ハインリッヒ・シュッツの「白鳥の歌」(十三のモテット)
20世紀初めに偶然手稿譜が発見、1930年に更なるパート譜が見つかるも、第二次世界大戦の混乱で再び失われ、1970年代半ばにドレスデンで再発見されてやっと復元がかなった作品。自ら白鳥の歌と呼んだと伝えられています。二重合唱と器楽のためのモテット。音楽は意外に峻厳というよりは柔らかな聴き心地、ヘレヴェッヘの手腕か。
詩篇119
1 アレフとベテ
おのが道をなほくしてヱホバの律法をあゆむ者はさいはひなり
ヱホバのもろもろの證詞をまもり 心をつくしてヱホバを尋求むるものは福ひなりかかる人は不義をおこなはずしてヱホバの道をあゆむなり
ヱホバよなんぢ訓諭をわれらに命じてねんごろに守らせたまふ
なんぢわが道をかたくたててその律法をまもらせたまはんことを
われ汝のもろもろの誡命にこころをとむるときは恥ることあらじ
われ汝のただしき審判をまなばば 直き心をもてなんぢに感謝せん
われは律法をまもらん われを棄はてたまふなかれ
わかき人はなにによりてかその道をきよめん 聖言にしたがひて愼むのほかぞなきわれ心をつくして汝をたづねもとめたり 願くはなんぢの誡命より迷ひいださしめ給ふなかれ
われ汝にむかひて罪ををかすまじき爲になんぢの言をわが心のうちに蔵へたり
讃べきかなヱホバよねがはくは律法をわれに教へたまへ
われわが口唇をもてなんぢの口よりいでしもろもろの審判をのべつたへたり
我もろもろの財貨をよろこぶごとくに汝のあかしの道をよろこべり
我なんぢの訓諭をおもひ汝のみちに心をとめん
われは律法をよろこび聖言をわするることなからん
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン
2 ギメルとダレテ
ねがはくは汝のしもべを豊にあしらひて存へしめたまへ さらばわれ聖言をまもらん
なんぢわが眼をひらき なんぢの法のうちなる奇しきことを我にみせたまへ
われは世にある旅客なり 我になんぢの誡命をかくしたまふなかれ
断るときなくなんぢの審判をしたふが故にわが霊魂はくだくるなり
汝はたかぶる者をせめたまへり なんぢの誡命よりまよひづる者はのろはる
我なんぢの證詞をまもりたり 我より謗とあなどりとを取去たまへ
又もろもろの侯は坐して相語りわれをそこなはんとせり 然はあれど汝のしもべは律法をふかく思へり
汝のもろもろの證詞はわれをよろこばせわれをさとす者なり
わが霊魂は塵につきぬ なんぢの言にしたがひて我をいかしたまへ
我わがふめる道をあらはししかば汝こたへを我になしたまへり なんぢの律法をわれに教へたまへ
なんぢの訓諭のみちを我にわきまへしめたまへ われ汝のくすしき事跡をふかく思はん
わがたましひ痛めるによりてとけゆく ねがはくは聖言にしたがひて我にちからを予へたまへ
願くはいつはりの道をわれより遠ざけ なんぢの法をもて我をめぐみたまへ
われは眞實のみちをえらび 恒になんぢのもろもろの審判をわが前におけり
我なんぢの證詞をしたひて離れず ヱホバよねがはくは我をはづかしめ給ふなかれわれ汝のいましめの道をはしらん その時なんぢわが心をひろく爲たまふべし
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン
3 へとワウ
ヱホバよ願くはなんぢの律法のみちを我にをしへたまへ われ終にいたるまで之をまもらん
われに智慧をあたへ給へ さらば我なんぢの法をまもり心をつくして之にしたがはん
われに汝のいましめの道をふましめたまへ われその道をたのしめばなり
わが心をなんぢの證詞にかたぶかしめて 貪利にかたぶかしめ給ふなかれ
わが眼をほかにむけて虚しきことを見ざらしめ 我をなんぢの途にて活し給へ
ひたすらに汝をおそるる汝のしもべに 聖言をかたくしたまへ
わがおそるる謗をのぞきたまへ そはなんぢの審判はきはめて善し
我なんぢの訓諭をしたへり 願くはなんぢの義をもて我をいかしたまへ
ヱホバよ聖言にしたがひてなんぢの憐憫なんぢの拯救を我にのぞませたまへ
さらば我われを謗るものに答ふることをえん われ聖言によりたのめばなり
又わが口より眞理のことばをことごとく除き給ふなかれ われなんぢの審判をのぞみたればなり
われたえずいや永久になんぢの法をまもらん
われなんぢの訓諭をもとめたるにより障なくしてあゆまん
われまた王たちの前になんぢの證詞をかたりて恥ることあらじ
我わが愛するなんぢの誡命をもて己をたのしましめん
われ手をわがあいする汝のいましめに挙げ なんぢの律法をふかく思はん
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン
4 ザインとヘテ
ねがはくは汝のしもべに宣ひたる聖言をおもひいだしたまへ 汝われに之をのぞましめ給へり
なんぢの聖言はわれを活ししがゆゑに 今もなほわが艱難のときの安慰なり
高ぶる者おほいに我をあざわらへり されど我なんぢの法をはなれざりき
ヱホバよわれ汝がふるき往昔よりの審判をおもひいだして自から慰めたり
なんぢの法をすつる惡者のゆゑによりて 我はげしき怒をおこしたり
なんぢの律法はわが旅の家にてわが歌となれり
ヱホバよわれ夜間になんぢの名をおもひいだして なんぢの法をまもれり
われ汝のさとしを守りしによりてこの事をえたるなり
ヱホバはわがうくべき有なり われ汝のもろもろの言をまもらんといへり
われ心をつくして汝のめぐみを請求めたり ねがはくは聖言にしたがひて我をあはれみたまへ
我わがすべての途をおもひ 足をかへしてなんぢの證詞にむけたり
我なんぢの誡命をまもるに速けくしてたゆたはざりき
惡きものの繩われに纏ひたれども 我なんぢの法をわすれざりき
我なんぢのただしき審判のゆゑに 夜半におきてなんぢに感謝せん
われは汝をおそるる者 またなんぢの訓諭をまもるものの侶なり
ヱホバよ汝のあはれみは地にみちたり 願くはなんぢの律法をわれにをしへたまへ
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン
5 テテとヨーデ
ヱホバよなんぢ聖言にしたがひ惠をもてその僕をあしらひたまへり
われ汝のいましめを信ず ねがはくはわれに聡明と智識とををしへたまへ
われ苦しまざる前にはまよひいでぬ されど今はわれ聖言をまもる
なんぢは善にして善をおこなひたまふ ねがはくは汝のおきてを我にをしへたまへ高ぶるもの虚偽をくはだてて我にさからへり われ心をつくしてなんぢの訓諭をまもらん
かれらの心はこえふとりて脂のごとし されど我はなんぢの法をたのしむ
困苦にあひたりしは我によきことなり 此によりて我なんぢの律法をまなびえたりなんぢの口の法はわがためには千々のこがね白銀にもまされり
なんぢの手はわれを造りわれを形づくれり ねがはくは智慧をあたへて我になんぢの誡命をまなばしめたまへ
なんぢを畏るるものは我をみて喜ばん われ聖言によりて望をいたきたればなり
ヱホバよ我はなんぢの審判のただしく又なんぢが眞實をもて我をくるしめたまひしを知る
ねがはくは汝のしもべに宣ひたる聖言にしたがひて 汝の仁慈をわが安慰となしたまへ
なんぢの憐憫をわれに臨ませたまへ さらばわれ生ん なんぢの法はわが樂しめるところなり
高ぶるものに恥をかうぷらせたまへ かれらは虚偽をもて我をくつがへしたればなり されど我なんぢの訓諭をふかくおもはん
汝をおそるる者となんぢの證詞をしるものとを我にかへらしめたまへ
わがこころを全くして汝のおきてを守らしめたまへ さらばわれ恥をかうぶらじ
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン
6 カフとラメテ
わが霊魂はなんぢの救をしたひてたえいるばかりなり 然どわれなほ聖言によりて望をいだく
なんぢ何のとき我をなぐさむるやといひつつ 我みことばを慕ふによりて眼おとろふ
我は煙のなかの革嚢のごとくなりぬれども 尚なんぢの律法をわすれず
汝のしもべの日は幾何ありや 汝いづれのとき我をせむるものに審判をおこなひたまふや
たかぶる者われを害はんとて阱をほれり かれらはなんぢの法にしたがはず
なんぢの誡命はみな眞實なり かれらは虚偽をもて我をせむ ねがはくは我をたすけたまへ
かれらは地にてほとんど我をほろぼせり されど我はなんぢの訓諭をすてざりき
願くはなんぢの仁慈にしたがひて我をいかしたまへ 然ばわれ御口よりいづる證詞をまもらん
ヱホバよみことばは天にてとこしえに定まり
なんぢの眞實はよろづ世におよぶ なんぢ地をかたく立たまへば地はつねにあり
これらのものはなんぢの命令にしたがひ 恒にありて今日にいたる 萬のものは皆なんぢの僕なればなり
なんぢの法わがたのしみとならざりしならば我はつひに患難のうちに滅びたるならん
われ恒になんぢの訓諭をわすれじ 汝これをもて我をいかしたまへばなり
我はなんぢの有なりねがはくは我をすくひたまへ われ汝のさとしを求めたり
惡きものは我をほろぼさんとして窺ひぬ われは唯なんぢのもろもろの證詞をおもはん
我もろもろの純全に限あるをみたり されど汝のいましめはいと廣し
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン
7 メムとヌン
われなんぢの法をいつくしむこといかばかりぞや われ終日これを深くおもふ
なんぢの誡命はつねに我とともにありて 我をわが仇にまさりて慧からしむ
我はなんぢの證詞をふかくおもふが故に わがすべての師にまさりて智慧おほし
我はなんぢの訓諭をまもるがゆゑに 老たる者にまさりて事をわきまふるなり
われ聖言をまもらんために わが足をとどめてもろもろのあしき途にゆかしめず
なんぢ我ををしへたまひしによりて 我なんぢの審判をはなれざりき
みことばの滋味はわが腭にあまきこといかばかりぞや 蜜のわが口に甘きにまされり
我なんぢの訓諭によりて智慧をえたり このゆゑに虚偽のすべての途をにくむ
なんぢの聖言はわがあしの燈火わが路のひかりなり
われなんぢのただしき審判をまもらんことをちかひ且かたくせり
われ甚いたく苦しめり ヱホバよねがはくは聖言にしたがひて我をいかしたまヘ
ヱホバよねがはくは誠意よりするわが口の献物をうけて なんぢの審判ををしへたまへ
わが霊魂はつねに危険ををかす されど我なんぢの法をわすれず
あしき者わがために羂をまうけたり されどわれ汝のさとしより迷ひいでざりき
われ汝のもろもろの證詞をとこしへにわが嗣業とせり これらの證詞はわが心をよろこばしむ
われ汝のおきてを終までとこしへに守らんとて之にこころを傾けたり
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン
8 サメクとアイン
われ二心のものをにくみ汝のおきてを愛しむ
なんぢはわが匿るべき所わが盾なり われ聖言によりて望をいだく
惡きをなすものよ我をはなれされ われわが神のいましめを守らん
聖言にしたがひ我をささへて生存しめたまへ わが望につきて恥なからしめたまへわれを支へたまへ さらばわれ安けかるべし われ恒になんぢの律法にこころをそそがん
すべて律法よりまよひいづるものを汝かろしめたまへり かれらの欺詐はむなしければなり
なんぢは地のすべての惡きものを渣滓のごとく除きさりたまふ この故にわれ汝のあかしを愛す
わが肉體なんぢを懼るるによりてふるふ 我はなんぢの審判をおそる
われは審判と公義とをおこなふ 我をすてて虐ぐるものに委ねたまふなかれ
汝のしもべの中保となりて福祉をえしめたまへ 高ぶるものの我をしへたぐるを容したまふなかれ
わが眼はなんぢの救となんぢのただしき聖言とをしたふによりておとろふ
ねがはくはなんぢの憐憫にしたがひてなんぢの僕をあしらひ 我になんぢの律法ををしへたまへ
我はなんぢの僕なり われに智慧をあたへてなんぢの證詞をしらしめたまへ
彼等はなんぢの法をすてたり 今はヱホバのはたらきたまふべき時なり
この故にわれ金よりもまじりなき金よりもまさりて汝のいましめを愛す
この故にもろもろのことに係るなんぢの一切のさとしを正しとおもふ 我すべてのいつはりの途をにくむ
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン
9 べとツァデー
汝のあかしは妙なり かかるが故にわが霊魂これをまもる
聖言うちひらくれば光をはなちて 愚かなるものをさとからしむ
我なんぢの誡命をしたふが故に わが口をひろくあけて喘ぎもとめたり
ねがはくは聖名を愛するものに恒になしたまふごとく身をかへして我をあはれみたまへ
聖言をもてわが歩履をととのへ もろもろの邪曲をわれに主たらしめたまふなかれわれを人のしへたげより贖ひたまへ さらばわれ訓諭をまもらん
ねがはくは聖顔をなんぢの僕のうへにてらし 汝のおきてを我にをしへ給へ
人なんぢの法をまもらざるによりて わが眼のなみだ河のごとくに流る
ヱホバよなんぢは義しくなんぢの審判はなほし
汝ただしきと此上なき眞實とをもて その證詞を命じ給へり
わが敵なんぢの聖言をわすれたるをもて わが熱心われをほろぼせり
なんぢの聖言はいときよし 此故になんぢの僕はこれを愛す
われは微なるものにて人にあなどらるれども汝のさとしを忘れず
なんぢの義はとこしへの義なり汝ののりは眞理なり
われ患難と憂とにかかれども 汝のいましめはわが喜樂なり
なんぢの證詞はとこしへに義し ねがはくはわれに智慧をたまへ 我ながらふることを得ん
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン
10 コフとレシ
われ心をつくしてよばはれり ヱホバよ我にこたへたまへ 我なんぢの律法をまもらん
われ汝をよばはれり ねがはくはわれを救ひ給へ 我なんぢの證詞をまもらん
われ詰朝おきいでて呼はれり われ聖言によりて望をいだけり
夜の更のきたらぬに先だち わが眼はさめて汝のみことばを深くおもふ
ねがはくはなんぢの仁慈にしたがひてわが聲をききたまへ ヱホバよなんぢの審判にしたがひて我をいかしたまへ
惡をおひもとむるものは我にちかづけり 彼等はなんぢの法にとほくはなる
ヱホバよ汝はわれに近くましませり なんぢのすべての誡命はまことなり
われ早くよりなんぢの證詞によりて汝がこれを永遠にたてたまへることを知れりねがはくはわが患難をみて我をすくひたまへ 我なんぢの法をわすれざればなり
ねがはくはわが訟をあげつらひて我をあがなひ 聖言にしたがひて我をいかしたまへ
すくひは惡きものより遠くはなる かれらはなんぢの律法をもとめざればなり
ヱホバよなんぢの憐憫はおほいなり 願くはなんぢの審判にしたがひて我をいかしたまへ
我をせむる者われに敵するものおほし 我なんぢの證詞をはなるることなかりき
虚偽をおこなふもの汝のみことばを守らざるにより 我かれらを見てうれへたり
ねがはくはわが汝のさとしを愛すること幾何なるをかへりみたまヘ ヱホバよなんぢの仁慈にしたがひて我をいかしたまへ
なんぢのみことばの総計はまことなり 汝のただしき審判はとこしへにいたるまで皆たゆることなし
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン
11 シンとタウ
もろもろの侯はゆゑなくして我をせむ 然どわが心はただ汝のみことばを畏る
われ人のおほいなる掠物をえたるごとくに 汝のみことばをよろこぶ
われ虚偽をにくみ之をいみきらへども 汝ののりを愛す
われ汝のただしき審判のゆゑをもて 一日に七次なんぢを讃稱ふ
なんぢの法をあいするものには大なる平安あり かれらには躓礙をあたふる者なしヱホバよ我なんぢの救をのぞみ汝のいましめをおこなへり
わが霊魂はなんぢの證詞をまもれり 我はいたく之をあいす
われなんぢの訓諭となんぢの證詞とをまもりぬ わがすべての道はみまへにあればなり
ヱホバよ願くはわがよぶ聲をみまへにちかづけ 聖言にしたがひて我にちゑをあたへたまへ
わが願をみまへにいたらせ 聖言にしたがひて我をたすけたまへ
わがくちびるは讃美をいだすべし 汝われに律法ををしへ給へばなり
わが舌はみことばを謳ふべし なんぢの一切のいましめは義なればなり
なんぢの手をつねにわが助となしたまへ われなんぢの訓諭をえらび用ゐたればなり
ヱホバよ我なんぢの救をしたへり なんぢの法はわがたのしみなり
願くはわが霊魂をながらへしめたまへ さらば汝をほめたたへん 汝のさばきの我をたすけんことを
われは亡はれたる羊のごとく迷ひいでぬ なんぢの僕をたづねたまへ われ汝のいましめを忘れざればなり
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン
12 詩篇100
全地よヱホバにむかひて歡ばしき聲をあげよ
欣喜をいだきてヱホバに事へ うたひつつその前にきたれ
知れヱホバこそ神にますなれ われらを造りたまへるものはヱホバにましませば我儕はその屬なり われらはその民その草苑のひつじなり
感謝しつつその門にいり ほめたたへつつその大庭にいれ 感謝してその名をほめたたへよ
ヱホバはめぐみふかくその憐憫かぎりなく その眞實よろづ世におよぶべければなり
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン
13 マニフィカト
わがこころ主をあがめ、
わが靈はわが救主なる神を喜びまつる。
その婢女の卑しきをも顧み給へばなり。
視よ、今よりのち萬世の人われを幸福とせん。
全能者われに大なる事を爲したまへばなり。
その御名は聖なり、
そのあはれみは代々
かしこみ恐るる者に臨むなり。
神は御腕にて權力をあらはし、
心の念に高ぶる者を散し、
權勢ある者を座位より下し、
いやしき者を高うし、
飢ゑたる者を善き物に飽かせ、
富める者を空しく去らせ給ふ。
また我らの先祖に告げ給ひし如く、
アブラハムとその裔とに對する
あはれみを永遠に忘れじとて、
僕イスラエルを助けたまへり
※光榮は父と子と精霊に歸す、今も何時も世々に、アーメン