浦賀道を走る 東ルート 保土ヶ谷~浦賀
浦賀道は、浦賀に奉行所が出来たことにより、江戸方面から浦賀に向かう道として作られました。幕末にペリーが来航したり、横須賀に造船所や海軍が置かれたりしたことにより、往来が盛んになりましたが、三浦半島の地形から険しい道のりだったようです。
浦賀道には東ルートと西ルートが存在しますが、今回は東ルートを進みます。住んでいる場所から近いので、部分的には走ったことがありましたが、古道を通して走ったのは、これが最初になります。
実際には、六浦から浦賀までを先に走り、1週間後に保土ヶ谷から六浦を走りましたが、ここではルート通り紹介します。
保土ヶ谷~笹下 5.6㎞
このときは、地形図を見る手段が無かったので(下図は別のAPLで記録したGPSログをスーパー地形図上に表示させたもの)、保土ヶ谷から出発して急坂が待っているとは思わなかった。
旧東海道も意識していなかったので、保土ヶ谷駅の踏切から出発する。今なら旧東海道をスタート地点にしていただろう。
1号線から古道に入るところにある「かなさわ・かまくら道」の案内標識を見て気分が上がる。
いきなり急坂と出会う。なぜか得した気分になる。
山を越えて大通りに出ると、鎌倉街道(下道)に合流。鎌倉街道はいろいろな場所に存在し、古すぎて古道としてルートを追うのが難しそうだ。
上大岡の駅前から裏通りに入る。買い物などで普段から使う道だが、古道と知ると見え方が違ってくる。
関ノ下の交差点。ここから笹下釜利谷(笹釜)道路に入る。
笹下~能見台 5.9㎞
笹下川の左岸を進む。
途中、笹釜道路から旧道区間に入る。古道の特徴のひとつは、川沿いかつ山際の高台、そして出来るだけ川を渡らないことだ。平地で洪水にも強い場所に道ができる。
途中から遊歩道に入る。
富岡から、海沿いに出るため山越えに入る。山越え区間も、人が住みづらく古道が残りやすい区間だ。
階段を下り、宅地開発されたエリアに入る。
大規模宅地開発されたエリアのため古道が残っていない。近い道筋の団地の間を抜ける。
能見台~六浦 6㎞
能見台から山を下り海側に出る。
能見台から金沢文庫までは、古道が能見堂緑地ハイキングコースとして残っている。
途中ガードレールのある区間もある。車が通っていた時代があるようだ。
能見堂跡付近は金沢八景の由来となる景勝地だったようだ。
金沢文庫駅からハイキングコースへの入口。看板通り天園(六国峠)、鎌倉までハイキングコースは続く。
金沢八景を過ぎて六浦の町中に入る。
侍従川を渡り、この日のゴールに到着。
8時にスタートし、11時ごろに目標のゴール地点(後半のスタート地点)に到着。最後は疲れてほぼ歩いた。
六浦~田浦 5.2㎞
現在は16号線のトンネルでつながっているが、かつては、浦と浦の間は山越えを強いられる区間。
後半のスタート地点とした三艘地区の踏切。鎌倉時代に港があり、唐船が三艘渡来したことが由来とのこと。
今はトンネルで進めるが、かつては山越えが必要だった。わき道から山に上がる。
がらめき切通までの道は廃墟などにより途絶えている。藪漕ぎでなんとか切通にたどり着いたが、ここを訪れたいならトンネル先から戻ることをお勧めする。
切通の山道から16号に降りる階段。
京急田浦駅を過ぎて、旧道の山越え区間に入る。
港ヶ丘団地に上がる階段。
港ヶ丘は宅地開発され旧道は残っていない。宅地のはずれの階段から旧道が復活する。
隧道脇に出る。
旧海軍が作った水道上に作られた水道路に出る。
田浦~横須賀上町 6.9㎞
このルートの一番の難所と言われた十三峠を越え、横須賀名物の階段路に入る。
十三峠に上がる坂道。
最後はやっぱり階段。
現在の十三峠付近は、住宅もあり車も通る走りやすい道路だった。
旧道は、三浦按針塚がある塚山公園に入る。かつての街道の面影が残っている。
切通区間はもっと旧道っぽい。
一旦逸見に降りて、再び山肌を縫う旧道区間に入る。
汐入に降りる坂。
汐入から再び階段路に入り、入り組んだ細い道を進む。
ようやく下界に降りると、三崎街道と交差する。
横須賀上町~浦賀 6.5㎞
海沿いを進み、最後山を越えて浦賀に入る。
この辺りからスマホと自分自身のバッテリーも切りかかり、あまり写真を撮っていない。県立大学駅を過ぎる。
最後の坂を超えて浦賀駅を過ぎる。ゴールの奉行所跡地はもう少し先だ。
浦賀通りの旧道に入る。
途中にあった浦賀道の案内看板。これで「浦賀道見取絵図」の存在を知った。東京国立博物館の研究情報アーカイブスで閲覧できる。
最終ゴールとした浦賀奉行所跡地に到着。広大な空き地になっているが、最近まで社宅が立っていて、跡地の活用方法を市で検討中とのこと。
後半の行程は、7時ごろ六浦をスタートし、10時半ごろにやはり最後はヘロヘロになってゴールしました。
古道が、幹線道路や生活道路、ハイキングコースと姿を変えていますが、ところどころに古道の面影が残っていて、当時の往来の様子を思い浮かべることができました。楽しさと苦しさが入り混じったこの体験がきっかけとなり、古道巡りが始まりました。
次は、この後に出かけた浦賀道の西ルートを紹介します。
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