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人生に絶望して日本一周をしようとするあなたへ

先月、日本を一周した末に自ら命を絶ったライダーがいた。
https://twitter.com/20_ZXT02K/status/1576538105728729090

日本一周の末に命を絶ったライダーは彼だけではない。
https://twitter.com/riveriomu1/status/1045278606417522688

この二名に限らず、人生に絶望し、日本一周の旅に出る者は数多いる。手段はバイクに限らないけれども、北海道に滞留してしまうのは、社会に見切りをつけた人の顕著な性質のようなものなのかもしれない。

一昨年の今ごろ、日本を周遊する旅に出た。私もまた、人生に絶望し、社会に見切りをつけたライダーの一人だった。
https://anond.hatelabo.jp/20211226230142

死ぬ理由ならいくらでもあった。
生来持ち合わせた希死念慮に加え、発達障碍者ゆえに強い薬を使わなければまともに社会生活を送ることすらままならないこと、投薬をしたって内面が歪んでいて社会に適合できないこと、誰にも愛されないこと、借金まみれで破産し金がないこと、親友の死を目の前で看取り、それに追従しようと思っていたこと、そのおまけで小さい不幸が立て続けに起きたこと。
そして、自分のことを掬い上げるような奇跡は、どんなに待っても起こらなかったこと。

もう十分だと思っていた。生きる理由が無かった。生きる苦しみに耐える理由がない。
「死ぬ前にやることリスト」を書き起こし、自力で達成可能なことを上から順に潰していった。そうして最後に残ったこと、それが「日本一周をして、未だ見ぬ景色を見尽くす。」ということだった。
人生に絶望した人間に目的地は無い。「行きたい場所がある。」ということは、「今を生きている。」人の欲望だ。人生に絶望し生ける屍となった人が探しているのは、自分に「それでも生きたい。」と思わせる場所だ。だからどうしたって「横断」だとか「縦断」だとか「一周」だとか、網羅的な旅になる。
そして本当のことをいえば、世界一周だったら良かった。だけどそれをやる気力も能力もお金もなかった。仕事を放り出しさえすれば数か月で達成することが出来て、貧乏でもちゃんと貯金をしていれば十分な費用を捻出できること。それが日本一周というサイズ感だった。

数か月という所要期間も悪くない。
旅に出ていれば否応なく様々な事柄に気を取られることになる。次の目的地を何処に設定するのか、新しい土地で次の宿を探さねばならないこと、明日着る服の管理や寒暖差、ガソリンと次の目的地の計算、オイル交換のタイミング、チェーンリブをいつさすべきか、次の休憩ポイントは何処か、夕方からの天気はどうか、体調はどうか、フェリーの時間は間に合うのか。
一つ一つは大した負担にならない事柄だけれども、余計な小難しい人生のあれこれを考えずにいるにはこのくらい頭が忙しい方が良い。
数か月の間、無心で過ごすことが出来れば、時間薬が効いてくるには十分だ。
今、自ら命を絶つという覚悟をしている自分の絶望が気分だけのものなのか、或いは本物なのか。それを図るには丁度いい期間だ。
自分を絶望から掬い上げるような奇跡が現れるのを存在しないはずの何かに委ねるにも十分な時間だろうと思う。
そしてまあ、結論から言ってしまうと、前掲の増田に書いたとおりだ。

 大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。
 そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。
 数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。
 本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。
 多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。
 私は罪を背負っていて、債務があって、仕事はない。
 日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。
 旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色しかなかった。

https://anond.hatelabo.jp/20211226230142

改めて振り返ると、きっと人生を放り出した人たちの多くが、同じような感覚で旅に出て、同じような失望を覚えて帰って来たのだろうと思う。
そして冒頭の二名のライダーのように、旅先で人生の全てに見切りをつけ命を絶った旅人も少なからずいるのだろう。

私は結果的に生き長らえ、今日まで命を繋ぐことが出来た。それは単に、「死に方を決めていたから」に過ぎない。死に方を決めていなければ、旅先でダムに飛び込んで終わる選択をすることも十分あったろうと思う。
では旅に出たことが全く無駄だったのかと問われると、そんなことはない。

旅の所要数か月の間、時間薬は確かに”多少は”程度のものではあったが、効いたと思う。
旅の間、声をかけてくれてメッセージをくれた人、食事や宿を提供してくれた人と触れ合ったことは、この世が全く捨てたものではないと思わせてくれた。

そして旅をしていた時間を振り返ったときに、「景色は、しょせん景色でしかなかった。」と書き捨てていた景色の一つ一つが立ち上がり、自分の財産になっていることに気付いた。それは「お金になる。」とかいった直截的なものではないが、少なくとも「また出かけたい。」と確実に思わせてくれる。またあの景色を見たい。その日まで生きよう。その為のお金を稼ごう。という舫いとなっている。それは間違いなく、私だけの財産になっているのだった。

そう思う為にはどうすれば良いのか。答えは簡単で、「一旦、家に帰って来る。」しかない。
人生に絶望して旅に出ようとするあなたへ、伝えたいことはこれしかない。
あなたはきっと旅先で失望するだろう。旅なんてこの程度のものだった。旅は何も齎さなかった。感動することもなければ、人生を変えることもなかった。そのことに失望するだろうと思う。
だけど未だ家に帰ってこないあなたが「旅」への失望を語ることは出来ない。旅は、一旦家に帰って来るから、「旅をした。」という実績が解除されるのだ。

一旦、家に帰って来ると良い。そこには今、最悪な日常が待ち構えているかもしれないが、それでも一旦家に帰って、旅のことを思い出すと良い。旅先で思っていたよりずっとあの日々が輝いていたことに気付くはずだ。見損なうものばかりのものではなかったと思うはずだ。
まかり間違って、それでしばらく退屈な日常を送ったら、また旅に出ると良い。それでも人生をやりきれなくなったのなら、私は「死ぬな。」とは言わない。「お前のせいで絶望が長引いた。」と文句を送って来たらいい。
「以前読んだ日本一周をしたライダーのnoteに、『旅先で思っていたよりずっとあの日々が輝いていたことに気付くはずだ』と書いてあったが、あれはウソだった。私の旅には何の価値もなかった。」と書き捨てる、その資格を得る為にも、何はともあれ一旦家に帰って来なければならない。

それだけ分かってくれたら、いつでも旅に出ると良い。あなたの旅が善いものになることを祈っている。そして私がそうしたように、いつかあなたの旅の話を聞かせて欲しい。


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だっちゃん
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