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私は運転の天才かもしれない

私には持論がありまして、

どんな分野でも天才と呼ばれる人達はいるけど、一握りじゃないですか。

その天才達の感覚って、凡人達には理解出来ないですよね。
「どうしてこんなものがささっと作れるの!?」「どうやったらこんな発想が出来るの!?」みたいな。

その逆も然りじゃないかと思うんです。
あまりにも絵が下手な人って、ほんとに、凡人には理解できないくらい下手くそじゃないですか。そしてそのように度を超えて下手な人っていうのはそんなに多くない、一握りの存在だと思います。そういう意味で、彼らも天才と呼べるんじゃないでしょうか。

……っていう、ことです。

私は運転において、そのような、逆の天才的存在だと思う。


私は今自動車学校通ってて一段階目なんですけど、元の性格なのか学校の方針なのか分からないけどとにかく穏やかな担当教官から「さすがに何回もやってるんだからさ」という言葉を引き出した。私の天才的運転能力によって。

判子押す欄もこのままだと足りなくなる可能性がありそう。
私は現在22歳である。比較的物事を吸収しやすい年齢じゃないのか。

ちなみに私はそれなりに真面目に通っている。教官の話もちゃんと聞いているし、学科教習中に寝たこともない。


「わかるわかる~~私も全然出来ないよ~~」
と思ったそこのあなた。

「みんな通ってる最中はそう思うもんだよ、大丈夫!いずれ普通に運転出来るようになるから!」
と思ったそこのあなたも。

違うんだよ。
そんなもんじゃないんだ、わたしのこの才能は。凡人達と一緒にしないでくれ。

あと、私は“いずれ普通に運転出来る”ようにならなかった人間を知っている。

母である。

あぁ素晴らしき遺伝。

母は頻繁に車に乗っている訳では無いにも関わらず、去年一年間で家の車を2回擦って修理代計14万を父に支払う羽目になっていた。かわいそうに。14万あればどれだけタクシーに乗れたか。

現在54歳の母は、60歳になったら免許返納出来る!と目を輝かせている。免許取得から20年近く経った今でも運転を忌み嫌っているのだ。

そもそも、世の中には『運転免許を持っていないこと=社会不適合者の一要素』だと捉えている人が少なくない。北海道だと特にそうだと思う。そこそこ年齢のいった男性で免許を持っていないと「えっ、なんで?笑」と言われがちだ。

そういう風潮のせいで、運転が絶対必要というわけじゃない仕事内容であるにも関わらず普通車免許取得を条件とした求人が出されるのだ。
私だって、自分が天才であることには自動車学校に通う前から薄々勘づいていた。母のこともあるし、自転車に乗っていても何となくわかる。
だけど就活のために仕方なく通い始めたのだ。世の中にこんな風潮がなければ、私のような本来運転してはいけない人間が入校することもなかった。

世の中を、変えたい……。

けど、周囲に呼びかけたりはたらきかけたりするやる気とかは無いので、

自動運転技術、進歩して下さい。

本当にお願いします。

おわり。

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