『君が代』の意味と作曲方法
こんにちは^^
今回は前回の記事の続きとなります。前回は、「『君が代』の原点と国歌となるまでの経緯」を記事にしました。
今回説明するのは、『君が代』の歌詞の意味と作曲方法です。この内容がすべて正しいとは限らないので、あくまで参考までにしていただければ幸いです。
日本人は日本のさまざまな歴史や文化の名称や形は知っていても、その意味まで知っている人は少ないです。しかし、それらの意味や経緯について知ると日本の素晴らしさや先人が未来に残した思いなどを知ることができ、より日本を好きになり世界を広い視野で見ることもできます。
それでは今回の本題に参ります。
|歌詞
|「君が代は」の意味
大和言葉で、「き」=男(伊邪那岐)「み」=女(伊邪那美)を表します。
竹取物語で男性のことを「おきな」、女性のことを「おみな」と言ったりするのも同じ意味です。
つまり「君が代は」=「男と女の代(世)は」という意味になります。
|「千代に八千代に」の意味
これはそのままの意味になります。
つまり「千代に八千代に」=「千年も万年も」といった意味です。
|「さざれ石の 巌となりて」の意味
さざれ石とは、もともと別々の小さな小石同士が圧力によってひとつの大きな岩石になったものです。巌とは、岩の中でも高く突き出た岩のことを言います。
つまり「さざれ石の 巌となりて」=「数多くの子孫が固い絆で結ばれ」といったニュアンスになります。
|「こけのむすまで」の意味
これはそのままの意味になります。
つまり「こけのむすまで」=「苔が生えてしまうくらいずっと長く未来へ続いていく」といった意味になります。
|歌詞の意味のまとめ
これらを通して『君が代』の意味はこんな感じになります。
「この私たちみんなの世は、千年も万年も未来永劫に続き、そしてさざれ石のように固く強いきずなで結ばれる。」
このようなニュアンスになります。
これらの意味を通して「君が代」は、繁栄を祝う賀歌(祝い歌)だったということがわかります。そのため、初めの歌詞が「我が君は」から「君が代は」に変化してからは結婚式などでも歌われるようになっていきました。(前回の記事を読んでいただけると賀歌についても書かれてあります)
|『君が代』の国際的作曲方法
『君が代』は国を象徴する歌であるため、作曲も日本人が日本らしい形で作曲したと思われがちですが、実はすごく国際的な作曲が行われたんです。
明治初期、横浜にある英国大使館に音楽が達者なジョン・ウイリアム・フェントン指揮のもと薩摩軍楽隊が作られました。この薩摩軍楽隊が日本初の吹奏楽団です。その後、日本海軍軍楽隊と名を改め、現在は海上自衛隊の音楽隊となっています。
そんなフェントンは明治新政府ができたので、日本陸軍であり政治家であった大山巌に「儀礼的な音楽を作ってはどうか?」と尋ねました。これにうなずいた大山巌は、自身が大好きであった琵琶歌の蓬莱山の中から「君が代」の部分を選び、フェントンに作曲を委ねました。
しかしフェントンの作曲はアイルランド民謡的であったため、国の歌になるものだからもっと日本らしい歌を創ろうとして、フェントン作はいったん保留となりました。ここで注目していただきたいのが、この話を持ち掛けた当時日本海軍軍楽隊の中村祐庸の行動です。フェントンにせっかく作ってもらった作品を没にするわけなので、中村祐庸はあらかじめフェントンに相談をして了承を得たうえでこの話を持ち掛けていました。
その後、日本的な曲にするために明治新政府は宮内省に、「雅楽的要素を盛り込んだ楽譜を作ってほしい」と申請しました。そして数多くの案の中から、奥好義作の楽譜を林広守が編曲したものが選ばれました。
この段階の「君が代」はメロディーだけだったのですが、これを聞いたドイツのフランク・エッケルトが、伴奏をつけて現在の「君が代」が完成しました。
|『君が代』の特徴
『君が代』の歌詞は、千年以上前の歴史ある日本の歌で、曲は日・英・独のそれぞれの要素を含んだ合作となっているのが特徴です。
世界の大学の音楽教授たちが集まってどの国の国歌が音楽的に見て素晴らしいか話し合われた際に、一番になったのは『君が代』だったそうです。
|おわり
この内容は作家でありYouTuberの小名木善行さんの話を大きく参考にしお話しさせていただきました。
私は趣味程度に歴史を学びnoteでアウトプットをしています。しかしこれをきっかけに日本の歴史や日本を好きになり、日本を素敵な国にしたいと思う人が増えればと思います。
もっと深く知りたいと思った方は、勝手ではありますがいろんな記事やYouTubeや本などをあさってみてみてください。
真実は当事者にしかわかりません。だから鵜吞みにせず自分を信じて未来に役立つ形で解釈すると面白いと思います。
お読みいただきありがとうございました^^