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アレッサンドロ・スカルラッティの「ヨハネによる私どもの主イエス・キリストの受難の物語」(1680年頃)


 ラテン語新約聖書のヨハネによる福音書第18章1節から第19章37節をテキストに福音史家(アルト)、イエス(バス)を受け持つ二人の独唱、兵士達やユダヤ人群衆を表す四声の合唱、ペテロ、ピラト、下僕、門番の女の役は合唱団員がソロで受け持ち第一・第二ヴァイオリン、ビオラ、バス、通奏低音という編成です。
 器楽の11小節の短いが印象的な序奏、それを引き継いで福音史家がヴォカリーズで歌い出し、やがてPassio domini nostri Iesu Christi secundum loannem. (ヨアンネスによる私どもの主イエーズス・クリストゥスの受難の物語)と、最後はメリスマで〆るのが素敵。

 18:1此等のことを言ひ終へて、イエス弟子たちと偕にケデロンの小川の彼方に出でたまふ。彼処に園あり、イエス弟子たちとともども入り給ふ。18:2ここは弟子たちと屡々あつまり給ふ處なれば、イエスを賣るユダもこの處を知れり。18:3かくてユダは一組の兵隊と祭司長・パリサイ人等よりの下役どもとを受けて、炬火・燈火・武器を携へて此處にきたる。
 :この部分では引き続き弦楽合奏が華やかと言いたくなる曲想でユダが兵士を誘導して捕縛に来るシーンを描写。この後福音史家には通奏低音のみが基本になる。

 18:4イエス己に臨まんとする事をことごとく知り、進みいでて彼らに言ひたまふ『誰を尋ぬるか』18:5答ふ『ナザレのイエスを』イエス言ひたまふ『我はそれなり』イエスを賣るユダも彼らと共に立てり。18:6『我はそれなり』と言ひ給ひし時、かれら後退して地に倒れたり。18:7ここに再び『たれを尋ぬるか』と問ひ給へば『ナザレのイエスを』と言ふ。18:8イエス答へ給ふ『われは夫なりと既に告げたり、我を尋ぬるならば此の人々の去るを容せ』18:9これさきに『なんぢの我に賜ひし者の中より、われ一人をも失はず』と言ひ給ひし言の成就せん爲なり。18:10シモン・ペテロ劍をもちたるが、之を拔き大祭司の僕を撃ちて、その右の耳を斬り落す、僕の名はマルコスと云ふ。18:11イエス、ペテロに言ひたまふ『劍を鞘に收めよ、父の我に賜ひたる酒杯は、われ飮まざらんや』
 :イエスの叙唱には弦楽合奏が必ず伴う。また常にラールゴの指示が。合唱も常に器楽がトゥッティで加わる。合唱が担当するのは長台詞がないので簡潔なワンフレーズが主で、出番が少なく贅沢な感じになる。結果福音史家とのコントラストは鮮明。18-6 et ceciderunt in terram 地に倒れた は下降音階及び下降跳躍で音画化。

 18:12ここにかの兵隊・千卒長・ユダヤ人の下役ども、イエスを捕へて縛り、18:13先づアンナスの許に曳き往く、アンナスはその年の大祭司なるカヤパの舅なり。18:14カヤパはさきにユダヤ人に、一人、民のために死ぬるは益なる事を勸めし者なり。
 :18-14 unum hominem mori pro populo に下降半音階と滅7和音も伝統的な音画表現だそう。

 18:15シモン・ペテロ及び他の一人の弟子、イエスに從ふ。この弟子は大祭司に知られたる者なれば、イエスと共に大祭司の庭に入りしが、18:16ペテロは門の外に立てり。ここに大祭司に知られたる彼の弟子いでて、門を守る女に物言ひてペテロを連れ入れしに、18:17門を守る婢女、ペテロに言ふ『なんぢも彼の人の弟子の一人なるか』かれ言ふ『然らず』18:18時寒くして僕・下役ども炭火を熾し、その傍らに立ちて煖まり居りしに、ペテロも共に立ちて煖まりゐたり。
 :勝手なスカルラッティへのイメージと異なり、何と禁欲的な福音史家でしょう。

 18:19ここに大祭司、イエスにその弟子とその教とにつきて問ひたれば、18:20イエス答へ給ふ『われ公然に世に語れり、凡てのユダヤ人の相集ふ會堂と宮とにて常に教へ、密には何をも語りし事なし。18:21何ゆゑ我に問ふか、我が語れることは聽きたる人々に問へ。視よ、彼らは我が言ひしことを知るなり』18:22かく言ひ給ふとき、傍らに立つ下役の一人、手掌にてイエスを打ちて言ふ『かくも大祭司に答ふるか』18:23イエス答へ給ふ『わが語りし言もし惡しくば、その惡しき故を證せよ。善くば何とて打つぞ』18:24ここにアンナス、イエスを縛りたるままにて、大祭司カヤパの許に送れり。
 :やはりこの様な一見地味な曲は歌詞内容が理解出来る方が味わいが。

 18:25シモン・ペテロ立ちて煖まり居たるに、人々いふ『なんぢも彼が弟子の一人なるか』否みて言ふ『然らず』18:26大祭司の僕の一人にて、ペテロに耳を斬り落されし者の親族なるが言ふ『われ汝が園にて彼と偕なるを見しならずや』18:27ペテロまた否む折しも鷄鳴きぬ。
 :ペテロ、鶏が鳴いちゃったぜ予言された通りに。cantavit 鳴きぬ にメリスマ。

 18:28かくて人々イエスをカヤパの許より官邸にひきゆく、時は夜明なり。彼ら過越の食をなさんために、汚穢を受けじとて己らは官邸に入らず。18:29ここにピラト彼らの前に出でゆきて言ふ『この人に對して如何なる訴訟をなすか』18:30答へて言ふ『もし惡をなしたる者ならずば汝に付さじ』18:31ピラト言ふ『なんぢら彼を引取り、おのが律法に循ひて審け』ユダヤ人いふ『我らに人を殺す權威なし』18:32これイエス、己が如何なる死にて死ぬるかを示して、言ひ給ひし御言の成就せん爲なり。
 :さすがヤーコプス盤は、ピラトの通奏低音にオルガンを添えてヨハネ伝のテキストが彼に与えた役割に光を当てる。

18:33ここにピラトまた官邸に入り、イエスを呼び出して言ふ『なんぢはユダヤ人の王なるか』18:34イエス答へ給ふ『これは汝おのれより言ふか、將わが事を人の汝に告げたるか』18:35ピラト答ふ『我はユダヤ人ならんや、汝の國人・祭司長ら汝を我に付したり、汝なにを爲ししぞ』18:36イエス答へ給ふ『わが國はこの世のものならず、若し我が國この世のものならば、我が僕ら我をユダヤ人に付さじと戰ひしならん。然れど我が國は此の世よりのものならず』18:37ここにピラト言ふ『されば汝は王なるか』イエス答へ給ふ『われの王たることは汝の言へるごとし。我は之がために生れ、之がために世に來れり、即ち眞理につきて證せん爲なり。凡て眞理に屬する者は我が聲をきく』18:38ピラト言ふ『眞理とは何ぞ』

 かく言ひて再びユダヤ人の前に出でて言ふ『我この人に何の罪あるをも見ず。18:39過越のとき我なんぢらに一人の囚人を赦す例あり、されば汝らユダヤ人の王をわが赦さんことを望むか』18:40彼らまた叫びて『この人ならず、バラバを』と言ふ、バラバは強盜なり。
 :regency 王 の威厳を示す高音域。バラバ

 19:1ここにピラト、イエスをとりて鞭うつ。19:2兵卒ども茨にて冠冕をあみ、その首にかむらせ、紫色の上衣をきせ、19:3御許に進みて言ふ『ユダヤ人の王やすかれ』而して手掌にて打てり。19:4ピラト再び出でて人々にいふ『視よ、この人を汝らに引出す、これは何の罪あるをも我が見ぬことを汝らの知らん爲なり』19:5ここにイエス茨の冠冕をかむり、紫色の上衣をきて出で給へば、ピラト言ふ『視よ、この人なり』19:6祭司長・下役どもイエスを見て叫びいふ『十字架につけよ、十字架につけよ』ピラト言ふ『なんぢら自らとりて十字架につけよ、我は彼に罪あるを見ず』19:7ユダヤ人こたふ『我らに律法あり、その律法によれば死に當るべき者なり、彼はおのれを神の子となせり』19:8ピラトこの言をききて増々おそれ、19:9再び官邸に入りてイエスに言ふ『なんぢは何處よりぞ』イエス答をなし給はず。19:10ピラト言ふ『われに語らぬか、我になんぢを赦す權威あり、また十字架につくる權威あるを知らぬか』19:11イエス答へ給ふ『なんぢ上より賜はらずば、我に對して何の權威もなし。この故に我をなんぢに付しし者の罪は更に大なり』
 :19-1 flagellavit 鞭打つ、のコロラトゥーラ。19-6 clamabant 叫んで、のメリスマ。

19:12ここにおいてピラト、イエスを赦さんことを力む。されどユダヤ人さけびて言ふ『なんぢ若しこの人を赦さば、カイザルの忠臣にあらず、凡そおのれを王となす者はカイザルに叛くなり』19:13ピラトこれらの言をききて、イエスを外にひきゆき、敷石(ヘブル語にてガバタ)といふ處にて審判の座につく。19:14この日は過越の準備日にて、時は第十時ごろなりき。ピラト、ユダヤ人にいふ『視よ、なんぢらの王なり』19:15かれら叫びていふ『除け、除け、十字架につけよ』ピラト言ふ『われ汝らの王を十字架につくべけんや』祭司長ら答ふ『カイザルの他われらに王なし』19:16ここにピラト、イエスを十字架に釘くるために彼らに付せり。

 彼らイエスを受取りたれば、19:17イエス己に十字架を負ひて、髑髏(ヘブル語にてゴルゴダ)といふ處に出でゆき給ふ。19:18其處にて彼らイエスを十字架につく。又ほかに二人の者をともに十字架につけ、一人を右に、一人を左に、イエスを眞中に置けり。19:19ピラト罪標を書きて十字架の上に掲ぐ『ユダヤ人の王、ナザレのイエス』と記したり。19:20イエスを十字架につけし處は都に近ければ、多くのユダヤ人この標を讀む、標はヘブル、ロマ、ギリシヤの語にて記したり。19:21ここにユダヤ人の祭司長らピラトに言ふ『ユダヤ人の王と記さず、我はユダヤ人の王なりと自稱せりと記せ』19:22ピラト答ふ『わが記したることは記したるままに』19:23兵卒どもイエスを十字架につけし後、その衣をとりて四つに分け、おのおの其の一つを得たり。また下衣を取りしが、下衣は縫目なく、上より惣て織りたる物なれば、19:24兵卒ども互にいふ『これを裂くな、誰がうるか鬮にすべし』これは聖書の成就せん爲なり。曰く『かれら互にわが衣をわけ、わが衣を鬮にせり』兵卒ども斯くなしたり。
 :19-24 partiti (分けた)のメロディとバスが反進行する音画表現。

 19:25さてイエスの十字架の傍らには、その母と母の姉妹と、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤと立てり。19:26イエスその母とその愛する弟子との近く立てるを見て、母に言ひ給ふ『をんなよ、視よ、なんぢの子なり』19:27また弟子に言ひたまふ『視よ、なんぢの母なり』この時より、その弟子かれを己が家に接けたり。

 19:28この後イエス萬の事の終りたるを知りて、――聖書の全うせられん爲に――『われ渇く』と言ひ給ふ。19:29ここに酸き葡萄酒の滿ちたる器あり、その葡萄酒のふくみたる海綿をヒソプに著けてイエスの口に差附く。19:30イエスその葡萄酒をうけて後いひ給ふ『事畢りぬ』遂に首をたれて靈をわたし給ふ。
 :19-30 inclinato capite, tradidit spiritum 首をたれて靈をわたし給ふ に久々の弦楽合奏。

 19:31この日は準備日なれば、ユダヤ人、安息日に屍體を十字架のうへに留めおかじとて(殊にこの度の安息日は大なる日なるにより)ピラトに、彼らの脛ををりて屍體を取除かんことを請ふ。19:32ここに兵卒ども來りて、イエスとともに十字架に釘けられたる第一の者と他のものとの脛を折り、19:33而してイエスに來りしに、はや死に給ふを見て、その脛を折らず。19:34然るに一人の兵卒、鎗にてその脅をつきたれば、直ちに血と水と流れいづ。19:35之を見しもの證をなす、其の證は眞なり、彼はその言ふことの眞なるを知る、これ汝等にも信ぜしめん爲なり。19:36此等のことの成りたるは『その骨くだかれず』とある聖句の成就せん爲なり。19:37また他に『かれら己が刺したる者を見るべし』と云へる聖句あり。
 :終句の19-37 videbunt in quem trans fuxerunt かれら己が刺したる者を見るべし にも弦楽合奏が添えられ、慎ましくも感動的に終わる。

 Leonardo García Alarcónの新しい録音では合唱を遊ばせておく勿体無さもあるのか、スカルラッティ自身のポリフォニックな合唱のためのレスポンソリウムを挿入して演奏してますが、あんまり馴染まない。

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