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ラグビーとの付き合い④〜NZ戦惨敗後〜

バタバタしていたら2週間も経ってしまった。

その後、絶版になっていた「ラグビー黒書ー145点を忘れるな!」という書籍を入手した。執筆陣を見ると多少のバイアスがかかっているのかなと見えるものの、ある程度当時の状況を知ることができた。
今の協会も首を傾げるような事が多く行われている印象はあるものの、現代の感覚で言うと代表の強化とは言えない様なことが行われていたのを窺い知ることができる。
南アフリカへ出発する直前のルーマニア戦で今まで使っていなかった選手を、「記念に」的な形で起用する、145点を取られたニュージーランド戦でも選手達から必死さが全く感じられなかった等々。
多少割り引いて考えても相当酷かったのではないかというのは伝わってきた。

さて、先の記事の最後に1995年の惨敗の後強化もままならない状態にとは書いたが、勿論強化を行わなかったわけでもなく、その努力をしなかったわけでもない。が、どうしようもなくチグハグな、迷走をしていた。
その典型が「平尾プロジェクト」というものだった。詳細は私も調べ切れていないが、当時代表の強化の責任者であった平尾誠二氏の提案により1996年にラグビー界以外から逸材を集めるという主旨で始まったものと記憶している。(※誤謬があればご指摘願いたい)
平尾氏の抜群の知名度と相まってそれなりに注目を集めたが、綿密な計画もなく場当たり的に行ったとしか思えないものであった。第1回のセレクションで選抜された高橋銀太郎氏のインタビューによるとそれも2年程度で文字通り立ち消えになってしまったらしい。なお、この高橋氏は早大を卒業後、トップリーグのクボタスピアーズで活躍する一流選手になっている。

私自身は平尾氏から知遇を得た事があるわけではないが、一度始めた事を立ち消えにするような人物ではない筈である。その平尾氏をしてもプロジェクトを中途半端に打ち切らざるを得なかった程、協会内部の意思統一もできず、強化も行うことができない状況となっていたのだろう。

その様な中で出場した1999年のワールドカップで結果が残せる訳もなく、1勝もできずに敗退した。一方、80年代には明らかにラグビーよりも人気が無かったサッカーは1993年にJリーグを発足させ着実に人気を獲得し、1998年には念願のサッカーワールドカップに出場を実現、更には2002年に日韓共催によるサッカーワールドカップの開催も決定し、スポーツとしての浸透度は大きな差がついてしまっていた。

それでも少しずつではあるが改革は行われ、2003年からはジャパンラグビートップリーグがスタートしたが、フォーマットが毎年の様に変更され、新たなファン層の取り込みには至らなかった。
代表についても、その後もワールドカップには毎回出場するものの、ジンバブエ戦以来勝利をあげることができないままでいた。

世界は既に15人制ラグビーにおいてもプロ化が進み、80年代後半にはもしかしたら手が届くかもしれないと思われたラグビー強豪国「ティア1」入りもアルゼンチンやイタリアに先を越され、最早永遠に無理ではないかと思われた。
同時にサッカーワールドカップ、オリンピックに続く大きなスポーツイベントに成長したラグビーワールドカップを擁するスポーツであるラグビーの国内における人気が野球、サッカーに追い付くことができる可能性も潰えたかに見えた。

ところが、その状況が一変する出来事が起きる。



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