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自分の小説世界を広げるために 東南アジア オセアニア篇

日本に暮らして日本の小説を読んでいると どうしても日本の小説世界が枠として意識されがちになると思います。
日本では 「この小説変わってるー」と思われても、
世界中の読み手は「どこかで読んだ技法や表現だな」と思っているかもしれません。
日本生まれの日本育ちで日本にしかルーツがない作家だから狭いということにならないように 海外に旅行や移住などをできればいいのですが、諸事情でできない人もいますよね。上村もそうですが、海外の小説を読むことでなんとか埋めようと思っています。
今日は東南アジアやオセアニアにルーツのある小説や詩で面白い、変わってるという作品を書きますね。故郷から離れた土地に住んでいる作家でもルーツや作風が東南アジア オセアニアの文化圏の影響が色濃い作家なら、ここがふさわしいと思うので書きます。

ホー チミンさんは政治家として有名ですね。詩も残しています。「道しるべ」in『獄中日記』などは噛み締めて読みました。
ナム リーさんの「ボート」(新潮社クレストブックス.2010年).
この作家さんはベトナム生まれで、ベトナム戦争後の難民として移住した豪州育ちです。この本は短編集で、オーストラリアや日本、アメリカ合衆国などが舞台となっています。キャラも少女や老人など多彩ですね。描き分けてはいるんですが、全体としてベトナム人らしさを感じられました。

ラッタウット ラープチャルーンサップさんの「観光」(早川書房.2010年).
タイ系のアメリカ人らしいのですが、パパ ヘミングウェイの短編のような 著者の優しい眼差しを感じる短編集です。解説には「救いとなるシーンがあり、人の温かみ、人への信頼がある」と書いてあるんですけど、まさにそのとおりだと思いました。アジア人は何となく共同という感覚を持っていて、日常のやりとりが生き生きしているんです。「ガイジン」という短編では、自分たちがなんとも思わない地元は白人からは天国と思われているという設定で、けどしょせんは違う世界という意識を持っています。表題作の「観光」は、外国人のように南部へ旅行をする物語です。「徴兵の日」タイには徴兵制度があって、いったん集められて、最後は抽選なんです。物語では、賄賂で徴兵されないと知っている自分が気まずさを感じるシーンが印象的です。「こんなところで死にたくない」では、身体が麻痺した老米国人はタイで言葉の通じない息子夫婦と暮らしているんですけど、言葉ではなく、心の通じ合いが上回るという物語です。これは好きですね。「プリシラ」では、カンボジア難民のバラックに悪戯していた子どもたちは女の子と仲良くなるんですけど、子どもにとっては知り合うと国籍なんて関係ないというのがいいと思います。大人は恐れや不安を抱いて襲撃するんです。これは2023年の世界でもあることですね。

ミゲル シフーコさんの「イルストラード」(白水社.エクスリブリス.2011年) 2008年のマンアジアン文学賞。フィリピンの物語です。親を知らない僕は師である作家クリスピン・サルヴァドールの自殺を受けて、彼の消えた原稿を探しに、自分と師の故郷であるフィリピンに戻ります。そこで作家の親族などに話を聞いていくのですが、挿入されているクリスピンの伝記があるので、その調査を終えて、伝記を完成させたという情報が読み手に伝えられます。そして伝記の一部だと思うのですが、クリスピンのかつて書いた小説の一節、一族の日記が関連があまりないのに挿話として書かれていて、読みにくいし、筋を追いにくいんです。おまけに著者のミゲル シフーコが主人公である僕の名前でもあるという何重のメタ構造なんだろうと頭がこんがらがりそうになります。最後まで読むと、すっきりするんですけどね。1930年代のスペインからの独立戦争に関わったホセ リサールや、1940年代の日本軍の侵攻という過去のシーンが挿入もされます。フィリピンの貧しさや腐敗はスペイン、日本、米国の支配の残滓なのだという示唆や、文学の紹介でもある物語です。

アイプ ロシディさんの「ヌキのいない旅」(大同生命国際文化基金.1993年.原著は1958年で、新婚旅行が原題です)インドネシアの物語です。ジャワで、夫になり父親になる自覚がない男性ですが、妻がすぐに妊娠したので、実家の近くで農家をしたいと思い立ち、帰ります。作家もしているんですけど、出版社はつれない態度で、原稿料は払われません。父は政界に出たこともあるけれど、嫉妬されて、今では使い込みの疑惑で居場所がない状態です。ジャワで育った彼からすると、田舎の無理解や無教養にうんざりします。ムスリムなんですけど、土俗の信仰や習俗も混ざっていて、断食はするけれど、アラビア語で信仰告白はできないし、モスクにもいかないし、平癒のために祈祷師を読んだり、へその緒は40日後に壺ごと土に埋めたり、生まれて70日後に土を踏む儀式があるので、それまではベッドか膝の上に赤子を載せているなど、興味は尽きません。物語よりも習俗が面白いなと思いました。

レンドラさんの「この世の歌」など。インドネシアの詩人と言えば、レンドラさんですね。ジャワ人です。

クリストス チョルカスさんの「スラップ」(現代企画室.2014年)
オーストラリアの小説です。二段組で500ページを越えるのでやや疲れました。2000年代にはオーストラリアは英国よりもアジア重視ということで、アジア人への移民制限も緩和しましたし、アボリジナルな人々への土地返還など、公式には白人優先政策を採っていません。小説ではパーティに集まったギリシア系の白人一族、インド系の女性、白人で貧困層などの間で、わがままな子供への平手打ちから関係に亀裂が生じます。
インド系の妻アイシャはしっかり者で、任せておけば大丈夫と安心する夫は、けれどせかされたりするので時々イラッとします。怒りっぽいんです。変なところで頑固なのは全員がそうなんですけど、これだからギリシア系の人はとあきれられたりもします。同じギリシア系でも世代が違うと価値観も異なるので、母親が要らないものを余分に持ってきて、残り物を一週間食べさせられる羽目になるのはこっちだとウンザリしたり、アボリジナルは酒を飲むに違いないという偏見があったり、普段からため込んでいるんです。政府に対して怒っているのは共通しているんですけどね。女の友情を一族よりも優先したかと思うと、夫は浮気をしていたりと、常に波乱含みの展開で、ティーンの世代だけが、ドラッグをやったりしながらも、しこりもなく愉しそうです。

キャサリン マンスフィールドさんの「マンスフィールド短編集」(新潮文庫)ニュージーランドの短編集です。日常における感情の機微を丁寧に描くのが得意なようです。

これから読んでみたいのは
キムチュイさんの「小川」 ボートピープルとしてカナダへ移住した作家の自伝的小説です。
パトリック ホワイトさんの「ヴォス」。ノーベル文学賞も受賞しているオーストラリアの作家です。 

東南アジアの作品は、大同生命国際文化基金がたくさん出版しています。流通はしていないので、興味のある人は図書館かサイトを覗いて見るといいと思います。サイトで読める作品もあります。


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