中学生のぼくの話
機動戦士ガンダム00を久しぶりに見返した。
やっぱり面白い...
設定が「宇宙世紀」という架空の空間ではなく、西暦だから今の時代が地続きになった感覚で見られるし、ちゃんと歴史的背景も踏まえた世界観になってる。
世界史を学んだ後で再度見たので、前に小六〜中一くらいで見た時よりしっかりと吸収できた気がする。
だけど、意外と中一の僕も、そのエッセンスをしっかり吸収して咀嚼できていたみたいだ。
00を見ているときにふと思い出した。『これ見てた中一の時、影響されて戦争をテーマにした文章を書いたことがあるな。しかもクラス代表に選ばれて、学年全員の前で発表した気がする。』
僕の母親というのは偉大で、ちゃんと子供の成長を追っていたようだ。当時の文章が全文そのまま掲載された校内新聞の記事が実家にあった。
せっかくなのでどこかに残しておきたいし、意外とよくできた文章だと思ったので、ここに全文載せることにした。ただ昔の自分を自慢したいだけなんだけど、それでもいいだろう。僕はこの文章を書いた当時の僕を誇りたい。
ガンダムが好きになって本当によかった。こんな考えを抱くきっかけになったガンダムという作品に、心から感謝している。
早く閃光のハサウェイも見にいかなきゃね。というわけで、以下は中一の僕が書いた文章だ。
『人の心と戦争』
人は、なぜ戦争をするのだろう。なぜほかの解決法を見いだせないのだろう。人は、古来から争いを続けてきた。しかし、どうしてやめようとしなかったのか。戦うことに、何の意味があったのか。 その原因については、いろいろ例が挙げられる。
主に原因となるのは、領土の奪い合いだ。ほとんどの戦争はこのことが原因となって起こる。縄文時代や弥生時代などにも領土の奪い合いから起こった戦争はあるのだ。これは人間じゃなくてもある。ネコはよく縄張り争いをして、その跡として毛が地面に散っていることは私の家の前で頻繁に起きている。
つまり、領土の奪い合いというのは争いが起きる最も基本的な原因なわけだ。人の欲望というものは計り知れない。すでに持っていて、与えられた領土など、すぐに使い果たして次のものを求めはじめる。そんな人間の底知れぬ欲望が、この世界に戦争を生んだ一つの原因なのだ。
また、別の原因として、政府への反乱や国民を殺された恨みなどが挙げられる。 政府への反乱は、江戸時代から続いている。 当時は、 政府に不満を持った農民が幕府に押しかけることを「一揆」と呼んでいた。たいていの一揆はすぐしずめられたが、 それが戦争まで発展した例が「天草の乱」だ。これも結局は幕府がしずめたが、 多くの犠牲者が出て、 多くの人が悲しんだ。 このように、 政府がしっかりと国を治めないことも、戦争を生んだ原因となっている。
また、 国民を殺された恨みというのは、例としてアメリカの同時多発テロが挙げられる。 このテロは、2001年に、 ニューヨークの世界貿易センタービルに飛行機がつっこみ、3000人近くの人が亡くなった。この事件があって以来アメリカは、テロリストをかくまった国を攻撃し続け、戦争となった。
また、 日本は開国以来、日清戦争から太平洋戦争にかけて、何十年も戦争を続けてきた。この数々の戦争について起こった理由をそれぞれ考えてみよう。
まず、日清戦争と日露戦争の起こった理由として考えられるのは、当時、日本はむりやり開国させられ、そのうえ不平等条約もおしつけられて、窮地に追いこまれていた。
このピンチから脱出するには、戦って他の国に勝ち、日本の力を世界に示さなければいけない。 そこで日本は、戦争をすることを選んだのだ。
それから日本は他の国に勝ちつづけ、 不平等条約も解消した。だが、調子に乗った日本は、世界最強クラスのアメリカと戦争し、無謀なことに、負けそうになってもギリギリまで降伏しなかった。こういった日本の誤った判断で、原爆による大きな被害が出てしまったのだ。
これまでの話をまとめると、 戦争が起きる原因は、おもに人間の怒りや悲しみといった感情であることがわかる。人間の感情は奥深い。ちょっとしたことでもすぐ怒り、人を恨み、また少しでも自分の地位が高くなったり、権力が強くなっていくと、人を見下し、自分のもののように扱い、結果的に多くの人に恨まれ、死んでゆく。人はこのいつまでも続く無限のループを繰り返しながら生きている。きっとこのループは人間が存在する限り続くのだろう。
この関係がなくなれば、きっと争いのない世界が続くだろう。しかし、それはまた人間の消滅ということも同時に示すのだとぼくは思う。
つまり、この世界から争いを消すことははっきりいって無理だろう。ならば、どうすることが最善なのかといえば、戦争が起きても犠牲者をなるべく出さず、すぐに終結させようとする心がけが一番なのではないかと思う。
いま、この時代にわれわれ先進国が一番になすべき課題は、この「心がけ」ではないだろうか? そして、終結した後は、戦う前よりもよりよい関係になっていなければいけないのだ。 それは、私たちの身近な人間関係における小さい争い事についても、同じではないだろうか。
当時の先生のコメント: 「争い」 をゼロにするとは、これまでに繰り返されてきた歴史を無視した理想論に過ぎないのかもしれません。 ならば、 あくまで 「争い」 の起こりうる危険性を前提にした上での解決法を探らねばなりません。 その意味からも、現実的でかつ前向きな姿勢は高く評価できるところでしょう。
しっかりコメントをくれて、記事にして残してくれた学校と先生へ、ありがとうございます。