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ショートショート「めでたい」

「ただいま帰りました。」
「お帰りな さい……」
母親が私の隣にいる男性に長く視線をとどめている。
「え?あ やだぁ なになになに ちょっとぉ どういうこと?どういうことなの?」
「ん?」
言ってなかったっけ?
「え?」
隣に立っている洲本も何が何だかわからない様子で戸惑っている。
「もう~ ロータさーん サシミが初めて男性をわが家に連れて来たわよー 一大事よー 早く早くぅ」
母親が父親を呼んだので、奥で物音がして、なんだなんだという声が聞こえてきた。
「え?」
「さあ、あがってくださいな」
「はあ ではお邪魔致します」
洲本が頭を下げている。
「あ スリッパどうぞ」
「あ はい」
10畳ある洋風の応接間に通された二人は、促されて隣同士で座ることになる。
ん?なんで隣?おかしくないか? いつもの席と違う。こういうものなのか? 両親があっち側だとわたしはこっちということかと沙喜美は納得する。
父親のロータもやってきて、腰を下ろす。
「で、この人が」
とロータが母親にちらっと視線を送ってから、洲本をまじまじと見つめる。
「そうなの、初めてよ」
「そうか」
やや緊張した様子のロータ。
「それで?式はいつなの?」
「式?」
ああ 卒業式のことか ええと3月20日だったかな?
「しゃんがつふぁつかです」
二人の声が揃って変なふうに重なってしまった。
「あら、仲がいいこと。それにしてもそんなに早く?もう3か月ないじゃない。なんでこんなに大事なことを隠していたの?」
隠していたって、そんなに大事ではないよねえ? ん?言わなかったっけ?
「振袖?」
「ん?いや違うけど」
「駄目よお。振袖じゃなきゃ。
私のお古でよければ、貸すから、ね?」
「ああ、ありがとう」
「それでサシミはどうなんですか?」
母親が洲本に水を向ける。
「え、刺し身ですか。それは好きですが」
「あらあ、好きだって、ふふふ」
と母親が私に満面の笑顔を向けてくる。ん?
いや、今の刺し身は魚の刺し身であって、わたしのことではないと思う。
「サシミは?この方をどう思っているの?」
「どう、って。尊敬しているよ。頼りにしています。私の人生はこの人次第です」
内申点をクリアしないと大学に出願もできなかったし、教員にもなれないのだから当然だろう。
「はあぁ、サシミがこんなにはっきり言うなんて、大人になったのね」
「それはまあ」
先月で18歳になって、もう成人だし。
「沙喜美さんの今後のことなんですが」
と洲本が口を開く。
「それはもう、お任せいたします」
母親が頭を下げるが、洲本は手で制する。
「いや、一応ご両親の意向も伺っておきたいと思いまして。経済的なこともあるので」
「経済。ああ、なるほど。え、あの失礼ですが、御職業は」
「え?教員ですが。え?」
「教員というと、あまり給与は高くていらっしゃりませんよね」
「ちょっと、失礼でしょ」
「ははは、いや面目次第もありません」
洲本は後頭部に手をあて上半身ものけぞらせている。
「それでいくらあればいいんだね?」
とロータ。
「え、いくら?」
洲本は困惑の表情を浮かべるが、すぐに気を取り直したようだ。
「ああ、そうですね、四年間で六百万円くらいかと」
私立って高いよねと思う。
「四年間、では四十年で六千万円ですな」
何を言ってる?
「四十年、いやそんなに長くは」
「なに?サシミでは不満ですか」
父親は少し気色ばむ様子を見せる。
「え、いや刺し身には不満はないのですが、規定があるでしょうし」
「規定、意味が分からん。とにかく長くはいられないと、そういうことですな」
父親が洲本をぎろりと睨み付ける。
「そうです ね」
「わかりました。そういうことなら、八年で千二百万円ではいかがか」
「いかがと言われましても、だいたいそのくらいなら宜しいと存じます」
「では、それで」
さすがのわたしも8年も留年しないと思うけど。
「いや、今日お伺いしたのはそれだけではなく、何と言うか、本当にいいんですか?」
「いいとは?」
とロータ。
「サシミがいいならそれで」
と言う笑顔の母親。
「もっと上もあると思うんですよ。上を目指してみるというのはいかがかと思いまして」
と洲本。
「もっと上。先生より上ということですか?」
「いや、それはそのままでいいんですが、学歴の面で」
「ああ、東大や早慶ということですか」
「はい」
「先生はどこの大学を卒業しているんですか?」
「私ですか。地方の有名ではない大学です」
「そうですか。先生はもっと御自分に自信をお持ちになった方がいいんじゃありませんか?」
「え?」
「ちょっと、さっきから何言ってるの」
先生に失礼すぎる。
「私、ちょっと早い気がしてきました」
母親が急にうーんと考え込むように唸りだした。
「早い。いやいや早くはありませんよ」
洲本が慌てて言うが、
「そうでしょうか」
母親は納得しない。
「そうですよ。経済的には2年くらい待った方が、6年後には経済も上向きになっているかもしれませんが」
「そういう当てがあるんですか」
「あてというか、みんなそう言っています」
「そうなんですか。あ、そうだ、それで娘とはいつから」
「え、えーとそうですね、三年ですが」
「え、そんなに、全っ然知らなかったー」
「お母さん、忙しいもんね、文化祭も体育祭も入学式も全然来なかったし。え?卒業式って来るの?」
「そうねえ、行ってもいいかも。卒業式はいつなの?」
「いや、だから」
「3月20日です」
また、声が揃った。
「ええ?そうなの?結婚式と一緒じゃない」
「誰の?」
「はあ?何言ってるのぉ?あなたのよー」
「え?誰と?」


  

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