レモン電池の見た夢と、自分の作品のこと(8/26)
自分の作品のことを書いてみる。普通、アーティスト名乗るなら、それが普通なんでしょうけど、アートの話をすると堂々巡りになるから、あんまり話たくない気持ちもある。
作品はどちらかというとライフワークに近いので、あまり売れることとかは考えてない。それよりも、「アートって何?」とか、「アートで生まれるいいことって何?」みたいな疑問が原点
例えば、ご飯を食べた時に「楽しさ」とか「喜び」を感じるけれど、これってアート鑑賞で得る「楽しさ」「喜び」と何が違うんだろう?とか。そういうこと。
これは多分、自分の仕事が出発点になってる。
企画側でも、特にディレクションとかで、アートに興味ない人に説明することが多いこと。アートを知らない人から「アートは必要?」って聞かれ続けていることが原因。他の事業や分野の仕事とアートが比較され、その効果を問いただされ、そういう人たちを説得するという経験
僕はその方が健全だと思うけど、それでも、経済的なメリットを生み出しづらいアートイベントではきついことも多々ある
税金をいただいてアートをする仕事は、言い換えれば「道路の整備をやめてアートに投資する」とか、「観光地整備をやめてアートに投資する」とか、「福祉の予算を減らしてアートに投資する」みたいに見えることもあるわけで(もちろん、本当はそんな単純なものではないけど)、それに対して「アートの人」ととして答えていく
「アート」の効果はそれなりにあると思うし、もしかしたら何も無くて「芸術の陰謀」かもしれない。
社会構造上は不要かもしれないし、もしかしたら必要かもしれない。
そのあたり言語化できたらいいなと思う。あと作品では言語化できないものは、作品で形にできたらいいなと思う。
レモンは食べても美味しいし、電池の実験もできる。どっちも知っていれば2倍幸せ。美味しく調理することもできるし、理科の時間にレモンを使うこともできる。
「純粋」にアートの美的な価値を追い求める人もいるけど、自分のアートの理解は多分レモンみたいな感じなんだと思う