Osvaldo Golojov (1960/12/6 -) La Passion selon Saint Marc (2000)
オスバルド・ゴリホフのスペイン語歌詞での作品。所謂ミニマル・ミュージックとラテン,さらにはアフリカンにフラメンコの融合。
1 ヴィジョン:十字架での洗礼(器楽曲 背景の言葉
マルコ傳1:11 かつ天より聲出づ『なんぢは我が愛しむ子なり、我なんぢを悦ぶ』
15:34 『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』)
2 (1:17)人を漁る者 の踊り(網との踊り、器楽曲)
3 最初の告知(合唱)
(13:35)この故に目を覺しをれ、家の主人の歸るは、(来たれ、イエスよ!)夕か、夜半か、鷄鳴くころか、夜明か、いづれの時なるかを知らねばなり。
4 二回目の告知(独唱と合唱)
(14:1)さて過越と除酵との祭の二日前となりぬ。祭司長・學者ら詭計をもてイエスを捕へ、かつ殺さんと企てて言ふ
5 三回目の告知:祭の間は爲すべからず(合唱)
(14:2)『祭の間は爲すべからず、恐らくは民の亂あるべし』
6 二日間(合唱)
(14:1)さて過越と除酵との祭の二日前となりぬ。
7 ベタニアでの塗油(独唱)
(14:3)イエス、ベタニヤに在して、癩病人シモンの家にて食事の席につき居給ふとき、或女、價高き混なきナルドの香油の入りたる石膏の壺を持ち來り、その壺を毀ちてイエスの首に注ぎたり。ある人々、憤ほりて互に言ふ
8 ¿Por Qué? なに故
(14:4−5)『なに故、なに故、かく濫に油を費すか、この油を三百デナリ餘に賣りて…』
(14:6)『その爲すに任せよ、何ぞこの女を惱すか、我に善き事をなせり。(14:8)此の女は、なし得る限をなして、我が體に香油をそそぎ、あらかじめ葬りの備をなせり。』
『なに故、なに故、貧しき者に施すことを得たりしものを』
(14:9)『まことに汝らに告ぐ、全世界いづこにても、福音の宣傅へらるる處には、この女の爲しし事も記念として語らるべし』
9 Lucumíの祈り(コオロギとのアリア、器楽曲)
10 初日
(14:12)除酵祭の初の日、即ち過越の羔羊を屠るべき日
(14:19)『われなるか』『われなるか』
11/12 ユダと過越の羔羊
(14:10)ここに十二弟子の一人なるイスカリオテのユダ、イエスを賣らんとて祭司長の許にゆく。
(14:19)『われなるか』『われなるか』
(14:11)彼等これを聞きて喜び、銀を與へんと約したれば、(14:4)弟子らと共に過越の食をなす
(14:19)『われなるか』『われなるか』
(14:18)みな席に就きて食するとき言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、我と共に食する汝らの中の一人、われを賣らん』
(14:20)『十二のうちの一人にて、我と共にパンを鉢に浸す者は夫なり。
(14:21)實に人の子は己に就きて録されたる如く逝くなり。されど人の子を賣る者は禍害なるかな、その人は生れざりし方よかりしものを』
13 フラメンコの女性歌手(カンタオーラ),ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの唄,ペテネーラ (Quisiera Yo Renegar)に基づく(ユダのアリア)
私は、世の中にそむきたい、
もう一度我が心のマーレに住みたい。
ゆるぎない新しい世界に
出会うかもしれないから。
14 最後の晩餐
(14:22)イエス、パンを取り、祝してさき、弟子たちに與へて言ひたまふ
『取れ、これは我が體なり』
(14:23)また酒杯を取り、謝して彼らに與へ給へば、皆この酒杯より飮めり。
(14:24)また言ひ給ふ
『これは契約の我が血、おほくの人の爲に流す所のものなり。
(14:25)まことに汝らに告ぐ、神の國にて新しきものを飮む日までは、われ葡萄の果より成るものを飮まじ』
15 ヱホバに感謝せよ(賛歌,詩篇113から118の断片)
Víctor Herediaの
に基づく合唱変奏曲
ヱホバに感謝せよヱホバは恩惠ふかくその憐憫とこしへに絶ることなし
ヱホバに感謝せよヱホバの名はほめらるべし
今より永遠にいたるまでヱホバの名はほむべきかな
ヱホバは神なり
地よ主のみまへヤコブの神の前にをののけ
ヱホバに感謝せよ
今より永遠にいたるまで
ヱホバは神なり
その榮光は天よりもたかし
死の繩われをまとひ陰府のくるしみ我にのぞめり われは患難とうれへとにあへりその時われヱホバの名をよべり ヱホバよ願くはわが霊魂をすくひたまへと
地よ主のみまへヤコブの神の前にをののけ
ヱホバに感謝せよ
地よ主のみまへヤコブの神の前にをののけ
死の繩われをまとひ
その時われヱホバの名をよべり ヱホバよ願くはわが霊魂をすくひたまへと
ヱホバに感謝せよ
16 オリブ山の上で
(14:26)かれら讃美をうたひて後、オリブ山に出でゆく。
(14:27)イエス弟子たちに言ひ給ふ
『なんぢら皆躓かん、それは「われ牧羊者を打たん、さらば羊散るべし」と録されたるなり。(14:28)されど我よみがへりて後、なんぢらに先だちてガリラヤに往かん』
17 顔を合わせて
(14:29)時にペテロ、イエスに言ふ
『假令みな躓くとも、我は然らじ』
(14:30)イエス言ひ給ふ
『まことに汝に告ぐ、今日この夜、鷄ふたたび鳴く前に、なんぢ三たび我を否むべし』
(14:31)(ペテロ力をこめて言ふ)
『われ汝を否まず』
『まことに汝に告ぐ、なんぢ我を否むべし』
『汝とともに死ぬべき事ありとも』
『我を否むべし』
『死ぬ』
18 ゲツセマネ
(14:32)彼らゲツセマネと名づくる處に到りし時、イエス弟子たちに言ひ給ふ
『わが心いたく憂ひて死ぬばかりなり、汝ら此處に留りて目を覺しをれ』
19 苦悩(イエスのアリア)
(14:36)『アバ父よ、父には能はぬ事なし、此の酒杯を我より取り去り給へ。されど我が意のままを成さんとにあらず、御意のままを成し給へ』
(14:37)來りて、その眠れるを見、ペテロに言ひ給ふ
『シモンよ、なんぢ眠るか、一時も目を覺しをること能はぬか。(14:38)なんぢら誘惑に陷らぬやう、目を覺しかつ祈れ。實に心は熱すれども肉體よわきなり』
(14:36)『アバ父よ、父には能はぬ事なし、此の酒杯を我より取り去り給へ。されど我が意のままを成さんとにあらず、御意のままを成し給へ』
(14:40)また來りて彼らの眠れるを見たまふ、是その目いたく疲れたるなり
(14:36)『アバ父よ、父には能はぬ事なし、此の酒杯を我より取り去り給へ。されど我が意のままを成さんとにあらず、御意のままを成し給へ』
(14:41)(三度來りて言ひたまふ)
『今は眠りて休め、足れり、時きたれり、
(14:42)起て、視よ、人の子は罪人らの手に付さるるなり。われらは往くべし。視よ、我を賣る者ちかづけり』
20 捕縛
(14:44)『わが接吻する者はそれなり、之を捕へて確と引きゆけ』
(14:43)なほ語りゐ給ふほどに、十二弟子の一人なるユダ、やがて近づき來る、祭司長・學者・長老らより遣されたる群衆、劍と棒とを持ちて之に伴ふ。
(14:44)イエスを賣るもの、あらかじめ合圖を示して
(14:45)かくて來りて直ちに御許に往き『ラビ』と言ひて接吻したれば、
(14:46)人々イエスに手をかけて捕ふ。
(14:47)傍らに立つ者のひとり、劍を拔き、大祭司の僕を撃ちて、耳を切り落せり。
¿Por Qué?¿Por Qué?(14:48)『なんぢら強盜にむかふ如く、劍と棒とを持ち、我を捕へんとて出で來るか。
¿Por Qué?¿Por Qué?(14:49)我は日々なんぢらと偕に宮にありて教へたりしに、我を執へざりき、されど是は聖書の言の成就せん爲なり』
21 白布の踊り(器楽曲)
((14:50)其のとき弟子みなイエスを棄てて逃げ去る。(14:51)ある若者、素肌に亞麻布を纏ひて、イエスに從ひたりしに、人々これを捕へければ、(14:52)亞麻布を棄て裸にて逃げ去れり。)
22 大祭司
(14:61)『なんぢは頌むべきものの子キリストなるか』
(14:53)人々イエスを大祭司の許に曳き往きたれば、祭司長・長老・學者ら皆あつまる。(14:54)ペテロ遠く離れてイエスに從ひ、大祭司の中庭まで入り、下役どもと共に坐して火に煖まりゐたり。(14:55)さて祭司長ら及び全議會、イエスを死に定めんとて、證據を求むれども得ず。
(14:58)『われら此の人の「われは手にて造りたる此の宮を毀ち、手にて造らぬ他の宮を三日にて建つべし」と云へるを聞けり』
(14:56)それはイエスに對して僞證する者多くあれども、其の證據あはざりしなり。(14:61)大祭司ふたたび問ひて言ふ『なんぢは頌むべきものの子キリストなるか』
23 われはそれなり(告白)
(14:62)(イエス言ひ給ふ)
『われは夫なり、汝ら、人の子の全能者の右に坐し、天の雲の中にありて來るを見ん』
24 蔑みと否認
((14:65)而して或者どもはイエスに唾し、又その顏を蔽ひ、拳にて搏ちなど爲始めて言ふ)
(14:64)イエスを死に當るべき
(14:65)『預言せよ』下役どもイエスを受け、手掌にてうてり。
((14:66)ペテロ下にて中庭にをりしに、大祭司の婢女の一人きたりて、(14:67)ペテロの火に煖まりをるを見、これに目を注めて言ふ)
『汝もかのナザレ人イエスと偕に居たり』
(14:68)『われは汝の言ふことを知らず、又その意をも悟らず』
(と言ひて庭口に出でたり。(14:69)婢女かれを見て、また傍らに立つ者どもに)『この人はかの黨與なり』(と言ひ出でしに、)(17:40)ペテロ重ねて肯はず、暫くしてまた傍らに立つ者どもペテロに言ふ『なんぢは慥にかの黨與なり、汝もガリラヤ人なり』
(14:71)『われは汝らの言ふ其の人を知らず』
((14:72)その折しも、また鷄なきぬ。ペテロ『にはとり二度なく前に、なんぢ三度われを否まん』とイエスの言ひ給ひし御言を思ひいだし、思ひ反して泣きたり。)
25 衣を裂く
おお,イエスよ!
((14:63)此のとき大祭司おのが衣を裂きて言ふ『なんぞ他に證人を求めん。(14:64)なんぢら此の瀆言を聞けり、如何に思ふか』)
26 色のない月(ロサリア・デ・カストロの詩,ペテロの涙のアリア)
27 夜明け(ピラトの前で)
(15:1)夜明るや直ちに、祭司長・長老・學者ら、即ち全議會ともに相議りて、イエスを縛り、曳きゆきてピラトに付す。(15:2)ピラト、イエスに問ひて言ふ
『なんぢはユダヤ人の王なるか』
『なんぢの言ふが如し』
(15:4)『なにも答へぬか』((15:5)されどピラトの怪しむばかり、イエス更に何をも答へ給はず)
28 沈黙(カホンとフラメンコの足打ち)
29 判決(器楽曲)
((15:6)さて祭の時には、ピラト民の願に任せて、囚人ひとりを赦す例なるが(15:12)『汝らがユダヤ人の王と稱ふる者をわれ如何にすべきか』(15:13)人々また叫びて言ふ『十字架につけよ』(15:11)祭司長ら群衆を唆かし、反つてバラバを赦さんことを願はしむ。
30 ゴルゴタへの道
((15:20)また葦にて其の首をたたき、唾し、跪づきて拜せり。)
(15:18)『ユダヤ人の王、安かれ』(15:29)『ああ、宮を毀ちて三日のうちに建つる者よ、(15:30)十字架より下りて己を救へ』(15:31)『人を救ひて、己を救ふこと能はず、(15:32)イスラエルの王キリスト、いま十字架より下りよかし、さらば我ら見て信ぜん』
31 紫色の聖衣の踊り(器楽曲)
((15:7)彼に紫色の衣を著せ、茨の冠冕を編みて冠らせ)
32 十字架
…キリストへの罵詈雑言
33 死
((15:33)晝の十二時に、地のうへ徧く暗くなりて、三時に及ぶ。(15:34)三時にイエス大聲に)
『わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひし』
((15:37)イエス大聲を出して息絶え給ふ。(15:38)聖所の幕、上より下まで裂けて二つとなりたり。)
34 カッディーシュ
『わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひし』
『なんぢは我が愛しむ子なり、我なんぢを悦ぶ』
(エレミアの哀歌(1:12))すべて行路人よ なんぢら何ともおもはざるか ヱホバその烈しき震怒の日に我をなやましてわれに降したまへるこの憂苦にひとしき憂苦また世にあるべきや考がへ見よ
(アラム語の祈りの言葉)
最後には作者の出自に連なるユダヤ教の典礼で締められる。聴き流しやすい音楽でもあるのですがテクストの構成・内容は掘り下げてみるとなかなかに深い。また音だけよりは映像収録の方が。
「受難曲」の命脈はアレッサンドロ・スカルラッティなどの例外はあれど基本プロテスタント側の歴史だったのが、現代にそれを生かそうという試みがカトリック側の方が「威勢がいい」のも面白い。ポーランド、ラテン・アメリカ…ゴリホフさん自身はユダヤ教とも関係が強そうですが…そうか、バーンスタイン「ミサ曲」!
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