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クシシュトフ・ペンデレツキ(1933/11/23 - 2020/3/29)の「聖ルカに拠る我らが主イエス・キリストの受難と死」(1966)

 私はペンデレツキの良い聴き手ではないんで、特に量産された新ロマン派なる後半生の作品にはあまり関心が持てない。ラサール・カルテットの奏する弦楽四重奏曲は悪くないと思った。が騒音的な音材料をもとにベートーヴェン的にきっちり構成された曲、ってな解説批評を読んだ記憶があるがそれはどう考えても買い被り過ぎ。あとは例の、タイトルはキャッチー過ぎてどうかと思うがウルバンスキの指揮で観聴きする「哀歌」は、彼のおかげか面白いとは思う。

 クラスター等の手法を集大成した「ルカ受難曲」。
第一部
第一曲 合唱(棕櫚の主日の讃歌より)
おお、十字架よ、めでたし、
唯一の希望よ、
この御受難の時節にて、
敬虔なる者は、聖寵をいや増し、
罪人は、罪を赦されんことを
救いの泉なる、三位一体よ、
全ての霊は、御身を褒め称ふ

第二曲 福音史家(語り) キリスト(バリトン)
遂に出でて、常のごとくオリブ山に往き給へば、弟子たちも從ふ。
かくて自らは石の投げらるる程かれらより隔り、跪づきて祈り言ひたまふ、
『父よ、御旨ならば、此の酒杯を我より取り去りたまへ、されど我が意にあらずして御意の成らんことを願ふ』
時に天より御使あらはれて、イエスに力を添ふ。
イエス悲しみ迫り、いよいよ切に祈り給へば、汗は地上に落つる血の雫の如し。

第三曲 合唱付きキリストのアリア
わが神わが神なんぞ我をすてたまふや 何なれば遠くはなれて我をすくはず わが歎きのこゑをきき給はざるか
ああわが神われ晝よばはれども汝こたへたまはず 
ヱホバよねがはくは我がことばに耳をかたむけ わが思にみこころを注たまへ

第四曲 ソプラノのアリア
ヱホバよなんぢの帷幄のうちにやどらん者はたれぞ
なんぢの聖山にすまはんものは誰ぞ
われ安然にして臥またねぶらん わが身もまた平安にをらん

第五曲 福音史家、キリストと合唱
なほ語りゐ給ふとき、視よ、群衆あらはれ、十二の一人なるユダ先だち來り、イエスに接吻せんとて近寄りたれば、イエス言ひ給ふ『ユダ、なんぢは接吻をもて人の子を賣るか。なんぢら強盜に向ふごとく、劍と棒とを持ちて出できたるか。我は日々なんぢらと共に宮に居りしに、我が上に手を伸べざりき。されど今は汝らの時、また暗黒の權威なり』
※ユダがイエスに近寄るくだりだけ合唱のシュプレッヒシュテンメが担当

第六曲 合唱(エレミアの哀歌)
エルサレム、エルサレム、汝、神に立ちもどれ

第七曲 アカペラの合唱
ああヱホバよ何ぞはるかに立たまふや

第八曲 福音史家、侍女(ソプラノ)、ペテロ(バス)と合唱
遂に人々イエスを捕へて、大祭司の家に曳きゆく。ペテロ遠く離れて從ふ。
或婢女ペテロの火の光を受けて坐し居るを見、これに目を注ぎて言ふ『この人も彼と偕にゐたり』
ペテロ肯はずして言ふ『をんなよ、我は彼を知らず』
暫くして他の者ペテロを見て言ふ『なんぢも彼の黨與なり』ペテロ言ふ『人よ、然らず』
一時ばかりして又ほかの男、言張りて言ふ『まさしく此の人も彼とともに在りき、是ガリラヤ人なり』
ペテロ言ふ『人よ、我なんぢの言ふことを知らず』なほ言ひ終へぬに、やがて鷄鳴きぬ。
主、振反りてペテロに目をとめ給ふ。ここにペテロ、主の『今日にはとり鳴く前に、なんぢ三度われを否まん』と言ひ給ひし御言を憶ひいだし、外に出でて甚く泣けり。

第九曲 ペテロのアリア
神よねがはくは我をさばき (情しらぬ民にむかひてわが訟をあげつらひ詭計おほきよこしまなる人より)我をたすけいだし給へ

第十曲 福音史家、キリストと合唱
守る者どもイエスを嘲弄し、之を打ち、その目を蔽ひ問ひて言ふ『預言せよ、汝を撃ちし者は誰なるか』
『されば汝は神の子なるか』答へ給ふ『なんぢらの言ふごとく我はそれなり』

第十一曲 ソプラノ(エレミアの哀歌)
エルサレム、エルサレム、汝、神に立ちもどれ

第十二曲 アカペラの合唱
ああ神よねがはくは我をあはれみたまへ 人いきまきて我をのまんとし終日たたかひて我をしへたぐ

第十三曲 福音史家、キリスト、ピラト(バス)と合唱
民衆みな起ちて、イエスをピラトの前に曳きゆき、訴へ出でて言ふ『われら此の人が、わが國の民を惑し、貢をカイザルに納むるを禁じ、かつ自ら王なるキリストと稱ふるを認めたり』ピラト、イエスに問ひて言ふ『なんぢはユダヤ人の王なるか』答へて言ひ給ふ『なんぢの言ふが如し』ピラト祭司長らと群衆とに言ふ『われ此の人に愆あるを見ず』
ヘロデの權下の者なるを知り、ヘロデ此の頃エルサレムに居たれば、イエスをその許に送れり。
かくて多くの言をもて問ひたれど、イエス何をも答へ給はず。
ヘロデその兵卒と共にイエスを侮り、かつ嘲弄し、華美なる衣を著せて、ピラトに返す。
ピラト、祭司長らと司らと民とを呼び集めて言ふ、
『視よ、この人に愆あるを見ず。ヘロデも亦然り、彼を我らに返したり。視よ、彼は死に當るべき業を爲さざりき。されば懲しめて之を赦さん』
民衆ともに叫びて言ふ『この人を除け、我らにバラバを赦せ』
ピラトはイエスを赦さんと欲して、再び彼らに告げたれど、彼ら叫びて『十字架につけよ、十字架につけよ』と言ふ。ピラト三度まで『彼は何の惡事を爲ししか、我その死に當るべき業を見ず、故に懲しめて赦さん』と言ふ。

第二部
第十四曲
 合唱
なんぢわれを死の塵にふさせたまへり

第十五曲 福音史家
イエス己に十字架を負ひて、髑髏(ヘブル語にてゴルゴダ)といふ處に出でゆき給ふ。

第十六曲 合唱(パッサカリア)
我が民よ、我汝らに何をなししぞ? 
何につき汝らを悲しませしや? 我に答えよ。
我エジプトの地より汝らを導き出したが故に
汝ら救い主を十字架につけんとす
聖なる天主よ、聖なる天主よ、
聖にして強き者よ、聖にして強き者よ、
聖にして不死なる者よ、われらを憐れみ給え。
聖にして不死なる者よ、われらを憐れみ給え。

第十七曲 福音史家
髑髏といふ處に到りて、イエスを十字架につけ、また惡人の一人をその右、一人をその左に十字架につく。

第十八曲 アリア、ソプラノと合唱
真実の十字架よ、すべての中で
けだかい木。
そのような木はどの森にもない、
花、葉、芽においても。
甘美な木よ、甘美な釘よ、
主が耐えられた甘美な重さよ。
見よ、キリストの十字架、
世の救い。

第十九曲 福音史家、キリストと合唱
かくてイエス言ひたまふ『父よ、彼らを赦し給へ、その爲す所を知らざればなり』彼らイエスの衣を分ちて鬮取にせり

第二十曲 アカペラの合唱
なんぢわれを死の塵にふさせたまへり
惡きものの群わが手およびわが足をさしつらぬけり
わが骨はことごとく數ふるばかりになりぬ
惡きものの目をとめて我をみる
かれらたがひにわが衣をわかち我がしたぎを鬮にす
ヱホバよ遠くはなれ居たまふなかれ
わが力よねがはくは速きたりてわれを授けたまへ

第二十一曲 福音史家と合唱
民は立ちて見ゐたり。司たちも嘲りて言ふ
『かれは他人を救へり、もし神の選び給ひしキリストならば、己をも救へかし』
兵卒どもも嘲弄しつつ、近よりて酸き葡萄酒をさし出して言ふ、
『なんぢ若しユダヤ人の王ならば、己を救へ』

第二十二曲 福音史家、良き盗人(バス)、キリストと合唱
十字架に懸けられたる惡人の一人、イエスを譏りて言ふ『なんぢはキリストならずや、己と我らとを救へ』
他の者これに答へ禁めて言ふ『なんぢ同じく罪に定められながら、神を畏れぬか。
我らは爲しし事の報を受くるなれば當然なり。されど此の人は何の不善をも爲さざりき』
また言ふ『イエスよ、御國に入り給ふとき、我を憶えたまえ』
イエス言ひ給ふ『われ誠に汝に告ぐ、今日なんぢは我と偕にパラダイスに在るべし』

第二十三曲 福音史家とキリスト
さてイエスの十字架の傍らには、その母と母の姉妹と、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤと立てり。
イエスその母とその愛する弟子との近く立てるを見て、母に言ひ給ふ『をんなよ、視よ、なんぢの子なり』
また弟子に言ひたまふ『視よ、なんぢの母なり』

第二十四曲 スターバト・マーテル(アカペラの合唱)
悲しみに沈めるみ母は涙にくれて、
御子が掛かりたまえる
十字架のもとにたたずみたまいぬ。

これほどまで嘆きたまえる
キリストのみ母を見て
泣かざる者は誰か?

愛の泉なるみ母よ、
御身とともに嘆くよう
われに悲しみを感じきせたまえ。

わか心がそのみ心にかなうべく
神なるキリストを愛する火で
燃え立たんようなしたまえ。

ああキリストよ、われこの世を去らんとき、
御母によりて
勝利の報いを得しめ給え。

肉体が死する時
魂が天国の栄光に
捧げられるよう、なしたまえ。

第二十五曲 福音史家、キリストと合唱
晝の十二時ごろ、日、光をうしなひ、地のうへ徧く暗くなりて、三時に及び、聖所の幕、眞中より裂けたり。
イエス大聲に呼はりて言ひたまふ『父よ、わが靈を御手にゆだぬ』斯く言ひて息絶えたまふ 
『事畢りぬ』

第二十六曲 間奏曲(オーケストラ) アラ・ブレーヴェ
第二十七曲 独唱と合唱
わが神ヱホバよわれ汝によばはれば汝我をいやしたまへり
ヱホバよわれ汝によりたのむ 願くはいづれの日までも愧をおはしめたまふなかれ なんぢの義をもてわれを助けたまへ
なんぢの耳をかたぶけて速かにわれをすくひたまへ 願くはわがためにかたき磐となり我をすくふ保障の家となりたまへ
われ霊魂をなんぢの手にゆだぬ ヱホバまことの神よなんぢはわれを贖ひたまへり

 終はり

 労作だと思います。なのですが、例えばルトスワウスキの作品で感じる率直さというかのっぴきならなさ、真剣さよりはどうも計算高さ、受け狙いに感じてしまので心底の感動からは遠く、途中退屈に感じる場面が多くなってしまう。

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