フィリップ・グラス 「サチャグラハ」(1980) その2
第二幕 タゴール ラビンドラナート・タゴール
第一場 1896年 対立と救出 午後2時です。
ガンディーは半年間をインドで過ごし南アフリカ入植者の窮状を発信し続けた。多くのヨーロッパ人もそれを目にした結果彼が南アフリカに戻った時に憎悪が爆発した。ガンディーが多くのインド系移民を本国に返そうと画策した事もそれに輪をかけてしまう結果になった。暴徒が彼方よりガンディーに迫る。警察長官の妻アレキサンダー夫人が傘を広げ彼を守り導く。アレキサンダー夫人(メゾ・ソプラノ)が民衆の愚昧さについて歌い合唱が傲慢に答える劇的な掛け合い。
第二場 1906年 インド人の意見 Indian Opinion
夕方5時です。
活動の中心は週刊の新聞Indian Opinionの発行でした。紙面はサティーヤグラハの精神の深化を反映していきます。闘争の力強い武器になりました。推定では南アフリカだけで2万部の発行にまで成長しました。最も明るく活気のある6連音モチーフに導かれるカレンバッハ氏(Hermann Kallenbach、バリトン)とミス•シュレーゼン(ガンディーの秘書、ソプラノ)の二重唱、カツルバイ(ガンディーの妻、メゾ・ソプラノ)、ナイドー夫人(ソプラノ)そしてParsee Rustomjeeの三重唱、そして五十唱。
第三場 1908年 抗議 夕暮れです。
運動の指導者達は国外退去命令に従わず刑務所収容の判決が下った。収容されたサティーヤグラハメンバーは週末には150名にまで。政府は過半数のインド人が自主的に登録を済ませば暗黒法を撤回すると表明した。しかしそれが反故にされた時、サティーヤグラハ達は最後通牒として、暗黒法が撤回されなければ身分証明書を集めて燃やすと宣言した。期限の日、燃やす前祈りの会を執り行うガンディーに政府からの拒否が伝えられる。大釜に全て投げ入れ燃え上がる、今やサティーヤグラハはその洗礼の炎を手にした。ガンディーの祈りと激しい合唱が交錯する。
第三幕 ※ マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
最近の記載ではカットされている?
第一場 1913年 ニュー・キャッスルへの行進
夜です。
あからさまに人種差別的な二つの法律で、政府は効果的に新たなインド人入植者を制限し現存のインド人労働者を抑圧支配していた。3ポンド税 The £3 Taxとアジア人移民法はインドの指導者Shree Gokhaleが南アフリカを訪問してその廃止の公約を取り付けたにもかかわらず施行された。政府の約束不履行でサティーヤグラハは新たな真実を求める闘いと更なる支持と応援を得た。ニュー・キャッスルの鉱山が最初の舞台に選ばれた。ガンディーを先頭に36マイル先のトランスヴァール国境を目指す。 国境で拘束されるなら総勢5000人が刑務所で溢れかえり政府に重い負担を与える。もし拘束されずにトルストイ農場まで辿り着ければストライキを継続、きっと6万人にも登るこの税に搾取された労働者達も動員出来るだろう。※実際はこの企画のためガンディーは初めて投獄されました。場面は神話の戦場でもあり南アフリカの原野でもある。カツルバイ(ガンディーの妻、メゾ・ソプラノ)、ナイドー夫人(ソプラノ)、合唱団による瞑想的な音楽からガンディーに引き継ぎ、冒頭の音楽に回帰するように、ただメロディーは第一幕第二場の木管と電子オルガンのリフレイン。
歌詞英訳をじっくり読んだのは実は初めて。大多数の人にとっては意味不明のサンスクリット語の歌詞を使用するのは「浜辺のアインシュタイン」から自然な流れかと思ってましたが、その場面場面に一応合った内容の歌詞を選択してんだねと実感しました。
第二幕第三場、木管楽器が合唱を先導する同音反復三連符のパッセージをベルリオーズ「トロイの人々」になぞらえていたり、その流れで現代に於けるグランドオペラの復活みたいな話も散見しますがね。ただこの後はフィリップ・グラスがとんでもない量産体制に入って「乱発」するので残念ながら付いていけない感じになりました。