見出し画像

インターネット個人史\(^o^)/

Twitterをはじめておそらく15、16年の月日が経った。
わたしは元々ネットの世界が生きがいのインターネット大好き人間だったので、2008~2009年頃にTwitterが日本でリリースされて間もなく最初のアカウントを開設した。(今は削除済)
今メインで使っている@daridaridarittaのアカウントは2012年に始めたニコ生用のサブアカとして開設したものだ。
イーロン・マスクがTwitterを買収し、Twitterが「X」に改名され、長い間親しんできたあの鳥が消えてしまってから早1年半が過ぎた。改名だけでなく、度重なる仕様変更により改悪を重ね、徐々に変化する利用者層の変化もあり、もはや自分にとってTwitterは面白いものでも居心地のよい場所でもなくなってしまった。最近ではアプリを開くことすらない日も増えた。
とはいえ、これだけの長い年月利用しているSNSは他になく、Twitterに対しての思い入れは強い。それなりに思い出もあるし、感謝もしている。文句を言ったところで、Twitter以外に好きなSNSも特にないし、SNS自体をすっぱりやめれるほど現実を生きてもいない。

思えば自分の人生は常にインターネットと共にあったといえる。
ここいらでざっくりと自分のインターネット史について総括しておこうかと思う。


2000年~2002年 おもしろフラッシュ

Adobe Flashで作成された動画作品がネット上で量産されていたFlash黄金時代にわたしは小学校高学年だった。
ある日、小学校のパソコン室でクラスメイトのMくんがおもしろフラッシュ倉庫の存在を教えてくれて、世界が一変。その日からおもしろフラッシュのことしか考えられない生活がはじまった。おぼろげな記憶だと「あすなろの杜」というサイトが気に入って入り浸っていたと思う。
家に帰ってからも父親のパソコンをこっそり起動させておもしろフラッシュをみることに明け暮れていた。オラえもん、サザウェさん、ペリーさん、赤い教室、ウォーリーを探さないで、ハゲの歌——今みると何が面白かったのかさっぱりわからないが、当時は自分が最新のお笑いに触れているとかたく信じ込んでいた。授業の一環で二十歳の自分宛に書いたタイムレターにまでおもしろフラッシュのイラストが描いてあった。まさしく、おもしろフラッシュはわたしのインターネット原体験である。

「ゲームのはなし」でオチに使った「焼肉亭」をプレイしていたのもこの頃の話だ。2020年Adobe Flashのサービスが終了してしまった今では、もう二度と完全オリジナルの焼肉亭をプレイすることはできなくなってしまった。




2004年~ 前略プロフィール


黒歴史量産サイトとしてお馴染み前略プロフこと「前略プロフィール」ももちろん通っている。2002年にサービスが開始され、2007年~2010年が全盛期だったようだ。(2016年サービス終了)
自分がいつ頃からいつ頃まで利用していたかはちょっと定かじゃない。

「前略プロフィール」とは、用意された質問に答えるだけで、自分の自己紹介ページを作成することができるサービスだ。自分のページURLを名刺代わりにして、友人たちと教え合った。ゲストブックと呼ばれる掲示板のような機能もついており、コミュニケーションツールも備わっていた。
調べてみると初期設定だと全部で65項目あったらしい。さすがにそのすべてを埋めていた人間は少なかったように思うが、項目数や背景、文字の色などが設定できて、ギャルからオタクまで幅広い層の若者たちが思い思いに自分の個性をアピールしていた。

前略プロフのイメージ画像

おぼろげな記憶から参考画像を生成してみた。
「ちゃん」を「ちあン」といったり、「だから」を「だかン」といったりしていた気がするのだが、うろ覚えで詳細な情報はわからない。
性別を表現する際の、「パコる方」、「パコられる方」という嘘みたいにキモイ表現は当時散見されたが、誓ってわたしは実際に利用したことはない。
パイレーツ・オブ・カリビアンが大好きだったのと、たんぽぽ公園で遊んでいたのは本当だ。
「(笑)」の表現は流れゆく時の中で様々な流行があったが、イメージ画像では「ワラ」を使用してみた。「藁」や「笑。」の時もあった。

2005年~ ホムペ

「ホムペ」とは、いわずもがな「ホームページ」の略語だ。
前略と同じくらいの時代、仲のいい友達同士でホームページを作るのも流行っていて、わたしは友達と二人で「ベーコンぼうや」というホームページを運営していた。作成サービスは、モバスペ、フォレストページ、@pepsなどが主流で、それぞれの特色などは覚えていないが、わたしはたしか@pepsを利用していた気がする。理由はおそらく、おしゃれでかわいい先輩がやってるGO!GO!7188のコピバンのホームページが@pepsだったからとかそんな感じだ。(2024年サービス終了)

HTMLが一体なんなのかもわからないままHTMLを学び、3.4インチ画面の中にチマチマとコードを打ち込み、文字の大きさを変えたり、動かしたりするのを楽しんでいた。
そして、平成の時代を生きるJKが自分好みのホムペを作成するためになんとしても必要だったのは、「素材」だった。
暇さえあれば「素材屋さん」を巡回していた。素材屋さんとは、当時の女子中高生好みのかわいいイラストや写真などのフリー素材を集めたサイトのことだ。誰とも被らなくておしゃれな素材を見つけただけで勝利した気分になっていた。
記憶を頼りにイメージ画像を生成してみたので見てみてほしい。

素材のイメージ画像
ホムペのイメージ画像


2006年~2008年 ニュー即VIP、ニコニコ動画、Cure、こえ部

2005年の夏に素行不良で高校を退学になったわたしは、15歳という若さで派遣社員として工場で働くことになるが、そのときに知り合った4歳年上のオタクY氏から「ニュー速VIP」の存在を教えてもらい、またしても世界が一変する。最初のうちは、「ハム速」や「イミフwwwうはwwwwおkwwww」や「VIPPERな俺」のようなまとめスレを見るだけで満足していたが、気付いたら色んなスレに入り浸るようになる。
2ちゃんねるの歴史上、有名な祭りといえばたくさんあるが、自分が参加した中で一番思い出深いのは「コイル祭り」だ。
「コイル祭り」を知らない人のために説明すると、「Yahooきっずのポケモン投票でコイル一位にして消防ども泣かそうぜ」というスレをきっかけに、2008年に公開された『劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール ギラティナと氷空の花束 シェイミ』の人気投票で、コイルに組織投票をして1位にしようとする運動、およびそれにより起こった騒動のことだ。

ニコニコ動画の全盛期もこのあたりの時期じゃないだろうか。
初音ミクが発売されたのも2007年だ。オタクがカラオケに行くときは必ずアニソン・ボカロ系・東方系の楽曲が充実しているJOYSOUNDを指定していた。さらっと触れておくと、同時期にコスプレ専門のSNS「Cure」や、音声専門のコミュニティサイト「こえ部」にもちゃかり登録していたが、この二つは、少しだけ投稿したことがあるだけでほぼROM専だった。(どちらも2016年にサービス終了)
当時好きだったコスプレイヤーのXを今も密かにフォローしている。
わたしの中では彼女はずっとスターだ。イベントで彼女のROM写真集を買いに行ったこともある。今はもう彼女がなんのコスプレをしているのかすらわかりゃしないのだが、活動しているのが知れるだけでうれしい。

この時代にオタクで本当によかった。インターネットが一番楽しかった時代だったと思う。

2007年~2009年 CROOZ!ブログ、リアル

CROOZ!ブログとは、2005年にサービスが開始されたケータイ向けブログサイトだ。(2022年サービス終了)
ユーザー層は、主にギャル系の若者が多く、ランキングに載っているのは人気の読者モデルやショップ店員が多かった。てんちむがいつもランクインしていた記憶がある。
わたしはその頃、かわいいが正義の流行に敏感な若者から一転、先述したように、工場で知り合ったオタクY氏から「Welcome to Underground」をささやかれてしまったことにより、光と闇の二つの世界の狭間で揺れ動いている時期だったので、CROOZのキラキラした世界も捨てがたく、こちらはこちらでシャカリキに運営していた。
同じような状況の闇堕ちした大阪のギャルとCROOZブログ!で知り合い、アニメ「CLANNAD -クラナド-」を通して親睦を深め、数回遊んだ記憶がある。

実際に使っていたW54Tに残っていたCROOZブログの更新通知メール

「リアル」とはなんなのかというと、今でいえばツイッターに一番近い存在で、強いていうなら「リアルタイムブログ」の略だ。わたしの周りではリアル=CROOZリアルのことを指していた。一言だけつぶやく感じで、写真も載せることができた。調べてみると、日本語版Twitterのリリースが2008年4月、CROOZリアルのリリースが2008年11月、mixiボイスが2009年9月のようだ。

「リアル」のイメージ画像


2008年~ mixi、Twitter

mixiは2004年からサービスを開始しているようだが、わたしが登録したのは2008年だった。おそらく、18歳未満はサービスに制限があったので、18歳になったタイミングで登録したんじゃないかと思う。
説明は不要だとおもうが、mixiにおける友人、知人のことをマイミクという。相互の関係が前提だ。わたしのマイミクは9割がネット上の友人で、残り1割が現実の知り合いだった。mixiの大きな特徴といえば、招待制であること、足あと機能、コミュニティ機能などだ。日記を書いてコメントでマイミクと交流するのが楽しかった。
mixiで知り合っていまだに交流が続いている人間も何人かいる。

この赤文字が目に入ると心が躍った

クローズドな世界でたのしくやっていたものの、ネットの世界とはいえ人間関係のわずらわしさも感じていた。
そんな矢先に登場したのがTwitterだ。先述したとおり、日本語版Twitterは2008年4月にリリースされた。Twitterのフォロー・フォロワーはmixiのマイミクと違って申請や許可もいらず、相互の関係にならなくてもいいというのがとても気軽で当時は魅力的に感じた。マイミクのおたくどもが続々とプロフィールにTwitterのURLを載せ始め、「最近Twitterばっかり見ててmixi全然見てなかったわー」とmixiボイスでわざわざつぶやくことによって、「俺らはもう最新のSNSやってるけど、お前らはまだこんなところにいんの?w」とイキリマウントをするようになった。
現在のTwitter(現X)には♡マークで表示されるいいね機能があるが、初期のTwitterは☆マークのFavorite機能というものだった。通称「ふぁぼ」だ。
このふぁぼが欲しくて、みな必死であった。ふぁぼられた発言を収集する「ふぁぼったー」というサービスがあり、ふぁぼ数で発現の色や文字の大きさが変化する仕様だった。1fav(黒)→2Fav(緑)→3fav(紫)→5Fav(赤)と変化し、5ふぁぼ以上を獲得することを「赤ふぁぼ」といった。
当時のツイッタラーにとっては、赤ふぁぼを得ることが一つの目標だった。
つまり、たったの5ふぁぼでも上等だったのだ。当時はただネットでウケたい一心でTwitterをやっていた。十代の女だとバレると純粋にウケてもらえないと思い込んでいたので、一番最初に作ったアカウントは、年齢も性別も隠して運営していた。

2012年~ ニコニコ生放送

「ダリッタ・オブ・ザ・デッド」というチャンネルを開設し、半年か1年くらい顔出しで配信をしていた。自分史上一番の黒歴史なので多くは語るまい。記念にチャンネルページだけは残しておいたのだけど、いつのまにか消えてしまった。ちょっと寂しいけどほっとしている。
冒頭にも書いたが、ウケるためだけに作ったTwitterアカウントを窮屈に感じ、もっと普通にプライベートのことを投稿したいと思ってニコ生専用のサブアカとして作ったのが今の@daridaridaritaのアカウントだ。
その経緯が関係あるかはわからないが、このアカウントは今もプライベートのことをつぶやくことが多いように感じる。

2020年~ note

noteをはじめたのは2020年みたいだ。最初は完全に金目的ではじめた。
作家や有名人でもない素人が文章でお金をとるなんて…と尻込みしていたら、年下の友人から「感覚が古い!」と一喝され、「そうなのか!」と説得されてはじめるに至った。
毎日書くつもりで開設したはずなんだけど、1年に3回投稿してればいい方という結果になってしまった。
投稿頻度も終わっているのでもちろん金にはなっていないが、長文を書きたい時に利用している唯一のプラットフォームだ。あと、noteの読者はいい人が多いから好き。長文を読める人/読んでくれる人ということである程度振るいにかけられるのだろうか。


その他 Instagram、Facebook、クラブハウス、Threads

上記のSNSはまったくといっていいほどハマらず、続かなかったので思い入れなし。


以上がわたしのざっくりとしたインターネット個人史だ。まだあとから思い出すこともあるかもしれない。
今後もインターネット老人会の一員として、インターネットを細々と楽しませていただこうと思います。

ノシ


いいなと思ったら応援しよう!

ダリッタ
いただいたチップにより生活が向上いたします!!みなさまいつも本当にありがとうございます!!!!!