最近の記事

妻が「病むのに飽きたから病まなくなった」と言うていた。

以前、妻が、「私は病むのに飽きたから病まなくなった。」と言っていた。妻はその内実を言語化しなかったので、以下は私の解釈だ。 つまり病むのにはMPを100消耗する。 例えば労働は30、家事は20とする。消費MPは多いものから自動的に発動する。 若い頃はMPが160くらいあるので、病んで労働して家事をしてもMPは10余る。 MP10でこなせる余暇はTwitterとかYoutubeをボーっと観ることくらいしかないかもしれないが、取り敢えずフローは回っている。 MPの絶対量は、

    • 0歳育児はそんなに大変じゃない。

      以下、全てにおいて0歳7週の1児のみ扶養する新米パパの戯言であることを念頭に置かれたい。 先日、岸田首相が「産休・育休中のリスキリング促進」という施策を打ち出したが、Twitterでは非難轟轟である。 https://news.yahoo.co.jp/articles/6a8002cf6e47f2a86464bf9c074221be94d3c9d9 誰も庇う者がいない。 育児がどんなに尊い大事業であるかを父親として主張すれば、「そんなに育児にコミットするなんて、なんて素晴

      • 子育ての為に車を買った。

        昨年11月、出産予定日の元旦を控え私たち夫婦は車を買うことにした。 私たちが住んでいるのは、都心へ電車で一本の郊外である。およそ病院は徒歩圏内にあり、電話をかければタクシーだって15分後くらいにやって来る。つまり大人が普通に暮らす分には、車は必ずしも要るわけではない。事実、私たちは車を持っていなくてもこの1年の間平気で暮らしていた。 原付を買い出しに少し使うことがあるくらいで、これも自転車に置き換えたところでさほど支障はない。たまに車に乗って旅行に行くといってもレンタカーで足

        • ありがとう、楽天ゴールドカード。

          この1年間、お世話になった楽天ゴールドカードに別れを告げ一般カードに戻す手続きをしました。「何のメリットも無い」として悪名高き楽天ゴールドです。検索すればいくらでもそういうレビューを確認することが出来るでしょう。 しかし私たち夫婦には沢山メリットがありました。大袈裟に聞こえるでしょうが、感謝さえしています。 それでは聞いて下さい。「ありがとう、楽天ゴールドカード」。 * 私と妻は昨年2021年11月に同棲を始め、翌年2022年1月に籍を入れ名実ともに夫婦となりました。 新

          子どもの声はちゃんと不快だ。

          Twitterを見ていると、「電車の中で子どもが泣いていて、親に怒っているおやじがいた。許せない!」というようなTweetが定期的に流れてくる。それを炎上狙いの嘘だとかそういう野暮なことを言うつもりは全くない。私も見たことのある光景であり、実際、世間にありふれた話なのだと思う。 そしてそういうTweetには、「私は、泣いている赤ちゃんの声を聞くと『あ、生きてるんだな』と思って寧ろ安心します! 怒るなんてあり得ません!」という共感のリプライが複数ついているのが大抵だ。例えばこれ

          子どもの声はちゃんと不快だ。

          木村花さんの御母堂を見るに堪えない。

          2020年5月、テラスハウスに出演していた木村花さんがSNS上での誹謗中傷をきっかけに自殺した。 木村花さんの御母堂木村響子さんは、直後からSNSでの誹謗中傷抑制の啓蒙に勤しまれてきた。 そして先日、放映のフジテレビに対して、「真摯な対応がなされなかった」として1億4千万円の提訴をしたという報があった。 https://news.yahoo.co.jp/articles/ba134794189eb1ac18ca1851e8d53f53ae0a3fc1 正直に申し上げて、見る

          木村花さんの御母堂を見るに堪えない。

          亀有抄

          妻と同棲をするようになってから、一度だけ亀有を訪れたことがある。 もう10年ほど前、大学院を中退した私は第二新卒で大手町に在る政府系の金融機関に就職した。そして一人暮らしをするのに選んだ町が亀有だった。 通勤するのに便が良く、お金がなくても過ごしやすい下町。候補はいくつかあったけれど、駅から徒歩5分のところにリノベーションしたばかりのキレイなアパートを見つけた。 家賃は5万5千円、20平米の1R。エレベータはなく4階まで階段で上らなければならないのが地味に面倒だったが、それ

          男の散髪は安ければ安い方が良いと思う。

          貧乏人にとって出費とは、命を削るということだ。 固定費は1円でも軽い方が良い。髪の毛は女の命かもしれないが、男にとって髪の毛は「ある。」ということが至上命題であって、その形状如何は一定の年齢を過ぎさえすれば割と些細なことだ。社会人の男ともなれば、結局髪型はツーブロックかスキンヘッドに収束していく。それ以外の髪型をしている男は、端的にいえばヤクザか間抜けの2通りしか存在しない。これは覚えておいて欲しい。 「ツーブロック、1mmで。後は適当に2cm伸びた分だけ短くして下さい。」

          男の散髪は安ければ安い方が良いと思う。

          勉強遍歴

          高校受験が終わった日のことを覚えている。 第一志望の公立高校だ。絶対に外せない。私はこの高校に受かる為に全精力を注ぎこんでいた。友だちの遊びの誘いを断り、好きだったゲームも読書も絶ち、休み時間も休まず問題を解き続けた。 「あいつ、勉強ばっかしててキモいわ。優等生ぶってる。あれで落ちたらウケるよね」 同級生が聞こえるように話していた。しかし耳を貸さなかった。 午前から、昼を挟んで英数国理社の5科目を解き終えて帰路に就いた。寒い日だった。しかし確信があった。 「これは受かった

          Jordan Petersonの12 Rules for Lifeを読んで思ったこと。(読書感想文)

          人生の目的とはなんだろう。ずっとそのことだけを考えて生きてきた。 私は希死念慮者だ。生きてることがしんどい。だが、ケチな男である。「せっかく生まれたからには、ただで死ぬのは面白くない。この命は何かの為に遣いたい」と思ってきた。これは「どうせあぶく銭ならつかわなな」という発想に近い。 こういうといかにもケチんぼであるが、換言すれば「死に場所を求めて彷徨う」ということである。そして「死に場所を求めて彷徨う」とは、ケチんぼということだ。 では私たちは何処へ向かっているのだろうか。

          Jordan Petersonの12 Rules for Lifeを読んで思ったこと。(読書感想文)

          ナメられている。

          泣く子も黙る丑三つ時、灯りひとつない部屋で、ペチャペチャと不気味な音を立て私の顔を舐める者がある。「うーん、うーん……。」と私がうなされていると、ソレは私の耳元で囁くのだった。 「ごはん……。」 それは戦時中に食べるものもままならず失くなっていった子供の地縛霊、などではない。ネコだ。 「まだ早いだろ!」 そう言ってネコを押しのけると、「ご、ごはん……。」と言ってスゴスゴと闇夜に消えていくのだが、5分後には何事も無かったかのように私の顔を舐め、エサを催促しにやってくる。

          ナメられている。

          今日もかつ丼を食べた。

          折につけて、私はかつ丼を食べる。仕事がひと段落したら。試験が終わったら。小説を一篇書き終えたら、かつ丼を食べる。正確には、そうなってしまった。 つい数年前までの私にとってかつ丼は特別好きでも嫌いでもない、ただの料理の一つでしかなかった。今だってそんなに好きかと問われると、語る言葉は無い。 ただ数年前、私の友人が死を選ぶ前に「かつ丼が食べたい。」と言った。彼女はかつ丼が大好物だったのだと。 しかし彼女は美しく痩身でいる為に、何年もかつ丼や炭水化物のようなモノを自分の人生から排

          今日もかつ丼を食べた。

          人生に絶望して日本一周をしようとするあなたへ

          先月、日本を一周した末に自ら命を絶ったライダーがいた。 https://twitter.com/20_ZXT02K/status/1576538105728729090 日本一周の末に命を絶ったライダーは彼だけではない。 https://twitter.com/riveriomu1/status/1045278606417522688 この二名に限らず、人生に絶望し、日本一周の旅に出る者は数多いる。手段はバイクに限らないけれども、北海道に滞留してしまうのは、社会に見切りを

          人生に絶望して日本一周をしようとするあなたへ

          生きて行くには信仰が必要なのか。

          人は、自分の「個」としての成長に限界を感じたり行き詰まりを覚えたとき、「推し」を追い求めるようになるという。 それは、アニメーションのキャラクターでもアイドルでも俳優でも構わないが、いずれにしても偶像たり得る何者かに対する何かしらの献身をしようとする。 足繁くライブハウスに通い、どうせ聞きもしないCDを買い求め、ファングッズを買い集め、スパチャを送り、その「推し」が自分の影響によって何かしらの変化(それは一層サステナブルとなることも含まれる)することに悦楽を覚える。 私たち

          生きて行くには信仰が必要なのか。

          皇帝の使者を待ち続ける

          先月、宅地建物取引士の試験を受けてきた。その合否が本日発表されたのだが、勿論、不合格だった。 法律資格業界には、「宅建に短期で受からない人間は宅建以上の資格に挑戦してはいけない」という言い伝えがある。 資格試験自体は毎年行われているのだから、仮に不合格だったとしても、また来年受けることはできるだろう。 しかし現実として人生は有限なのだ。どんなに頑張っても試験に受からない、或いは無用に長い時間を必要とするような者が難関試験に拘泥すると人生を拗らせてしまう。 勉強というのはそれ

          皇帝の使者を待ち続ける

          フルタイムで働くのが本当にしんどい。

          吾輩はADHDである。 医者から診断名とコンサータを授けられた、それはもう、誰恥じることない発達障害者である。健常者が病院に行くときにカード1枚で済むところ、我々は役所のハンコのついた分厚い自立支援ノートを出さねばならない。ピンク色の表表紙に、いらすと屋の男の子と女の子の無料のお花とちょうちょの素材が踊っている、それはもう屈辱的な冊子だ。 しかし今日は、そんなことはどうでも良い。 だから健常発達の者と比べ、確固としてオーソライズされた生きづらさを抱えて生きているのだ。という

          フルタイムで働くのが本当にしんどい。