どんなことも笑えたら勝ちなのか
お笑いが好きです。私の生活には身近にお笑いがあります。身近な人の影響で、育った環境の中にもいつも笑いがありました。
相手がハードな経験もいつか笑いに出来たらOKという思考を持っていると、自分も自然とそっちに寄って行きますよね、エピソードトークに纏めようとします。
私も一時期までは「これは辛かったし嫌だし笑えねえ」ということも無理矢理エンタメに昇華させようとしていました。これが辛かった。苦笑
笑えないことは笑えないんです。無理矢理エピソードに仕立てたとしても話す時にボロが出るし、何より消化出来ていないエピソードトークは聴者を不安にさせます。刷り込みとは厄介で、長らくその事実に気づくことが出来なかった。
今もね、笑いに変えよう!とか言われたりアドバイスされるんです。
間違ってないと思う。あなたの解釈や対処としてはいいと思う。ただ、それを私に強要しないで欲しい。こう言えるまで、かなり時間が掛かりました。
解釈が濃く入った事実や思考というのは厄介で、時に独創性という輝きを放ちますが、大体が「この人思想つよいな」という感想になると思ってます。そして多くのNOの場合は伝えても伝わらない。そういう時ってどうしたらいいんでしょうね。
最近、起こった出来事としての事実とそれに対する自分の反応や感情の解釈を分ける意識づけをしています。自分の身を守るために。解釈を強要したり、振り回されないように。めざせ精神的自立。
なんか違うよな、辛いなあと思うことって、時により強いバネとなって大きく成長出来るきっかけになるのかもしれないです。
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