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フルタイムで働くのが本当にしんどい。

吾輩はADHDである。
医者から診断名とコンサータを授けられた、それはもう、誰恥じることない発達障害者である。健常者が病院に行くときにカード1枚で済むところ、我々は役所のハンコのついた分厚い自立支援ノートを出さねばならない。ピンク色の表表紙に、いらすと屋の男の子と女の子の無料のお花とちょうちょの素材が踊っている、それはもう屈辱的な冊子だ。

しかし今日は、そんなことはどうでも良い。
だから健常発達の者と比べ、確固としてオーソライズされた生きづらさを抱えて生きているのだ。ということが判ってくれれば、今日のところは良しとする。

あれやこれや(中略)とせざるを得ないくらい色々なことが起こり、今年の初め頃、私は旅人という名のニートから足を洗い、健常の世界へと舞い戻って来た。

健常の世界。

それは即ち、往復2時間半、ニュースを聴きながら満員電車に揺られ、1日8時間フルタイムで怒鳴られながら労働し、隙間時間を見つけては仕事の勉強をし、家に帰れば家事をやり、ストレスでうなされながら浅い睡眠時間から醒め、頭ぐっらんぐっらんになりながら満員電車にダイブする。これを5連続。(あ、これ頭おかしくなっちゃう!)と思ったところで土日がやって来て、死んだようにダウンして週末を終え、また月曜日がやってくるという地獄の所業だ。

そんな日々を送ってもう、あと少しで1年になろうとしている。

前述のとおり私は発達障害なのであるから、健常発達の皆さまと比べて明らかにミスが多い。何度も何度も確認して、慎重に慎重を期してもダメなものはダメなのだ。
ミスをしたらその分、巻き返さなければいけない。他人の倍素早く動いて、他の人が休んでいるときも何とか資料の準備を前倒しで進めたりして、ようやっと人並み以下の成果を出している。日々、ギリギリの瀬戸際で凌いでいる状況だ。

しかしさすがに段々余裕が出てきて、辺りを見回してみると、健常者の同僚が何人も脱落していっていることに気付いた。そして何とか生き残っている人たちを見ても、健常者だからって余裕綽々で働いている人なんて(少なくとも今の職場においては)ほとんどいないことにも。

Twitterを見ると、「最近の社会では、『普通』のボーダーが上がり、零れ落ちる人が増えている」というようなことを呟いている人がいた。私もそう思う。健常の人でもみんなギリギリなのだ。

しかし、じゃあ仕事の工数を減らして皆んなで楽になればいいじゃないか! という話にはならない。
毎日、辛い辛いと言いながら、それでも会議になったら余計な仕事を増やしてみたり、気まぐれみたいにドカっと減らしたり、またどうでもいい茶番みたいな仕事を増やしてみたりする。しかもその仕事量を加重平均していくと、「頑張ればギリギリ何とか乗り越えられる程度の仕事量」を絶妙に割らない。
そんな同僚たちを横目に、本当はみんな、自分以外の人間が適度にドロップアウトしてくれるくらいの世界が丁度良いと思ってるんじゃないかと感じることがある。

誰もドロップアウトしない世界では、「普通」と「無能」を隔てる壁がない。人は相対的にしか幸せを感じられない生物だから、目に見える形で自他を分かとうとして、進んで自他を相対化しようとする。
そんな曖昧な総意の中では、求められるボーダーラインは絶えずせり上がってくる。ライン落ちした者は勘定から外れてしまうからだ。

生きづらい。
常に新しいことを学び続け、新しい価値観を取り入れていくのは、色んな意味で余裕のある人間にしか出来ないことだ。そもそも、ケアレス・ミスの多いADHDにとって、こういう世界は格別にクソだと言える。元からラインになんて及ぶべくもない。

では我々ADHDはどうすればいいかって。ミスを減らす? バカなことを言ってはいけない。そんなことが出来るのならばハナから病名なんてつかない。

そうだ、自分に言い訳するしかなかろう。
今日は今夜の夕飯のことを考えていたからミスっちまった。今日はなんかムラムラしてたからミスっちまった。今日は仕事が忙しかったからミスっちまった。今日は仕事が暇だったから逆にミスっちまった。
だから、オレは、悪くない。
全部たまたまだ。そうして絶えず、日々、毎時毎秒自分が無能で健常者に必定迷惑をかけているにも関わらずここに居ても構わない理由を考え、正当化し続けるしかなかろう。

前述のとおり、こんな世界では健常者だとて「普通」で居続けることは容易ではない。誰もが自分を正当化しなければならないことを所与のものとして受け入れ、意識的に励行しなくてはいけない。

さもなければ狂う。そして私の同僚たちのように、社会からドロップアウトしてしまう。
彼らは「普通」のラインから落ちたこと以上に、自分のことを正当化し切ることの出来なかった連中だ。しなくても済むと高を括り、正当化することを怠ったのだ。

しかし最近では自分のことを正当化するネタが尽きてきて、自分のミスを宇宙の起源にまで求めるようになってきてしまった。そんな哲学的問いの輪廻に入っていては、当然noteやブログを更新する時間なんてあろうはずがない。だから1年以上何も更新していなかった。全部社会が悪い。Fuck,ya.
誰か助けて!!

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だっちゃん
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