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短編2 罪と罰

何が正しいか、何が間違っているかなんてあるのだろうか。人は生きて死ぬ。それだけだ。勿論、一部の科学的な事象は人の観点で正しい、間違っているというのはあるのだろう。

「マサル、今日ね、お父さんが会社辞めたの。」
「どうして。」
「上司の意見に反論して言うことを聞かなずに、自分が正しいと思う事をしたら、結果的には大成功だったんだけど、就業規則を違反していてね。」
「そうか。」
「そうなの。立派よね、お父さん。」
「そうだね。でも、辞めるほどなのかな。」
「もうめんどくさいんだって。だから別に構わないんだって。社内では腫れ物扱いだろうから、だったら自主的に退職届けを出すみたい。処分される前に。」

僕は昔、親が話していたことを思い出していた。世の中の正しいことと間違っている事の判別は結局のところ、誰が決めるものではなく自分で決めるものなのではないだろうか。

生まれてから大人になるまで先人が作ったレールにのって価値観が固まっていく。対して疑問を抱かずに。まわりに合わせて働くということを選択した僕は今、「飲酒運転撲滅」という旗を掲げている。これ、ちゃんと効果あるのかな。そう思いながら。

「おい、マサル。言われたことをするな、自分のやりたい事をしろ。そのために求められる事をしろ。」
お父さんがよく口にして僕に言った言葉だ。

「なかなか難しいよ、父さん。」

僕は生活するために家賃、光熱費、食費が毎月必要で、自分のやりたい事をしようと思ったら仕事の僅な合間で時間を作るしかない。特にモチベーションが難しい。たまに徹夜もある仕事の後に、更にギアを上げてやる、という事がなかなかできない。最近ようやく考えが変わって心に余裕ができた。10年遅かったな、と思っている。

働いて分かったことは、最後の『求められる事をしろ』が最重要だということだ。みんなから“ありがとう”を集めると発言力が高くなる。そうすると、ある程度融通がきいて、自分がしたかった事ができるようになる。でも、その“ありがとう”を集めないと自分のやりたい事ができないわけじゃない。本気でやりたい事をすると、その“ありがとう”は必然とついてくる。つまり、はじめから自分のやりたい事を全力でやるべきだということだ。

革命。僕のやりたい事。現実を見ろと言われるだろうし、きっともう遅いかもしれない。でも、僕のタイミングは今なんだ。

僕は必ず嵐を起こす。それはきっと罪となり罰を僕に与えるだろう。それが試練だというのならそれも乗り越えよう。自分が正しくあるために。

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