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鎌倉街道 下道を走る 鎌倉〜笹下(峰通)
下道は一旦終了したのですが、峰通と呼ばれる間道を使って鎌倉から笹下まで走ります。
峰通は、鎌倉の北方の山を越え、栄区と金沢区の境界となっている尾根道を北上し、磯子区峰町に至ります。その先は洋光台を縦断し、笹下で下道の本流に合流します。前回の東京湾側の六浦湊を経由するルートは明らかに遠回りなので、遠方に行くときはこちらを使っていたのではないかと思われるのですが、実際に走って検証します。
今回の行程の半分は未舗装のハイキングコースなので、昔ながらの古道の風景にも期待できます。
今回も芳賀善次郎の「旧鎌倉街道探索の旅Ⅱ 中道・下道編」を参考にしました。
鎌倉~笹下 14.1km
鎌倉北方の天園峠を越え、尾根道を北上し、笹下で下道の本ルート(点線)に合流する。
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7時半頃、鎌倉駅に到着し、いつものように鶴岡八幡宮からスタートする。
金沢道を東に向かい、岐れ路交差点の先の関取場跡碑が立っている脇道に入り、本ルートから離れる。
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鎌倉はメイン通りから1本離れただけで、道端に小川が流れる古道の姿が残っている。他の町だったら暗渠にしているだろう。
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永福寺(ようふくじ)は、義経を含む奥州征伐の戦没者慰霊のため頼朝が建立した寺院である。鎌倉の鬼門にあたるこの場所に建てられたということだが、この道を外界との入り口として重視していたとも言えるのでは。
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亀ヶ渕橋を渡ってほどなくして天園ハイキングコースに入る。この辺りは紅葉の隠れた名所とのこと。
通常の山道とは違い、道幅を拡張し、切り通しによる平坦化がされているので、馬での往来も可能だっただろう。
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案内板にもあるように、このハイキングコースは金沢文庫駅前まで続き、以前走った下道本ルートに能見堂近くでも合流できる。
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横浜最高地点(159.4m)の看板がある天園から、稲村ヶ崎方向を望む。なお、最高峰は大丸山(156.8m)だそうだ。
実は、上の写真の右方向に進んでしまい、1kmぐらい進んで天園を通り過ぎたことに気がついた。わざわざ戻って撮ったのが下の写真である。
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天園から先は尾根道を進む。途中いくつか岩を削った立派な切り通しがあり、タイトル画像もそのひとつである。おかげで、山道ではあるが平坦な道が続く。
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横浜市栄区と金沢区の境界となっている尾根道を進む。ここは相模国と武蔵国の境界でもあった。古道が国境になっているのは、古道あるあるだ。
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いっしんどう広場がハイキングコースの終着点だ。
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ハイキングコースから一般道に入り、高台から横浜市中心部を望む。
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峰町は、その名の通り尾根沿いに広がる町だった。
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横浜横須賀道路の陸橋を越えて尾根を下ると、洋光台の大規模宅地開発エリアに入り、古道は消える。
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洋光台を過ぎ、笹下に入ると古道は復活する。
この辺りの旧地名は雑色である。これまでの鎌倉街道沿いにも存在した「雑色」と同様に、街道を監視する官吏として雑色が配置された地のひとつではないかと思われる。
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笹下の一番標高が高い場所は、笹下中央公園になっていて、この公園の土の下には、縄文時代から古墳時代の住居跡である雑色杉本遺跡が埋まっているとのこと。
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笹下から、下道本流に合流する笹下釜利谷道路に下ると、「関」だった。雑色村の近くに関所があるのは想定通りとも言える。
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この先の上大岡駅を本日のゴールとして電車で帰宅する。
余裕があれば峰通に続いて他の間道も訪ねる予定でしたが、前日の家の用事(ブロック壁塗り)で体力的にきつかったので、今回はここで切り上げました。
江戸時代、この道沿いの円海山にある護念寺のお灸(きゅう)が「峯の灸」として有名になり、関東各地からこの道を使って多くの人が訪れたとのことです。保土ケ谷の金沢横丁にも、「円海山之道」の道標が立っていました。現在も鍼灸院としてやっているようなので、興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。古典落語の「強情灸」のモデルとなったぐらい熱いのが特徴のようです。
今回のルートは、天園峠までの上り勾配はきついのですが、その先は平坦で通行しやすい道となっていました。鎌倉近郊の山道や切通は大体訪れていますが、今回の道はその中でも通行しやすい整備された道でした。やはり、間道というよりは鎌倉街道の主ルートのひとつだったのでは。
次回は、今回行けなかった弘明寺道を進む予定です。