会話って難しい。からはじまる自己分析。

私は、ワーキングメモリが小さくて、特に会話をするのに半端じゃない労力を使う。
何か作業をしている時も、話しかけられると考えていることがとんでしまう。

今は、なるべく人との直の接触は避け、会話も必要最低限にしている。
そのため、最低限発生する会話にだけ全力を注げば良くなり、以前に比べたらまともに会話ができるようになったのではと思う。
しかし、それでも細々とした問題はあって、日々どうしようかと悩む毎日だ。

最近で言えば、リーダーや先輩と3人で、今後の仕事の進め方を会話した時の失敗談があるが、まさにワーキングメモリの少なさからくるものだったと思う。

リーダーから、○○という理解で良いだろうか?と言う趣旨の聞き方で、話を振られたタイミングがあった。
普通だったら、”はい”とか”いいえ”で答える場面だろう。
しかし、私は根拠の説明でいっぱいいっぱいになってしまい、良いのか悪いのかという結論を返すのがすっぽり抜けてしまった。
幸い、その時は先輩がフォローしてくれて、リーダーの理解で良いんだよね?と促してくれたので会話はスムーズに進んだが、リーダーにはちょっと申し訳ないことをしてしまった。

私の中では何が起きていたのだろうか。
その時のことを思い返そうとすると、伝えようと試行錯誤していた(”てんやわんやしていた”という方が正確かも…)記憶はあるが、それ以外のことはほぼ覚えてない。
つまり、自分が伝えたいことで頭がいっぱいになっているうちに、相手から何を聞かれたのか、忘れてしまっている、というようなことが起きているらしいのだ。

ワーキングメモリが少ないのは変えられないので、完全克服することは難しいのだろうが、
特定の場面だけでも、聞かれたことにきちんと答えられるようになれないだろうか。

医者からは、最初に結論を話してから、理由を話すようにしてはどうかとご提案いただいた。

まぁ、確かに、とは思う。
今回の一件は、それを意識するだけでカバーできそうなものだ。

ただ、悩ましいのは、自分の中で結論が出ているか、すぐに結論が出せる時にしか使えない手法であることだ。
できればもう少し根本的に対処できないものか。
検討段階での打ち合わせだと、会話しながら結論を出すこともあるし、できればそれも出来るようになりたい。
やってみて難しければ、障害特性ということで諦めた方が良いと思うが、何も試さずに諦めてしまうのはちょっと勿体無いと思ってしまう。

希望になるかもしれないと思うのは、気が合う人との会話では、そこまで疲れないことだ。(片手で数えられるくらいの人しかいないが。)
もちろん疲れはするのだが、会社で会話する時ほど疲れないし、会話していられる時間も遥かに長い。

この2つの状況を比較し、違いを見比べてみようと思う。
そのワークを通して、何かヒントが掴めるかもしれない。

考えてみると、職場での会話では変な緊張を感じている自覚はあるので、会話以外の何かにエネルギーを割いているような気はするのだ。
であれば、仮説として、その余計かもしれない思考をやめられたら、もう少し余裕を持って会話できるかもしれない。
そうしたら、最低限の会話くらいは、いっぱいいっぱいにならない範囲で対応できるようにはなるかもしれない。

実際に余計なのかどうかは、緊張の正体が何なのか、探ってみないと何とも言えない。
それに、思考を止める、というのは経験上難しいので、そう考えてしまう原因を探って解消する、という動きになるかもしれない。

どこまでやっても完全克服はしないだろうが、より生きやすくなる可能性はあるかもしれないし、単純に何が潜んでいるのか、探ってみるのがちょっと楽しみだったりもする。

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