日本語の時制と機能について
日本語には基本的に過去形、現在形しかありません。
過去形 わたしは生きた。
現在形 わたしは生きている。
現在形の意志 わたしは生きる。
現在形の推量 わたしは生きるだろう。
未来形もないし、大過去などもありません。
-わたしは翔太君に「好きだ」と言った-
過去形ですが、現在のことを表現している可能性もあります。
-翔太君に「好きだ」と言ったら、彼はわたしを好きではないと言う-
最初の言ったは、現在形かもしれないし、過去形かもしれません。
-わたしは翔太君に「好きだ」と言う-
未来のことですが、意志を表現しているだけです。
-わたしは翔太君に「好きだ」と言ったのだった-
過去ですね。過去形を二つ重ねることで、日本語では過去と確定できます。英語の過去完了のように、ある期間継続したというよりも、フランス語などのラテン系言語で言う大過去のような感じがします。
日本語で二つも過去形を重ねるのはくどいので、
-わたしは昨日、翔太君に「好きだ」と言った-
時間を指定したほうがわかりやすいですね。
-恐る恐る見ると、顔の近くにそれがいる-
ひー
読者は、登場人物が「あぶない。逃げなきゃ」って思います。
-恐る恐る見ると、顔の近くにそれがいた-
読者は、登場人物が「もう終わったな。次に狙われるのは誰だろう」って思います。過去のことなので、もう確定という思考をするんですね。
過去形だから確定した事実、と見せかけて、実は登場人物がまだ死んでいないというテクニックとしても使えます。
-である。-
中立的な感じです。
-であった。-
俯瞰している、すべてを見通して、突き放している感じ。作家を意識して読んでしまいます。ノンフィクションならいいのかもしれません。
-そうなのだ。彼女は強いのだ。-
強調する感じですね。
-そうなのだった。彼女は強いのだった。-
今思い出した感じです。
日本語には現在形と過去形しかないので、その二つの形が、時制の他にも機能を持っているんです。
ここに書いた以外にもあると思うので、いろいろ探したり考えたりして、執筆に役立てていきましょう。