推し

今までいろいろな人のファンになり、夢中だった時がありました。

時にアイドルだったり、ミュージシャンだったり、俳優、画家、作家、スポーツ選手……と、ずいぶん多くの「推し」がいました。
その人についてあらゆることを知りたいと思ったものです。今のようにネットで手軽に多くの情報を得られない頃も、できる限りのことを尽くしてその人を知ろうとしました。ミュージシャンの時は音楽を聴き、CDを買い、ライブに参戦しました。俳優さんを好きな時は映画館や舞台に通い、画家の時は書物で知識を得、展覧会に行き、スポーツ選手の時は球場やスタジアムに足を運び応援しました。あの情熱はどこから来るのか、好きになるって凄いことです。お金も時間も費やしましたが、その一つ一つが世界を広げてくれました。

しかしあれほど夢中だったのに、嫌いになったわけでもなく、次の推しが見つかったわけではなくても、憑き物が落ちたように終わりがきます。その人や事に関心が無くなるのです。それの繰り返しでした。
あるとき、好きだったミュージシャンが亡くなっていることを知りました。絶句でした。私の推し歴の中でも特別な人。青春のど真ん中、支柱だった人。変わらず活動し続けてくれていると勝手に思い込んで。ずっと追いかけることをしなくても、その死を知らなかったことがショックでした。自分の薄情さに腹立つやら、情けないやら。今もそのことは胸の奥にチクリとしたものを残しています。

推しとは言わないまでも、好きだった人や関心があった人たちが亡くなっていきます。才能溢れる方々の死に接すると「まだまだやりたかったことがあるだろうな」と思い、その方たちの年齢を知ると、そう遠くない自分のその時を思い、ゾワッとした感情に駆られます。終わりが見えるってやはり怖い。若い頃には無い感覚です。
私は何もしてこなかった、何も残せない人生だったと思い落ち込みます。やりたいことがあったはずなのに、それが何だったのか思い出せない自分がいます。行きたいと思っていたところへも、行かないで終わっていいと思うようになりました。これが歳を取るということなのでしょうか。

そんな自分に今やりたいと思えることが出てきています。自分のことはずっと三日坊主の人生なので、本当に続くのかまだ疑わしいところがありますが、ちょっとその気になっています。それが何かは始めてから報告できたらと。
推し活ばかりの人生でしたが、今度は自分を推してみようと思っています。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?