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鎌倉街道 下道を走る 墨田~松戸

 中道の次は下道の続きを走りました。

 前回墨田区の荒川まで走りましたので、荒川を渡った先の四ツ木から市川の国府台まで東進するルートと、墨田から松戸まで北東に向かうルートを続けて走りました。前者は、頼朝が石橋山の戦いに敗れて舟で房総半島の先に逃れた後、坂東の武者の参陣を得ながら進んだ道であり、後者は、頼朝の佐竹征伐時に進軍した道になります。
 参考にした書籍は、頼みの芳賀善治朗「旧鎌倉街道探索の旅Ⅱ 中道・下道編」になります。


四ツ木~市川 16㎞

 古代の官道のひとつ古東海道を、下総国の国府があった市川市国府台まで進む。長い直線の古道が残っている。

四ツ木~市川

 四ツ木駅に9時に到着し、前回のゴールの対岸に向かう。
 四ツ木駅はキャプテン翼の作者である高橋陽一さんの出身地とのことで全面キャプテン翼だった。

葛飾区・四ツ木駅

 荒川の土手から、荒川と平行に走る綾瀬川の先の進行方向を眺める。

葛飾区四つ木・荒川土手

 古東海道の進行方向に立つと直線古道が続く。

葛飾区四つ木付近

 西光寺は、葛西清重が自身の居館跡に創建した古刹として知られている。
 葛西清重は、頼朝が房総半島から武蔵国入りをする際参向し、坂東の武士団をまとめることに貢献している。

葛飾区四つ木・西光寺

 中川は江戸時代に利根川の水害対策として、深く掘られてわざと流路を曲げたとのこと。古道は失われているので川岸に沿って迂回する。

葛飾区立石・中川

 奥戸小学校の敷地にあった古東海道の看板があった。

葛飾区奥戸

 新中川に架かる三和橋を渡る。
 新中川は、やはり洪水対策として昭和に開削されたとのこと。

葛飾区奥戸・三和橋

 この辺りの地名は鎌倉町である。鎌倉街道由来では無さそうだ。

葛飾区鎌倉付近

 江戸川に突き当たる。東の対岸が目指す市川市の国府台だが、川を渡るため土手を南下する。

江戸川区北小岩・江戸川土手

 市川橋を渡り、初めて千葉県に入る。これで関東一都六県を一応走ったことになる。

市川市市川

 千葉県側の江戸川土手を北上し、里見公園への登り口を東に向かう。

市川市国府台付近

 里見公園内に国府台城跡がある。戦国時代に千葉実胤(さねたね)が最初に築いた説(市河城=国府台城)、もしくは太田道灌が国府台に最初に築いた説があるようだ。

市川市国府台・里見公園

 里見公園の先を東進すると、国府台病院に突き当たる。

市川市国府台付近

 病院を迂回し、一度谷間を越えて再び台地に上がる。
 住宅地の中にある国分尼寺跡は公園になっていた。

市川市国分・国分尼寺跡公園

 国分寺跡も公園になっていた。
 下総国府の位置は特定されていないが、野球場から千葉商科大学あたりにあったとの説が有力のようだ。

市川市国分・下総国分寺跡

 北上し、北総線の矢切駅から電車で移動する。

松戸市・矢切駅


墨田~松戸 13.2㎞

 墨田から北東の松戸に向けて、荒川、中川、江戸川の3本の川を越える。このルートは水戸街道のもとになったとのこと。

墨田~松戸

 矢切駅から青砥駅で京成本線に乗り換え、関屋駅で下車し、牛田駅で東武伊勢崎線に乗り換えて鐘ヶ淵駅まで戻る。

墨田区墨田・鐘ヶ淵駅

 鐘ヶ淵駅から西に戻り、古東海道からの分かれ道から松戸を目指す。

墨田区墨田付近

 多聞寺の山門は茅葺きで、墨田区内最古の建造物とのこと。

墨田区墨田・多聞寺

 荒川を越えるため、北上して堀切橋を渡る。

足立区柳原・堀切橋

 南下してルートに戻ると、縁起の良さそうな通りだった。

葛飾区堀切・ラッキー通り

 ラッキー通りを直進し、お花茶屋駅を過ぎると現在の日光街道(国道6号線)に合流するが、並存する旧日光街道を進む。

葛飾区白鳥付近

 旧日光街道では、古道らしいうねりも味わえる。

葛飾区青戸付近

 再び中川に突き当たり川沿いを迂回し、中川橋を渡る。

葛飾区亀有付近

 引き続き旧道を進む。

葛飾区金町付近

 江戸川手前の葛西神社は、葛飾区、江戸川区他の総鎮守として、葛西清重が香取神宮の分霊として祀ったのが始まりとのこと。この地での葛西清重の存在感は大きい。

葛飾区東金町・葛西神社

 江戸川の土手下を北上する。

葛飾区東金町付近

 葛飾橋を渡り、再び千葉県に入る。

葛飾区東金町・葛飾橋

 タイトル画像の松戸側の土手道を進むと、松戸宿の碑があった。江戸時代、渡船場があり、宿場の玄関口だったとのこと。

松戸市松戸・松戸宿の碑

 松戸神社は、松戸の総鎮守として1626年に創建されたとのこと。

松戸市・松戸神社

 松戸駅に到着し、本日のゴールとする。

松戸市・松戸駅


 今回、東京の下町を進みましたが、この辺りもほとんど訪れたことが無く、土地勘がなかったので新鮮な探索になりました。
 この先の工程として、前半のルートを南下して頼朝が勢力を拡大した道を進むのも面白そうですが、まずは松戸の先を北上したいと思います。
 芳賀本のルート紹介は松戸までなので、この先自分でルートを考える必要があります。鎌倉街道の史跡が各地にあるようなので、それらを繋げてルートを考えたいと思います。下道の最終ゴールは水戸かな。

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