【論考】SCARLET NEXUS:世界を救うのに愛なんていらない
※この投稿には「SCARLET NEXUS」のネタバレが含まれています。
今年のサマーセールの勢いで「SCARLET NEXUS」を定価買いしてしまった。
発売前から追いかけていたわけではなく、全く情報をキャッチしてなかったのだが、
プレイ画面を見て「なんか変わったゲーム作ってるなぁ」と興味はあった。
サマセで買うゲームもなかったので、とりあえず、といった気持ちで買ってしまったのだが、
なかなかどうしていいゲームというか、心の中学二年生が喜びそうな、エモさあふれるゲームだった。
ここ最近は小難しい文章を書いていたので、初心に帰ってゲームの簡単な魅力紹介と、
「SCARLET NEXUS」が持つ他にはないメッセージ性の魅力を論考していく。
■かけ算の上手いゲーム
本作を分解していくと、とてもシンプルな3Dアクションゲームに行きつく。
攻撃に使用するボタンはたった3つ。武器攻撃、範囲攻撃、そして主人公の持つ「超脳力」である念力というシンプルさだ。
煩雑なコマンドを覚える必要も、長いコンボを覚える必要もない。
それは間口の広さにも直結しており、今までこういったアクションゲームに触れ合ってこなかった人々も楽しみやすい作りになっている。
シンプルさが故に底がすぐ見えてしまうゲームは多いが、かけ算によって上手く厚みを持たせているのが本作の特徴だ。
本作にはSASと呼ばれるシステムがあり、仲間の「超脳力」を借りることが出来る。
例えばヒバナというキャラクターの「超脳力」を使用すると、彼女の発火能力を借りて、武器に炎上効果を付与できる。
その他にも透視能力を借りて弱点を見つけたり、硬化したり、透明化したり、分身したりなどバラエティ豊かな脳力が勢ぞろいだが、
それらは全て主人公に対するバフであり、敵に攻撃をするには上記3つのボタンに集約する。
様々なことが出来るが、プレイヤーのアウトプットは3つに集約するという絶妙なかけ算が戦闘システムを引き立てている。
主人公と仲間たちの絆が戦闘をドラマティックにさせるかけ算もある。
幕間では仲間との絆ストーリーを進めることができ、これらを進めることで特殊攻撃はもちろん、ランダムにダメージを肩代わりしてくれる、
戦闘不能になった時に確率で蘇生してくれるなど、絆が深まれば深まるほど「ここぞ」という時にドラマティックな戦闘になる。
ビジュアル面でもUIが洗練されていたり、SAS使用時のカットインがクールだったり、同じ操作でも飽きずに楽しめる工夫がされている。
ストーリー構成や世界観に目を向けてもかけ算がしっかりと生かされていた。
ブレインパンク、という造語が本作のコンセプトだが、元となったサイバーパンク要素もしっかり押さえている。
デザイナーベビーだったり、監視社会、人体実験、格差など基本を押さえつつも、
そこにブレイン要素が掛け合わされることで、脳内まで監視される社会、脳力の有無による人権格差など、
今までのサイバーパンク作品と比較しても、かなりタチが悪いディストピアが出来上がっている。
サイバーパンクの源流であるSFもしっかりと構想が練られており、
月の人類文明、地球への再移住計画などが秘匿されていた歴史の謎として物語中に仕込まれている。
中でも特筆すべきは、主人公2人が持っている「念力」という脳力についてで、
物語中盤で原理が「重力操作」という真実が明らかになり、タイムトラベルという要素へ結び付けていくのは驚きを隠せなかった。
総じて、本作は世に出ている作品の中でも、明確に要素ごとの組み合わせが分かりやすく、そしてそれが成功しているビデオゲームだ。
シンプルな操作にもかかわらず、絆や繋がりをテーマにしたビジュアルや演出で盛り上げ、
サイバーパンクらしいディストピアをベースにしつつも、人の脳をテーマにすることで、よりもっと陰鬱でオリジナリティのある世界観になっている。
ただ足すだけのビデオゲームではなく、それらの要素が噛み合い、予想以上の楽しさを生んでいるからこそ本作はかけ算の上手いビデオゲームと評価できる。
ここまではただの面白いビデオゲームだが、本作を良作にまで押し上げる点がある。
それは本作クリエイターのテーマでもある「絆」を、何のごまかしも照れ隠しもなく突きつけるエンディング、
そしてにエンディングで回収される伏線の絶妙さだ
次章からこの点について詳しく読み解いていく。
■タイトル画面があの構図でなくてはいけない理由。
エンディング後に映った画面。それはタイトル画面だった。
多くのビデオゲームはエンディングを迎えた後にタイトル画面へ戻る。
しかし、本作のタイトル画面を理解した瞬間、思わず膝を叩いてしまった。
本作の大きな特徴にW主人公制という点がある。
1つの物語を2人の視点から見ていくという構図で、ゲーム開始時に選んだ主人公はクリアまで変更することはできない。
プレイヤーは救国の英雄の子孫であり、政治家の家系に生まれたユイトか、生誕のルーツ自体が謎に包まれたカサネを選んで始めることになる。
ストーリーのあれこれは省くが、2人は人の脳を喰らう化け物「怪異」を相手にする「怪伐軍」に入隊し、
政府相手の陰謀と戦ったり、人類史の根底を覆すような真実に触れたり、時間を超えたりして世界を救う。
そして全ての戦いが終わりに差し掛かったころ、主人公と仲間たちは集合することになる。
そこでユイトとカサネは戦いが終わった後の展望を語ることになる。
ユイトは政治家になり、ニューヒムカをより善くすることを、カサネは月へ行き、月に残存する人類の救出を目指すことを話す。
そしてエンディングだ。
さて、ここでもう一回タイトル画面を見てみよう。
このタイトル画面の特徴的な所は、W主人公が同じ空間に立っていることにある。
つまり2人は敵対しているわけでもないし、どちらかが喪失するような断絶も存在していない。
しかしながら2人の視点は同じところを見ていない。
ユイトの視線は地上に、ニューヒムカへ向けられている。
カサネの視線は空に、月へ向けられている。
2人はこれから別の道を選ぶ。しかしながら、根底にある絆、世界をよりよくするという目的は、同じ空間に立つことで共有している。
2人の視点がさらにタイトル画面のフレーム外へ行こうとも、2人のスタートかつゴールは分かち難い絆によってフレーム内へ完結するのだ。
彼ら彼女の物語の結末は、キャラを選択する前のタイトル画面から変わらず、もう既に描かれていた。
本作のように、プレイヤーがエンディングを迎えた後に、タイトル画面の真意を理解できる構図というのは、
聖剣伝説2などを始めとして前例はある。
そのような前例の中でも、本作のタイトル画面が評価できるのは、
ただ2人の主人公と、背景だけで、物語の結末、月といった世界の秘密、そして本作の持っているメッセージが、
たった1つの静的な画面の中にすべて盛り込まれていることにあるのだ。
■愛は絆か
本作の絶妙な所は、男女のW主人公でありながら、全くと言っていいほど色恋沙汰に発展しない所にもある。
これが2人が仲睦まじく、それらしい雰囲気になるようなエンディングだったら、本作は全くの駄作になっていただろう。
それほど、本作へむやみやたらにイチャコラ要素を入れなかったのは英断だ。
結局のところ、愛と絆はイコールではない。
愛の始まりは絆かもしれないし、愛の幕間に絆はあるかもしれない。
しかしながら愛は愛だ。絆とはまた違う所にある。
ユイトとカサネは、物語中のほとんどを敵対して過ごす。
しかしながらお互いに思うことなどなく、叶わぬ愛など描かれていない。
ユイトとカサネは、あることをきっかけに和解する。
しかしながら再会を喜びにするものの、愛という一歩踏み込んだ関係には落ちることもない。
ユイトとカサネは、それぞれの母が同一人物だと知り、母との離別という悲劇を乗り越えて世界を救う。
しかしながら傷を舐め合うこともせず、恋にも落ちずキスもせずにお互いは別の道を歩く。
お互いがそれぞれ進む道を、否定もせず、アドバイスもせず、応援もせず、ただ単に認めて離れていく。
これは愛ではない。愛による否定も、愛によるお節介も、愛による責任の分担もそこにはない。
だが、お互いを認めて離れた2人には、確かに絆があった。
お互いの在り方を受容するということこそが、絆である。本作はそう語ったのである。
もちろん、こんな終わり方をする作品は本作だけではない。
パシフィック・リムなんかも、男女の主人公だが、エンディングはキスじゃなくおでこコツンだ。
だが、キスをしなかったからこそパシフィック・リムは名作のまま終わることが出来た。
それは戦いを通じて、愛ではなく絆を勝ち取ったからだ。
「SCARLET NEXUS」も、結論への持って行き方はパシフィックリムに近い。
しかしながら、より明確に敵対してしまうようなすれ違いの要素、和解までの経緯。
そしてどちらも同じ喪失を味わう、といった細かな描写が、
尺に幅が利くビデオゲームという媒体だったからこそ、より分かりやすく、丁寧に描くことが出来たと言える。
■愛されたものから死に進む世界
この章は若干こじつけめいたものになるが、本作は非常に愛に厳しい。
主人公達が所属する怪伐軍を始め、本作のストーリーライン上犠牲になるキャラクターは少なくない。
しかしながら、犠牲になったキャラクターを追っていくと、共通項が見えてくる。
それが「愛されたものが犠牲になる」世界だということだ。
カサネの義姉、ナオミ・ランドールはカサネの愛を受けていた。しかしナオミはカサネを救うために身代わりになった。(2回も)
セトはカサネや部下から愛を向けられたが、ナギを止めるために自ら犠牲になった。
ユイトとカサネの母であるワカナは、2人から愛を受けていたが、タイムパラドックスを防ぐために、もう一度犠牲になった。
極めつけは、ラスボスであるカレンが、フブキやルカから思われていながら、たった1人、アリスという親友の嫁さんを救うために自身の存在を世界から抹消した。
「愛されたものが犠牲になる」世界だ。という裏付けは怪伐軍独自の文化と、ユイトとヒバナの関係性からも読み解くことが出来る。
怪伐軍には相手が目上にも拘らず、敬語を使わずタメ口でやり取りをするという文化がある。
隊員同士の絆を深めるため、ということだが、敬語を使わないことで明確な立ち位置や感情をボカしているようにも読み取れる。
絆を深めるためのタメ口が容認されることで、発言者の明確な立ち位置や好意をボカし、愛を持たせないようにしている。
なぜなら、愛という感情を持たれることで、この世界では犠牲になるということと同意義だからだ。
そういった背景の中でギリギリのラインを攻め続けていたのがユイトとヒバナだ。
この2人は幼馴染で子どものころから親交があり、ヒバナはユイトに対して絆以上の感情に芽生えつつある。
しかし、とうのユイトは朴念仁で、その感情に全く気が付かない。
創作ではよくある関係性だ。しかしながらこの世界では愛を向けられたら犠牲になる。
だが、本作においてユイトとヒバナは犠牲にならなかった。
なぜならば、ヒバナの行動原理のすべてに愛が含まれていなかったからだ。
彼女の愛は彼女自身が自覚している。しかし、怪伐軍として戦っていく中で世界の真実を知り、戦う目的を見つける。
その目的とは、ユイトを助けること、ではなく、より多くの人を救うことだった。
そうして彼女はこう続ける「いつか追いつけたら伝えたいことがある」と。
彼女は「怪伐軍にいる間、怪伐軍に所属するユイトに愛を告白することをやめた」のである。
そしてユイトはエンディングで、怪伐軍を辞め、政治家を志すことを明らかにする。
その時にこそ、ようやくヒバナは愛することが出来る。だからこそ、物語中はユイトもヒバナも犠牲になることはなかった。
ここまで書いたように、この世界において愛されるという事は、自己の死を意味する。
それは物語上、肉体的な死として描かれた。
しかしながら例外が1つある。それがカレンの消失だ。
カレンはアリスという親友の嫁を助けるために、ラストシーンで自分1人がタイムトラベルをし、
自己の存在自体を時の流れから消すことでアリスを生き返らせた。
カレンの肉体的な死は描かれていない。だが、カレンはカレンという存在、概念、記憶を世界から消し去った。
そうまでしてアリスのいない世界を壊し、アリスのいる世界で上書きした。
英雄として多くの人々から羨望と愛を受け、それだけではなく、フブキや弟のナギからも思われたカレンは、
世界を壊すために、自己を完全に殺したのだ。
本作が描写する愛とは、肉体的・精神的なものに留まらず、究極的には自己の存在、記憶、精神でさえも殺すものだ。
愛されるということは求められること、誰かが求められ続けることであり、愛された側は、求められ続けるために、自己をも殺す必要があるのだ。
■世界を救うのに愛なんていらない
この世に愛を死ぬまで続けられる人間は多くいない。
もっとも、愛を注げる人間はパートナーか、自分の子どもか、というような、
自身の血を分けられる人にしか対象に入りづらいのではないだろうか。
しかし絆は愛ではない。
個人差という前提はあるものの、もっとも区別なく、分け隔てなく絆によって人と結びつくことが出来る。
そういった可能性を秘めているのが、絆なのではないだろうか。
本作「SCARLET NEXUS」は見事に「絆」というものを書ききった。
そこには照れ隠しも、ごまかしもない、純粋な「絆」とはこういうものではないか、という提示である。
ユイトとカサネは恋にも愛にも落ちなかった。
お互いを受容したからこそ、お互いが絆で結ばれた。
2人が恋に落ちて、愛を結んで、向かい合ってキスをすることに、
君しか見えないと囁くことに、お互いを視界に捉えることだけが、果たして全てなのだろうか。
愛は世界を壊すことしかできなかった。
だが、絆は愛とは違う。
だからこそ、全く別の方向を見ている2人が、同じ空間にいるタイトル画面が成立するのだ。
お互いが視界にいなくても、そこにいる。
それが「絆」という事だと、本作はプレイを開始する前から伏線を張り、エンディング後に気付かせてくれる。
ユイトとカサネの間に愛はなかった。だから2人はヒーロー・ヒロインではなく、2人で主人公だった。
「SCARLET NEXUS」の世界で、愛とは犠牲だった。
エンディングを迎えた段階では世界はまだ救われていない。
ただ愛を受けたカレンが、自身と共に今までの世界を壊し、違う世界で上塗りしただけだ。
世界にはまだ怪異が存在している。月にも救うべき人々がいる。
世界を救うのは、エンディングを迎えたこれからなのだ。
これから救われる世界には、ユイトやカサネを始めとした、結ばれた絆がある。
この世界を救うのに、愛なんていらなかったのだ。