ハインリッヒ・シュッツの「我らの唯一の救い主イエス・キリストの悦ばしく勝利の復活の物語」(1623)
生硬な訳でのタイトルになっちまいましたが、最後に理由がわかるんで。ドイツ語による初めての傑作オラトリオとされてます。4つのヴィオールが福音史家のレシタティーヴォを彩るのが特徴的、イエスを初めとする役は15ほどですが独唱者が例えばルネ・ヤーコプス盤では13人で分担してます。
入祭唱:合唱、四人の福音史家によって書かれた我らの主の復活の物語…
福音史家:安息日終りし時、マグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ及びサロメ、往きてイエスに抹らんとて香料を買ふ。かくて誡命に遵ひて、安息日を休みたり。一週の首の日、日の出でたる頃いと早く墓にゆく。視よ、大なる地震あり、これ主の使、天より降り來りて、かの石を轉し退け、その上に坐したるなり。その状は電光のごとく輝き、その衣は雪のごとく白し。守の者ども彼を懼れたれば、戰きて死人の如くなりぬ。語り合ひしに
三人の女達:誰か我らの爲に墓の入口より石を轉すべき
福音史家:目を擧ぐれば、石の既に轉しあるを見る。この石は甚だ大なりき。内に入りたるに、主イエスの屍體を見ず。マグダラのマリア乃ち走りゆき、これが爲に狼狽へをりしに、視よ、輝ける衣を著たる二人の人その傍らに立てり。女たち懼れて面を地に伏せたれば、その二人の者いふ
墓の中の二人の男:なんぞ死にし者どもの中に生ける者を尋ぬるか。彼は此處に在さず、甦へり給へり。尚ガリラヤに居給へるとき、如何に語り給ひしかを憶ひ出でよ。即ち「人の子は必ず罪ある人の手に付され、十字架につけられ、かつ三日めに甦へるべし」と言ひ給へり
福音史家:ここに彼らその御言を憶ひ出で、墓より歸りて、凡て此等のことを十一弟子および凡て他の弟子たちに告ぐ。之を使徒たちに告げたり。使徒たちは其の言を妄語と思ひて信ぜず。マグダラのマリヤ走りゆき、シモン・ペテロとイエスの愛し給ひしかの弟子との許に到りて言ふ
マグダラのマリア:たれか主を墓より取去れり、何處に置きしか我ら知らず
福音史家:ペテロと、かの弟子といでて墓にゆく。二人ともに走りたれど、かの弟子ペテロより疾く走りて先に墓にいたり、屈みて布の置きたるを見れど、内には入らず。シモン・ペテロ後れ來り、墓に入りて布の置きたるを視、また首を包みし手拭は布とともに在らず、他のところに卷きてあるを見る。先に墓にきたれる彼の弟子もまた入り、之を見て信ず。彼らは聖書に録したる、死人の中よりその甦へり給ふべきことを未だ悟らざりしなり。遂に二人の弟子おのが家にかへれり。ペテロはありし事を怪しみつつ歸れり。
然れどマリヤは墓の外に立ちて泣き居りしが、泣きつつ屈みて墓の内を見るに、イエスの屍體の置かれし處に、白き衣をきたる二人の御使、首の方にひとり足の方にひとり坐しゐたり。而してマリヤに言ふ
二人の天使:をんなよ、何ぞ泣くか
福音史家:マリヤ言ふ
マグダラのマリア:誰かわが主を取去れり、何處に置きしか我しらず
福音史家:かく言ひて後に振反れば、イエスの立ち居給ふを見る、されどイエスたるを知らず。イエス言ひ給ふ
イエス:をんなよ、何ぞ泣く、誰を尋ぬるか
福音史家:マリヤは園守ならんと思ひて言ふ
マグダラのマリア:君よ、汝もし彼を取去りしならば、何處に置きしかを告げよ、われ引取るべし
福音史家:イエス言ひ給ふ
イエス:マリヤよ
福音史家:マリヤ振反りて言ふ
マグダラのマリア:ラボニ!
福音史家:釋けば師よ。イエス言ひ給ふ
イエス:われに觸るな、我いまだ父の許に昇らぬ故なり。我が兄弟たちに往きて「我はわが父すなはち汝らの父、わが神すなはち汝らの神に昇る」といへ
福音史家:一週の首の日の拂曉、イエス甦へりて先づマグダラのマリヤに現れたまふ、前にイエスが七つの惡鬼を逐ひいだし給ひし女なり。マリヤ往きて、イエスと偕にありし人々の、泣き悲しみ居るときに之を告ぐ。彼らイエスの活き給へる事と、マリヤに見え給ひし事とを聞けども信ぜざりき。墓に入り、右の方に白き衣を著たる若者の坐するを見て甚く驚く。若者いふ
墓の中の若者:おどろくな、汝らは十字架につけられ給ひしナザレのイエスを尋ぬれど、既に甦へりて、此處に在さず。視よ、納めし處は此處なり。されど往きて弟子たちとペテロとに告げよ「汝らに先だちてガリラヤに往き給ふ、彼處にて謁ゆるを得ん、曾て汝らに言ひ給ひしが如し」
福音史家:女たち懼と大なる歡喜とをもて、速かに墓を去り、弟子たちに知らせんとて走りゆく。女たち甚く驚きをののき、墓より逃げ出でしが、懼れたれば一言をも人に語らざりき。弟子たちに知らせんとて走りゆくと、視よ、イエス彼らに遇ひて言ひ給ふ
イエス:安かれ
福音史家:進みゆき、御足を抱きて拜す。ここにイエス言ひたまふ
イエス:懼るな、往きて我が兄弟たちに、ガリラヤにゆき、彼處にて我を見るべきことを知らせよ
福音史家:女たちの往きたるとき、視よ、番兵のうちの數人、都にいたり、凡て有りし事どもを祭司長らに告ぐ。祭司長ら、長老らと共に集りて相議り、兵卒どもに多くの銀を與へて言ふ、
祭司長達:なんぢら言へ「その弟子ら夜きたりて、我らの眠れる間に彼を盜めり」と。この事もし總督に聞えなば、我ら彼を宥めて汝らに憂なからしめん
福音史家:彼ら銀をとりて言ひ含められたる如くしたれば、此の話ユダヤ人の中にひろまりて、今日に至れり。視よ、この日二人の弟子、エルサレムより三里ばかり隔りたるエマオといふ村に往きつつ、凡て有りし事どもを互に語りあふ。語りかつ論じあふ程に、イエス自ら近づきて共に往き給ふ。されど彼らの目遮へられて、イエスたるを認むること能はず。イエス彼らに言ひ給ふ
イエス:なんぢら歩みつつ互に語りあふ言は何ぞや
福音史家:かれら悲しげなる状にて立ち止り、その一人なるクレオパと名づくるもの答へて言ふ
クレオバ:なんぢエルサレムに寓り居て、獨り此の頃かしこに起りし事どもを知らぬか
福音史家:イエス言ひ給ふ
イエス:如何なる事ぞ
福音史家:答へて言ふ
クレオバと仲間:ナザレのイエスの事なり、彼は神と凡ての民との前にて、業にも言にも能力ある預言者なりしに、祭司長ら及び我が司らは、死罪に定めんとて之を付し遂に十字架につけたり。我らはイスラエルを贖ふべき者は、この人なりと望みゐたり、然のみならず、此の事の有りしより今日ははや三日めなるが、なほ我等のうちの或女たち、我らを驚かせり、即ち彼ら朝夙く墓に往きたるに、屍體を見ずして歸り、かつ御使たち現れて、イエスは活き給ふと告げたりと言ふ。我らの朋輩の數人もまた墓に往きて見れば、正しく女たちの言ひし如くにしてイエスを見ざりき
福音史家:イエス言ひ給ふ
イエス:ああ愚にして預言者たちの語りたる凡てのことを信ずるに心鈍き者よ。キリストは必ず此らの苦難を受けて、其の榮光に入るべきならずや
福音史家:かくてモーセ及び凡ての預言者をはじめ、己に就きて凡ての聖書に録したる所を説き示したまふ。遂に往く所の村に近づきしに、イエスなほ進みゆく樣なれば、強ひて止めて言ふ
クレオバと仲間:我らと共に留れ、時夕に及びて、日も早や暮れんとす
福音史家:乃ち留らんとて入りたまふ。共に食事の席に著きたまふ時、パンを取りて祝し、擘きて與へ給へば、彼らの目開けてイエスなるを認む、而してイエス見えずなり給ふ。かれら互に言ふ
クレオバと仲間:途にて我らと語り、我らに聖書を説明し給へるとき、我らの心、内に燃えしならずや
福音史家:かくて直ちに立ちエルサレムに歸りて見れば、十一弟子および之と偕なる者あつまり居て言ふ、
六声部の合唱:主は實に甦へりて、シモンに現れ給へり
福音史家:二人の者もまた途にて有りし事と、パンを擘き給ふによりてイエスを認めし事とを述ぶ。されど疑ふ者もありき。この日すなはち一週のはじめの日の夕、弟子たちユダヤ人を懼るるに因りて、居るところの戸を閉ぢおきしに、此等のことを語る程に、イエスその中に立ち言ひ給ふ。
イエス:平安なんぢらに在れ
福音史家:己が甦へりたるを見し者どもの言を信ぜざりしにより、其の信仰なきと、其の心の頑固なるとを責め給ふ。かれら怖ぢ懼れて、見る所のものを靈ならんと思ひしに、イエス言ひ給ふ
イエス:なんぢら何ぞ心騷ぐか、何ゆゑ心に疑惑おこるか、我が手わが足を見よ、これ我なり。我を撫でて見よ、靈には肉と骨となし、我にはあり、汝らの見るごとし
福音史家:斯く言ひて手と足とを示し給ふ。かれら歡喜の餘に信ぜずして怪しめる時、イエス言ひたまふ
イエス:此處に何か食物あるか
福音史家:かれら炙りたる魚一片を捧げたれば、之を取り、その前にて食し給へり。また言ひ給ふ
イエス:これらの事は、我がなほ汝らと偕に在りし時に語りて、我に就きモーセの律法・預言者および詩篇に録されたる凡ての事は、必ず遂げらるべしと言ひし所なり
福音史家:ここに聖書を悟らしめんとて、彼らの心を開きて言ひ給ふ、
イエス:かく録されたり、キリストは苦難を受けて、三日めに死人の中より甦へり、且その名によりて罪の赦を得さする悔改は、エルサレムより始りて、もろもろの國人に宣傳へらるべしと。汝らは此等のことの證人なり。
福音史家:イエスまた言ひたまふ
イエス:平安なんぢらに在れ、父の我を遣し給へるごとく、我も亦なんぢらを遣す
福音史家:斯く言ひて、息を吹きかけ言ひたまふ
イエス:聖靈をうけよ。なんじら誰の罪を赦すとも其の罪ゆるされ、誰の罪を留むるとも其の罪とどめらるべし
終結:されど感謝すべきかな、神は我らの主イエス・キリストによりて勝を與へたまふ、ヰクトリア!
エルガーに負けず劣らない切り貼りテキストでした。流麗に流れていく福音史家に時々挟まれる多声の鮮やかさ、マグダラのマリアの返事。最後の合唱はキャッチーなぐらいのヰクトリアの強調。
愛聴してるルネ・ヤーコプス盤が拾えないんで、ヒリアード盤を挙げときます。
大問題作もありぬ。何でもビザンチン歌唱にしちまうベスティオンとラ・タンペートのコンビ。しかもシュッツの盟友の名作「イスラエルの泉」を挿入するとは。好き放題なんすけど面白過ぎです。