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「メッセージ」 監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ

Arrival by Denis Villeneuve

2016年アメリカ映画。SF映画と聞いてかなり躊躇していた。SF映画は気分を選ぶ…「マトリックス」や「ET」みたいなファンタジーものか、はたまた「ブレードランナー」的なのか…しかし何れのSF映画とは違った。アクションはなく、登場する宇宙人は「マーズアタック」のようなマスコット的な存在でもない。「2001年宇宙の旅」にほど近い価値観の変容を予感させる大いなる存在として描かれている。

監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演 エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー
脚本 エリック・ハイセラー
原作 テッド・チャン「あなたの人生の物語」
音楽 ヨハン・ヨハンソン
撮影 ブラッドフォード・ヤング

とにかく音楽がダントツに素晴らしいと感じたが、出演者も素晴らしく、エロや暴力で注意を引くような稚拙な演出はなく、あくまでもドラマ重視。近年稀に見る骨太なハリウッド映画だったのではないか。

殊に新鮮に感じたのが、主人公の描かれ方だ。SFのハリウッド映画に登場するヒロインは、女性「なのに」強いことが多い。「エイリアン」のリプリーや「マトリックス」のトリニティなんかも「男性顔負け」であることが良しとされている風潮があった。

けれど、この作品は女性「だから」強い、という描かれ方をしていた。ナウシカ的、というべきか。女性特有の共感型の精神、非暴力の可能性への追求、横のつながりを重視する気持ちなど、もちろん男性にもあるのだけどマッチョイズムを排除した描かれ方は、宮崎駿的世界観に非常に近しく感じた。

数学者で仕事のパートナー役にマッチョなジェレミー・レナーを起用している辺り、ここは相当に意識されて作られたのではないかと想像する。

その主人公の「女性的」しなやかさ、そしてパートナーの「男性的」優しさによって、主人公は人間の価値観を変容させる域にたどり着く。その価値観の変容を追体験する楽しみがこの映画にある。

具体的にいうと…「メッセージ」では時間に対する新しい考察を提案している。構成然り、シーン転換、演技、そして宇宙人の「メッセージ」によって「宇宙人は時間をこう解釈する」というのが「理解」と言うより「体感」として感じさせてくれる。これには非常に感動した。

その「時間に対する解釈の変容」は、やはり男性主人公では成し遂げられなかったと思う。それが良いvs悪いではなく、ハリウッド映画が「女性性」をこのように描くことに驚いたし、嬉しくもあった。エイミー・アダムスが美人でも、おっぱいが大きいわけでも男を誘惑するでもない所がまたいい。

…個人的に心を動かされたシーンが2ヶ所ある。詳しく書くとネタバレするので割愛するが、その二箇所はナウシカが傷だらけの子供の王蟲と心を通わせた時の感動と、ラストで風の谷を救った時のカタルシスの「雰囲気」に酷似していた。

人間ならざるものとの交流から生じる、感動みたいなものというべきか。命を張ったナウシカと同様、この主人公も命を張り、身を投げ出すことを惜しまない。彼女の器の広さに感動するのかもしれない。

絶賛をしているが…正直、エンディングに私は非常にがっかりした。

ナウシカだったら風の谷を救い、カタルシスを感じて気持ち良い所で終わる。けれどこの映画の場合、主軸になっているエピソードが全ての人にとって簡単に共感できるものではない。

彼女の選択に対する「是非」がどうしても問われてしまうエンディングになっているのだが、それが得策だったのか…

SF映画の醍醐味である「世界がこんなだったら」という読後感みたいなものは最後にかき消されてしまい、主人公の人生の選択について思考を巡らせることになる。時間に対する新しい価値観を得るシーンまでは楽しんで見られたので、エンディングが残念でならない。

ただ、この「共感できないエピソード」を主軸に置かないと、観客が時間に対する価値観の変容を追体験できなかったのだろうとも想像する。難儀。

今改めて色々考察してみると、エンディングがどうであれ非常に面白かったなあ。また観たいかも。ハリウッド映画、なかなか捨てたもんじゃない。

この映画から学んだこと。
主人公の変容は、丁寧に主観的に描くことで観客に追体験をさせられる。



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