鎌倉街道 中道を走る 和戸~古河
中道の続きとして古河まで走りました。
この辺りは土地勘が無く、埼玉、栃木、茨城の境界もよくわかっていなかったので、思いがけずに茨城県に進入しました。
それでも、いつも利用している東海道線や湘南新宿ラインが繋がっているので、思ったより行きやすいエリアであることもわかりました。ちょっとした小旅行にはいいかも。
今回も参考にした書籍は、芳賀善次郎著「旧鎌倉街道探索の旅Ⅱ 中道・下道編」になります。
和戸~栗橋 15.9km
いくつかの河川を横断しながら北上するが、堆積層による平坦な地形である。
久喜駅まで東海道線の直通電車で行き、東武伊勢崎線の和戸(わど)駅に8時半すぎに到着する。
前回のゴール地点の線路の反対側からスタートするが、早速未舗装が待っていた。
大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)を越える。古利根川は、かつて利根川の本流だったが、江戸時代に利根川東遷により現在の流路に変わった。
日光御成道に合流するまで、古道らしい道を進む。
日光御成道に合流する。日光御成道は県道65号線として交通量の多い一般道になっているが、ところどころに史跡があった。
幸手(さって)市街は、かつての宿場町としての雰囲気を感じさせる。
日光街道に合流する。現在の日光街道は国道4号線として立派な幹線道路となっている。
権現堂桜堤は、利根川東遷により権現堂川が利根川の支流になり、洪水から江戸を守るために築かれたとのこと。現在は利根川から権現堂川への入り口は閉ざされた。
中川を渡ってからは、現在の日光街道・国道4号線の脇の旧道を進む。途中、日光街道、つくば道などを示す道標があった。
国道4号線の脇を進む。車の往来から離れられてありがたい。
旧道には一里塚もあったので、旧日光街道を進んでいる安心感が得られた。
栗橋もかつての宿場町であり、今は閑散としているが宿場町の雰囲気が感じられた。
利根川の高い土手を登る。水害対策強化のためか今も改修が続いているようだ。
栗橋~古河 10.2km
利根川を越え、渡良瀬川に沿ってまだまだ平坦な地形を北上する。
利根川を渡り茨城県に入る。
これで関東一都六県で走っていないのは、栃木と千葉になった。
利根川は、坂東太郎の異名を持つ暴れ川である。今は静かで穏やかだが、一旦暴れ出すと手がつけられないだろうと思わせる怖さも感じた。
利根川橋を渡り、現日光街道から離れて旧道に入る。
旧道には「公方通り」の愛称があるようだが、更にその脇の古道を進む。
一部未舗装を区間もあった。
古河市街に近づき公方通りに戻る。
遠くに見える渡良瀬川の土手も改修工事が進んでいた。
古河総合公園に立ち寄る。古河公方公園の愛称があるように、古河公方足利氏の御所跡や墓所が園内にある。
古河公方とは、室町時代の後期から戦国時代に掛けて、関東内の権力争いの結果、関東公方としての足利氏が本拠地を古河に置いたことによる。実質は後北条氏などが関東管領として実権を握った。
古河も日光街道の宿場町として、明治以降は製糸業で栄えたようだ
源頼政を祀る頼政神社に寄り道する。
頼政は、平治の乱において清盛側についたことにより、平家政権時に源氏長者となったが、以仁王(もちひとおう)の挙兵時に平家打倒に立ち上がり、戦いに敗れて自死する。頼政の一族の支配地がこの地にあり、家臣が首をこの地に葬ったとの伝説があるとのこと。
古河駅前の交差点を本日のゴールとする。
首都圏から離れましたが、現在も北関東の主要都市、さらには東北に向かう幹線ルートであり、タイムスリップしたような古道らしさはあまり残っていませんでした。それでも、歴史を感じさせる史跡や、かつての宿場町の風景など、興味が尽きない行程でした。鎌倉街道の史跡はありませんでしたが。
あと、帰りも10分おきに横浜までの直通電車が来るので、時間を気にすることなく帰り支度と昼食が取れました。
次回は、中道の最終区間として、栃木県小山まで走る予定です。この区間は芳賀本にもルートが無いので情報を収集中です。