつの悲しみを背負うことで周りの想いも同時に背負うことができる表現者として描かれている。
つまり成長には悲しみが付きまとう。
自らが悲しみを背負うことで、人に寄り添うことのできる姿があまりにも清々しく描かれているので物語が美しい。
子供の頃に友人たちと橋の上から川に飛び込んで遊んでいた公生。
かをりはその輪にいなかったが中学生の今、なかなか前に進むことのできない公生を目の前にして制服のまま川に飛び込んで見せる。
公生は
君の言うことやること全て、キラキラ輝いていて、僕はまぶしくて目をつぶってしまう・・・でも、憧れずにはいられない。
この感性そのままに川に飛び込む。
夕日を背景に理性に縛られず、キラキラ輝くものに憧れるままにカッコいいとか悪いとか考えずに飛び出していく姿はあまりにも清々しい。
表現者としての彼の姿があまりにも清々しくて
「いてもいなくても一緒なら 一緒にいるよ 側にいるよ」
と椿にかけた言葉に説得力を持たせる。
がさつで不器用な幼馴染の同級生としての椿は公生にとって重要すぎるぐらい重要な存在として描かれている。
完結した物語の中でかをりは完全にヒロインだがあくまでも公生の人生の一部を切り取ったうちのターニングポイントでしかないような気がする。
公生が東日本ピアノコンクールで子供の頃のように舞台上でできない思いに支配されてしまった時、それを救ったのは椿の「くしゃみ」だった。
公生と椿の関係性はまさにこれで、全く関係のないステージにいるようで周りから見ると奇異に見えたとしても、決して断ち切ることができない深いところで繋がっている。
とはいえこの物語のヒロインは宮園かをり
最後の手紙がせつなすぎてひっくり返りそうになる。
そしてそのあとに正妻がきっちり回収に出てくる。
嘘っぽくないエンディングだった。
来世ではピアノを弾きたくなる話だった。