鎌倉街道 上道を走る 東村山~西大家
近場の鎌倉街道上道、中道、下道は概ね走ったので、気になっていた埼玉以北の上道に進みます。行き帰りのアクセスに時間が掛かるのと、暑くなるので、無理のない距離を少しずつ進みたいと思います。上道沿いには史跡や遺構も多いので、寄り道の時間も取れるように余裕を持って計画します。
上道沿いには、畠山、比企、新田、足利など鎌倉幕府設立と滅亡に関わった武家の縁の地が多く、この道筋に多くの史跡や伝承があります。また、鎌倉が政治の中心から外れてからは、幹線道としては使われなくなったので、開発から取り残され、古道の姿が残っていることが期待できます。それらを訪ねながら進みたいと思います。
今回も芳賀善次郎著「旧鎌倉街道探索の旅Ⅰ 上道・山ノ道編」(1978年頃)を参考にし、最新情報を得るため高木光幸著「鎌倉街道を歩く 保存と活用のいま」(2019年頃)も参考にしました。
東村山~入間川 13.7km
入間川まで平坦な武蔵野台地をひたすらまっすぐ北西に進む。
いつもより早めに家を出て、9時頃東村山駅に到着する。まずは東村山と言えばこの方にご挨拶。今日は曇りで気温は低めだが、湿度が高く汗をかきそうだ。
二瀬橋を越えて埼玉県に入る。埼玉県をちゃんと走るのは今回が初めてなので、記念すべき一歩を踏み出す。
豊川稲荷、長久寺を過ぎ、若干の坂道を上り、西武池袋線に突き当たり踏切を渡る。この先の南小学校脇の道が旧街道であるが、一旦線路西側に戻り南陵中学校に向かう。
寄り道をして見たかったのは、中学校の正門脇にある東山道武蔵路の東の上遺跡である(遺跡自体は校庭に埋め戻されているので看板だけだが)。今回のルートに見られる長い直線道路は、古代の官道がルーツかと思ったので、その痕跡を確認したかった。鎌倉街道上道の府中以北は、この官道と重なる箇所が多い。
長い直線道路が続く。上記の東山道武蔵路をベースにしているのかも。
東川を渡った左手にある新光寺には、頼朝が那須野に行く途中昼食をとったという伝承があるようだ。寺の前にある「旧鎌倉街道」のハリボテの標柱は、この道沿いのところどころにあった。
今回は狭山市駅に向かうルートを進んだが、所沢市泉町付近で分岐し、東寄りに進む旧鎌倉街道の支道があるようだ。それは堀兼道と呼ばれ、先の東山道武蔵路は、こちらの道筋だったようだ。どちらもひたすらまっすぐ続く道になっていて、先に道があり、その後周辺に人が住むようになったと想像する。
不老川を越えた左手に観音堂があり、その脇に七曲井の遺跡がある。水源が深く井戸を掘るのが難しい武蔵野台地特有の形状であり、まいまいず井戸と呼ばれる(まいまいはカタツムリのこと。カタツムリの殻のように渦巻き状に掘られていることから名付けられた)。草ボウボウなので形状がわかりづらい。
入間川を渡る橋の手前の横断歩道から進行方向を眺める。まだまだ山は遠く、しばらくは平坦な道が続きそうだ。
入間川~西大家 11.5km
入間川を越えて、なだらかな丘陵地帯を進む。これまでの街中から、工業団地、ゴルフ場、田畑へと周囲の環境が古道風景に変わっていく。
入間川を渡る前に、清水冠者源義高終焉の地である清水八幡宮に寄る。「鎌倉殿の13人」にも描かれていたが、木曽義仲の子である源義高が、頼朝の娘大姫をめとり鎌倉にいたが、頼朝が義仲を討ったことにより、命を狙われる前に鎌倉を脱出したが、この地で討ち取れた。そのことに怒り嘆いた北条政子は、この地に立派な神社を造らせたとのこと。入間川の度重なる洪水により社は流され、現在の社はこの辺りだっただろうと明治初期に再建されものだが質素なものだった。
同じく義高が追手の目を逃れるために、その背後に隠れたとの謂れがある影隠地蔵が、入間川の段丘を上る途中にあった。
義高の悲劇を哀れんだ村人が、後に供養のため地蔵を建てたとも言われているようだ。ドラマでも印象的だったが(義高のキャラクタの好感度が高かったのもあり)、人々の心に残る史実である。鎌倉から結構な距離離れたようだが、追手から逃れられなかったようだ。
日高CCの脇の道路に「鎌倉街道」の交差点があった。この先、タイトル画像にした立派な鎌倉街道上道の石碑があった。最近造られたもののようだ。
畑や田んぼに囲まれた田舎道になる。芳賀本の時代は、この辺り未舗装路で古道の雰囲気が色濃く残っていたようだが、現在は舗装された一般道になっていた。
霞野神社の境内に、女影ヶ原(おなかげがはら)古戦場跡の碑があるようだが見逃した。鎌倉幕府滅亡後、北条高時の遺児時行が一時的に鎌倉を奪還した中先代(なかせんだい)の乱として、ここで戦いがあったとのこと。
舗装されているが、古道らしさは十分残っている。
旭ヶ丘地区は、戦時中陸軍の空港があったエリアが民間に払い下げられた場所のようだが、空き地が多くあまり開発が進んでいないようだ。
秩父の山並みが近くなった。
この道脇の水路は、鎌倉街道の遺構の掘割を利用して造られたとの説があるが、平地に掘割は造られないと思うので、ちょっと違和感がある。
13時前に西大家駅に到着し、本日のゴールとする。電車を乗り継いで15時過ぎに帰宅する。
徐々に古道らしさが出てきました。この先の毛呂山町では、鎌倉街道の遺構が国指定の史跡に指定されたとのことなので更に期待できます。
それにしても、埼玉県に入ると鎌倉街道の標識が増えたように感じます。鎌倉から離れるほど憧れ?のような感情もあるのか、鎌倉街道の記憶を大事にしているように感じました。
これまで、埼玉から先はアクセスが大変なので尻込みしていたところもあったのですが、一度踏み出すと早く次に行きたいという気持ちの方が勝ってきました。次に行ける日は決まっていませんが、少しずつ進みたいと思います。
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