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エロイカの第4楽章の最後
でも思いました。楽譜に書いてあることを最大限に、って最初に痛感したのはやっぱりシューリヒトでしたよ。特に強烈なのはベートーヴェン「交響曲第三番」の第4楽章幕切れす。
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463小節の後拍のヴァイオリンは4分音符で記されているのが二回目の467小節後拍の繰り返しでは8分音符になってます。これを強烈に音楽的に差をはっきりつけて表したんです。
前回話題にした人達でここも明確に区別していたのはマタチッチ、飯守泰次郎、シャイーとマルティノンでした。他の人は冒頭部分は楽譜指定を変更してまで区別してたのに、こっちは意外にこだわらないんすね。ワインガルトナーもおおらかでした。アルコ変更なし派で個人的にこの曲全体で印象的な演奏で、ここも外さないなと思うのはシューリヒトに加え、クレツキ指揮チェコフィルのコンビを挙げておきます。
もしかしてピリオドオーケストラでは、ここを長く伸ばして強調しようにも限界があるのかもしれませんが…クリヴィヌもノーリントンも区別なしというか、4分音符が長く聴こえない。付け加えればアルコ変更なし派のサヴァールも同じく区別を感じられませんでした。