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鎌倉街道 上道を走る 武蔵嵐山~男衾

 ようやく気温が30度を下回るようになったので、鎌倉街道上道の続きを走ります。前回が6月末だったので約3ヶ月ぶりになります。

 今回の行程は、あの畠山重忠の地元でもあることから、周辺の関連史跡に寄り道できるように余裕を持たせました。

 天気予報だと曇りだったのですが、電車から降りるとしっかり雨が降っていました。3時間かけて来ているので止めるという選択肢は無く、意を決して雨の中走り始めました。

 今回も芳賀善次郎著「旧鎌倉街道探索の旅Ⅰ 上道・山ノ道編」(1978年頃)を参考にし、最新情報を得るため高木光幸著「鎌倉街道を歩く 保存と活用のいま」(2019年頃)も参考にしました。



武蔵嵐山~能増(のうます) 10㎞

 菅谷館跡に寄り道した後、市野川沿いの県道296号線を北上する。中山道の脇往還として川越と児玉間を結ぶ児玉往還とルートが重なるが、多分鎌倉街道は西の山側を通っていたと思われる。

武蔵嵐山〜能増

 武蔵嵐山駅を降りて、早速菅谷館跡へ寄り道する。ここは畠山重忠が館を構えた場所と言われており、ここから二俣川に向かって討たれた。

嵐山町・菅谷館跡・畠山重忠像

 その後、戦国時代に城を構えた武将がいたようだが、誰かははっきりしていないようだ。立派な土塁と堀の遺構が残っている。

嵐山町・菅谷館跡・出枡形土塁

 気がつけば彼岸花と稲穂が実る秋だった。

小川町下横田

 鎌倉街道上道跡の看板が立っていた。掘割状の道路遺構が見られるとのことだがよくわからなかった。雨の中整備されている方がいたので、これから下草が刈られてきれいになるのだろう。

小川町奈良梨・天王原北・鎌倉街道上道跡

 前の鎌倉街道上道跡から下り、一旦平地に降りる。向かう先の小山にも道路遺構がある。

小川町伊勢根

 こちらは下草が刈られて掘割がわかりやすい。

小川町伊勢根・普済寺東・鎌倉街道上道跡

 上から見たところ。はっきりと掘割の道が確認できる。

小川町伊勢根・普済寺東・鎌倉街道上道跡


能増~男衾(おぶすま) 10㎞

 更に北上し荒川に突き当たり、畠山重忠公史跡公園へ寄り道する。

能増〜男衾

 雨が収まってきて、霞も薄くなってきた。

小川町高見

 兒泉(こいずみ)神社の脇を進む。神社の西側の細道が鎌倉街道の続きとの記載が芳賀本にある。

寄居町今市

 秋の田畑の間を進む。雨は気にならないぐらいになった。

寄居町赤浜

 アイリスオーヤマの配送センター脇に、鎌倉街道上道跡の看板があった。土地開発が進むことが、逆に古の遺構の発見につながっているようだ。

深谷市畠山・天神沢遺跡

 現在の状況。遺跡として整備されていたが、正直一般受けは難しそうだ。

深谷市畠山・天神沢遺跡

 その先、荒川の土手に突き当たったところにも史跡の標柱があった。

寄居町赤浜・史跡鎌倉街道

 畠山重忠公史跡公園に寄る。鵯越(ひよどりごえ)の馬を背負った銅像が建っているが、写実にするとやっぱり無理がある。伝説に留めておけばいいのに。

深谷市畠山・畠山重忠公史跡公園・畠山重忠像

 公園内には、畠山重忠主従の墓と伝わる立派な五輪塔もある。

深谷市畠山・畠山重忠公史跡公園・畠山重忠墓

 荒川の土手沿いの道に戻る。

寄居町赤浜

 川越岩(かわごえいわ)は思っていたより大きくて驚いたが、草木に囲まれ全貌が見えなかった。対岸にも岩があって、荒川の渡河地点の目印となっていたとのこと。

寄居町赤浜・川越岩(獅子岩)


 荒川を渡る花園橋を土手から見上げる地点をゴールとしました。そこから男衾駅に向かいましたが、河岸段丘の上り坂がこの日一番きつかったです。
 全身びしょ濡れだったので下着まですべて着替え、すっきりして電車で3時間半ぐらい掛けて帰宅しました。
 雨中のランになりましたが、適度に体を冷やせて走りやすかったのと、しっとりとした風景を味わえたので、これはこれで良かったのかと思ってます。

 次の行程は、いよいよ群馬県境まで進む予定です。

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