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フォローもいいねもされたいけど、自分からくれと言う勇気はない

最近、TikTokにハマった。もちろん見る専だ。

TikTokを見始めて、感じた事がある。

「目立ちたい気持ちは、表に出してもいい」と言う価値観が広がっている気がするのだ。

そんな時、私は古い人間なのかもなあと思う。
投稿に対して、
「いいねとコメントよろしく!」
って言う文言になんか違和感を感じてしまうからだ。感じてしまうと言う言い方をしているのは、この違和感は褒められた感情じゃないのを自覚しているからだ。
嫉妬である。
バズりたいという欲求をアピールする勇気を持った人への憧れである。

こんなに目立とうとしている人が増えたのはInstagramと TikTokがあったからじゃないだろうか。
SNSツールが星の数ほどある世界で、やっぱりバズりたい、有名になりたいと言う自己承認欲求を持つのは無理もないことだ。
しかし、私のこれまでの人生において、目立ちたい!と言う感情は隠す物だった。言葉や行動にする事は避けられてきた気がする。
なぜって、閉鎖的な社会の中では集団の中で目立つと叩かれる。私はそう思っていたし、もしかしたら今だに、出る杭が打たれてしまう環境は存在するのかも知れない。

そんな陰気な私からすると、フォローよろしく!いいね下さい!コメントください!と言われるのは、カルチャーショックがすごいのだ。
ちょっと、まってそれ自分で言うの??という衝撃。私なら絶対言えない。せいぜい「応援よろしくお願いします」なんて曖昧でブナンな言葉にして誤魔化してしまう。

しかし、彼らは文字にする。声にする。態度に出す。
凄すぎない??実際、人に良い評価をくれと頼むのは怖いと思う。図々しいと思われやしないか、周りの人にどう思われるか。
しかし、それを乗り越えたからこそ、こうやって「コメント、いいねよろしくお願いします!」って言えるのだ。

強いなあ。彼らの強さが、きっといつか出る杭を打たない社会につながるのだと思う。

こうやって時代の価値観が変わっていくと思うと鳥肌が立った。目の覚めるような武者震い。世の中の価値観って、本当に変わるのだ。

一攫千金、時は大拡散時代である。
TikTokerに、俺はなる!と息巻く者は数知れず。
全てがそこにあるわけじゃないけれど、やはりSNSの価値と拡散力は高まっているように感じる。

目立ちたい!と思う感情を言葉に態度に出すことが「ふつう」と言う風潮に変わったとしても、どうか目立ちたい気持ちを表に出せない私みたいな小心者が、出ない釘として社会から引っこ抜かれないように祈ろう。

そして、小心者の方も、目立ちたいと口に出す勇気を振り絞ってみたほうがいいんじゃないだろうか。変わる価値観を、私とは違うとよく素人もせず突っぱねるのはもったいない。

そんなこんなで、一回私もTikTokに投稿してみようと思って動画を撮った。
ひっそりと布団の中で自分の人生初の動画を再生する。

「領域、展開!」

動画には照れを隠しきれず、領域を展開しきれてない私がいた。あまりにお粗末でスマホに眠らせた。

フォローもいいねも、頼めるようになるのはまだかかりそうだ。

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