玉音放送に込められた陛下の未来への思い part1
こんにちは^^
こちらの記事を見つけてくださってありがとうございます。今回は、「玉音放送」についてお話します。
玉音放送というのは学校で勉強されてきたと思います。またテレビなどで「堪え難くまた忍び難い思いを堪え」というのを聞いたことがあるかもしれません。今回はそんな玉音放送について話そうと思います。
|玉音放送とは
玉音というのは陛下のお声のことであり、玉音放送とは、天皇の肉声を放送することです。
放送では1945年8月15日に、社団法人日本放送協会(現在のNHKラジオ第一放送)から放送され、第二次世界大戦における日本のポツダム宣言受諾による終戦(日本の降伏)を日本国民に伝えられました。
(玉音放送では天皇陛下御自身のことを「朕」とおっしゃられています)
|玉音放送の歴史
天皇陛下が全国民に向けお言葉を届けられたのはこれまでの日本の長い歴史の中で3回しかありません。
「終戦の際」、「東北地方太平洋沖地震に関するビデオメッセージ」、「平成天皇ご上位の際」。この3回のうち初めて全国民に向けた玉音放送をされたのが終戦時でした。
|内容①:日本の降伏は天皇の意思
この中に「非常の措置」という言葉があります。これは国家の「非常大権」というものになります。
非常大権をわかりやすく説明すると、国家の非常事態の際に憲法や法律、また日本では国民や政府や当時の軍隊などを一切無視して行動することができるものです。これをすることができるのは日本では天皇陛下ただ一人になります。
つまり日本の降伏は、天皇陛下ご自身が非常大権をもって決めたことだということをはじめに述べているのです。
|内容②:この戦争の目的について
次に述べられているのが、そもそもなぜこの戦争が行われたのかについて述べられています。
「他国の主権を排除して領土を侵すような事は、元より私の本意ではない。」とあります。つまりこの戦争の目的は他国の侵略ではなかったということです。
あくまでも植民地支配されていて主権を一切認められない東アの人々に、自分たちの国を改めて築いてもらって、お互いに経済的にも文化的にも一緒となって繁栄していくというのが目的でこの戦争は始まったと述べられています。
|内容③:戦傷者に対するお言葉
次に、戦傷者に対してのお言葉が述べられています。戦争に行けば生きて帰ってこられたとしても大小さまざまな怪我を負って帰る人もいます。腕がない人や足がない人が社会に戻った時にどうするのかが問題になります。
当時日本では、戦傷者や障害者たちが必ず自立していけるように国家として様々なサポートをしていました。国家としてこのような仕組みを作っていたのは日本だけだそうです。
しかし戦傷者をサポートするという仕組みですが、戦後GHQに占領統治されていた昭和20年から昭和27年の間は廃止されていました。というのも、GHQは「日本軍は存在しなかった」という考え方をしていたため、戦傷者も存在しないということで進めていたのです。
その後、昭和27年4月に日本が主権を回復して政府が一番初めに行った政策が障害者に対する年金の復活でした。
日本は当時「国のために戦場で死んで来い」とは言っていましたが、軍人たち一人一人を当たり前ですが人として見ていたということや、国のために戦った人に対して国として責任を取っていたことがわかります。
|内容④:全国民に対するメッセージ
ここに「国のあるべき姿の真価を広く示し」とありますが、これは国民一人一人が物事に対して責任を持って行動するということです。また、これをしっかりと全うすれば素晴らしい国になっていくということです。
この陛下からのメッセージを私たちは全うできているでしょうか?
一人一人が今与えられている仕事や立場に責任を持って行動していますか。また、責任を負わなければならなくなったときにしっかりと責任を負っていますか。
|まとめ
人それぞれ玉音放送に対して様々なイメージを持たれていると思います。
テレビでよく取り上げられている「堪え難くまた忍び難い思いを堪え」というところだけを聞くと、天皇陛下が国民に対して偉そうに「よく耐えてくれた」と言っているように聞こえてしまい、まるで国民に対して愛を持ってなく国民の命を軽く見ていたように聞こえます。しかし実際は今回説明したように、国民に対して深い愛と信頼を持ち、この戦争の始まりと終わりについてちゃんと説明しています。
この内容を踏まえると、玉音放送を聞きながら涙を流し膝から崩れ落ちていた国民が、どんな思いを抱いていたのかという見方も変わってくるかもしれません。
お読みいただきありがとうございました。